広報ななかい 第14号 1954(昭和29)年 1月
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会 柑 報 昭和ゴ守・九年長月一日 (1◆1 矛十四号 物が殆んどない.ごと把つぃて 摩かれることゝ思う、たゞ憩 燥草潔けが偽庵にすぜ庖小。 厳格に原価計算したら果して どれだけ探界がとれているだ ろうか.。換金作物としてゐ葉 煙草収納代金が全村で踵莫大 孜亀覇に越すること.ば私も充 分認めるがその為に土地の高 度利用を抑制している点は見 村民の皆様新年御目出とう 御座います。 昨年は穀物を食わない巳年 のためか凶作に見舞われ、生 晴上も貞柴経営上もー大安障 卑きたして、しまつた。 本年は穀物な食する、うま 年である、この年妊曹から不 作がないと云われている、今 年は盛年であらしめたいが気 象学者の統計上の説明はこ1 四、五年は不作が蹄ぐではな いかと新聞紙上忙も発表して い去。● 現在の日本の食糧事情は五 千万の人口を茸ケ生韓力しか 有十こしい赴いのに、八千万の 人口な有セそれに苧え人口 が広島と仙許を合せた位増加 しているO 終戦後ひ癌済状態は新聞紙 上で御承知の通りである、 うしても自給自足の出来ない 身分であ首、痘ぐは姓SA援 助によわ物資の」父流も臥り最 盛の事態は無いものと思われ 潮 前にあけた統計で換金 本村の 計画につ、いてW 塩子郵便局長 阿久津守男 頗腰感 材鼠 片 岡 善藷 のがせない事実と思う。葉煙 草栽培がつまらないと云う ではないが綜合的農業経営か ら反省して見もことも無駄で はあるまいと思うのであるが 滋では一応ふれないこと忙致 したい。兎角換金作物む導入 すること忙よる土地の高度利 用経営の合理化について余り に無関心であそ理由は一体 何であろうか、確かに沢山の 毎年余分に水田寡作等をして 大選一、三俵づゝ年々貯赦し 如何なる乱作が来ても営々と 盛事に従導出来る心がけと、 農業経営も種穀式にめみ依存 せす、特用作物、畜産等をも 多分に取り入れ、現金収入の 而を開くよう正月を契機とし て英行していたゞきたい。 東壁 批准 るが、一度び凶作に兄妹われ 国際上l瞼恵の時は詭れが国民 な餓死線上忙さらさないと云 われよう。 昔凶作が続いたとき人畜は 累々と餓死したとある、その 中牢雫濃の百姓が種子を枕に 餓死.していた有名な話しがあ る、それ放か傭疲と云うこと に眞創であつた、私等幼少の 頃どこの百姓の倉庫にも稗や 粟が保と放つて積変れ食べな いで貯赦されてあつたもので ある、如何に私等阻先ば凶作 に淋PLbがけが良かつたかを れる。 凶作を機会に私等腋 即ち障がいとなつている原田 を逆忙契機たらしむるととこ そ人間による自然の開拓であ ㌢ 品等の点についての指導 研究こそ指導員、研究会等の 使命ではないかと思う。 因 寒冷地に於ける水田二毛 作栽増は多少不利孝条件は認 めろが耕地の狭小と過剰人口 になやむ本村であゎながら、 その普及が如何に立遅れてい るか前掲統計をまつまでもな く幣くの外はないのである。 既にL⊂hリのこされた感が搾い 位である農家が横着なのかと 云へ・ば決してそうではないこ とに注目すべきであろう。概 して〓毛作は多くの労働と、 原因が為ると思うのであるが 根本的には零細経営による多 肥多労の童敬虔的飯米主義的 経営と栽培技術の未熟による 生産性の低調に起関すると思 うのである。例へば一郎歩未 満の農家であげ孜がら早朝か ら夕刻まで仕事に追われ通し仁 で時間的に余裕がないのが現 状で妊あるまいか、然も倫は 半失業的過剰人月があるのだ から妙である、技術の進歩も 経営の合理化もあつたもので はなぃ。徒らに生産コ・スト打 割高な単純な経営へと迫い二、 まれているのである。この現 況では換金作物導入は望むべ くもない、勿論換金作物導入 のために 知識集荷、販売組糊の招立、 栽増方法町徹底的指導及需給 、価格等高的知識も必要であ るが、これが生産に当る農家 . 忙は時間的余裕と適地の余裕 がなければ 営である本村では自然のま1 では換金作物哲人は不可閑で あるが、併し反面零細経営な るが故にこそ農家経済の維持 上換金作物導入の必要である こと農家白身が痛切に希望し ているところではあるまいか 発行人片 岡 尊 寿 印刷所 水戸伊藤印刷所 発行所 昭 ‾ 和 牙-ニ 酉十月+ 英田一九 七会村役場 案通り併用道とすることに砕 議案第二骨、昭和二十八年 度七会村歳入歳出追加予欝 この追加予算は別記の通れ 原案通り可決された。 訪英第一号、村道を林.遣忙 併用するの件 二の案は大字塩子浜屋支店 前よや大開の仲田〓放さんの 発生での村道を営林署の林道 と併用道卜する案にして、村 と営林署の爾方なれば一骨道 路が完備されることによわ原 多くの肥料を投入し伶ほ収量 が期簡さ九る程でないと云わ れる。併しこれは栽増技術の 未熟と戯作或ほ調堕その他の 操作が頂始的であること等々 を顧みない言ではあるまいか 作付転換、労佃力の配分、.作 物の艶合等があわ綜合的罷皆 の立場から各操作に能率化を 徹底しさへすれば二毛作妊陸 作間様の効果を期待し得るの 外水田土壌の改良ともなり一 石こ鳥Ⅵ利益があるばかわで 放く陸粁地に余裕を生じ、こ れが合理的多角化し過剰労働 馬眞は開訴式の模掟 i≡≡■l】!も…≡エR軋=…≡---色目もl喜=一-■iL1- 蒜蒜銅材 ∴竺 澗望の \青年単級開設 月廿六日 青年学級振興法に基いて本村 に於ても、関係者各位の御協 力に依って開設の逓びとなり 去る十】月二十】日、七会中 学校に放て開講式を開催し、 村内有志及学級生約t一首名が 参加、長谷川教育長より人級 の許可に続いて、小林一夫君 (棍子守年会)が入級生を代 表し、力強い零点書を朗訝し 来賓(小林教育委員長、阿久 津教育委員)の祝辞倦に依わ 糊講式な終了。引続き当日の 催しとして、茨大教授塚本防 鶉先生に依る講演会を行い午 後〓時閉会した。 三善illt≡三一■ll■ラ≡一■ll…≡■一■■も≡≡l- を充分忙吸収し得るこキ1な るは明かであると信するので ある。併しながら現況のまゝ で〓毛作を奨励して見ても余 り期待がもてないのではあ嵩 まいか、この点忙ついても指 導と研究(主として研究会の 研究事項忙属する) が要望さ れる所以であろう。兎角排他 の牧小と零細経営、それ把も とづく原始的耕作技術が耕地 の相対的拡大への意慾のシツ コクとなつている繁くべき矛 盾現象な見るの奇観を呈して いるのである。(以下次号) 欺. コ」地方財政平 衡交付金 五、国庫支日金 六、県支出金 八、.繰 越 ▲畢 歳入合計 歳 出 一、議 会 費 二、役 場 費 ≡、滑.防.費 五1教 育 費 七、保障衛生費 八、産業経済磯 九、財・産 費 亡、選 挙 焚 書、拷支出金 歳出合計、 昭和28年度七会村歳入歳出追加予算 (第四骨) 十一月二十六日議決 簡 入 苦(、;〇 一l、宝四、八宝 .一一票、一〇〇 l一、五葉、霊○ 雫七、四〇〇 一、」宅、宍○ 空六、000 山八「豊五 言九、ニ8 一〇、毒○、四書 前回まで の累計額 】一、九8、80 空○、孟五 九{、000 七宝、突五 言、毛○、塁○ 七会村革五国威人式は一月 十五日七会中学校に於て挙行 する七十三名の成人者の公民 としての門出を硯繭すると共 忙、平和国家建設の為大いに 清托されんことを望むと同時 に、成年者はこの栄撃と憩仔 な認識し、世人の期待に応え る様努力ぜれん亭を望みます 本年度該当者は左の洩甘 字 名 氏 塩 子 小照 〝 〝 〝へ〝 〝 〝 ク か 〝 ク 〝 〝 〝 〝 ク 〝 〝 〝 …≡一L一≡≡-Fll’≡≡-1一【で≡≡【r 追 加 予算額 三8、08 宗一、三吉 完、冥九 重(、吉○ 焉七、望九 言、000 二一、00〇 一一、八〇〇 至九、〇四〇 〓一、000 竺、巽九 大、80 .九、盟○ 突、08 雷七、四究 永石押小関舘仲 山川野林本 田 貝藤 ク ㍊い〓. 鶴田 小林 川又 大森 夕 西川 田口 鞄田 合 ・計 三、言○、80 芙〓皇 」毒、契九 八三、票九 石、八石、苫九 四天、岩0 1一、莫大、八歪 一一空、九〇〇 一一、八毒忘九〇 宍九、四〇〇 一、一〓○、雷九 望ニ、08 完一、四呈 空五、一一8 」○、(石、九〇九 清ユ菊幸芳茂二豊ち俊英 よ 華子り桂子江生三千子二樹 名 は な 美和子 、卜 、、\ はつい そ よ 一夫 みよ子 祝う成人式 タ グ ク か .〃 ク 下赤沢 タ グ 〃 上赤沢 ク タ 〝徳〝 〝 〝 〝 〝〝 〝 〝 〝 〝 〝〝 〝 タグ小ク 〝ク 〝 〝クク〝 〝 〝 〝‾クク塩 〝 〝 〆〝真〝 端 ‘蔵 1膵 子 覧lク〝賢姦讐莞雷岳露語慧買買畏〝 富田 塩沢 山下 岩下 小林 山口 川村 信 坪 阿久津和 〝 〆阿酒楼 久水井 津 呂や暫定き よ 膵村 ヨシノ 仲村 羽石 シヅエ 高津戸ツ ザ 篠田 春 男 押野 ひさ江 押久保チ 野 焼 卜部 栗林 武 ≡村 道 永山 拝 啓田嶺 阿久津倍 冨田 綿引 あ 小森 椅 勢轡-′慮 仲田 次 男 富田 すが 阿久葎美知子 か 莫板子 ヽ ノ 丈 ・Lr 宗lヨ典故≡ キヨ.正国葬一号け 今更菜≡フ 声lシ子子郎茂ヨ言親政子羞さ昇左言代枝サニレキ手荒男ヱ 子融子子す男男子 夫や子一子一子夫 二号柾、一一四石一斗】升 が金二七九、五七〇円 三骨睡、・l一一石三斗五升 金二七八、三七五円、で何れ も笠間町飯村瀕造さんと太町 療≡即さんが共同で落札いた しょした。 ながらは、一大-七.本で金 八-、八五〇円で笠間製材所 せ久 金 『繹放戦犯』そめ后・ 終戦後彿印に幽囚七年自頑 な故国の士みふみ、特赦によ って昭和二十七年三月郷真に 締りたを飯村正二君は、昭和 二十八年三月水声校本町、マ コト岸好局店主山崎光子さん と婚抑、秦は関屋、要一君は 常磐相互銀行水戸本店に勤め 幽囚苛をあぎのふ、平和な」 乗しい家庭を営んでいる、 者は一計軍の家庭を訪れた、 松本町を少し入■つた処で右側 に石造の倉犀中央が店舗左側 が住居となつている。 冬着は勘助の後で奥様が店 で御客を相手に であつた。 素材、公東商定. 十一計二十日の村報で公告 した、村有林折戸間伐材ほ十 一旦一十五日の開票の結果左 の偏り瀧定致しました。 一号粍∵五一石四斗六升が ー」.靂1 グ 署 森 右該当者中より村詮衡会に 於て優良青年として左の九名 が表彰されることに決定し、 県成人式には阿久津備二君と 塩沢トキさんが参加する。 野武さんが落札したが契約 ず無効となつた。 長峰 国政 冨田 秀子 塩沢 坪. 悦男 阿久津和子 ・-j-■」1hU- 〓ニ八、・九九六円 小林一夫 阿久津何一 関本 章 子 阿久津実技子
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