広報かつら No.97 1976(昭和51)年 12月
7/8

ヽ一 、b つ ・刀 報 広 第97芳 7 日付と時間差 (太平洋ひと跨ぎ) 八月三日の夕方五時、羽田から 日航のジャンボジェット機で、真 夏の太陽を背に東へ飛び立ちまし た。初めのうちは海面の小波や船 をどが見えてきれいでしたが、八 千から一万と高度を増すにつれて 下界は一様の薄青色に変り、こう して洋上にあること九時間十分、 太平洋の真申で日付変更線を越え たのが夕べの夜中、窮屈な眠りか ら一夜が明けると、窓外遥か白い 雲の聞から山並が見えて釆ました。 米大陸です。機が次第に高度を下 げると見える見える白い家々、大 地がこっちへぶつかって来る、あ、 インタナショナル空港へ着地です。 ホッとしました。三日朝九時十分 のサンフランシスコでした。 この間の距離凡そ八四〇〇キロ、 これを時速九〇〇キロでいま飛び 越えたのです。この間には七時間 の時間差がありますから、羽田の 午後五時はその時サンフランシス コでは夜中の十二時です。だから 向うへ着いた時の私の時計は、現 地で朝の九時十分であるにもかか わらず夜中の二時十分を指してい ました。そこで時間差の七時間を 海外リボ - ) ト 九 ( 所 仰 二 加えて時刻修正をしました。 たしかに夕べという一夜を過し ているのに、今日も昨日と同じ三 日とは妙を気もしましたが、それ でも地球は廻っているという事実 が、実感として湧いて釆ました。 ドアの国(アメリカ) ドアは勿論出人口の屍ですが、 アメリカではこれが仕事や生活の すべてに関わる重要なものなので あ ゝ 米大陸だ (八二二朝機上より) す。日本のように何事にも開放的 を施設とは全く違っていました。 役所でも会社でも、ホテルや家庭 にいたるまで廊下は人々の通路で あり、それぞれの部屋はドアで厳 重に仕切られていました。街の商 店も蓑から見えるのは横文字の店 名とショウウインドウだけで、買 いものはすペてドアを開けて中へ 入ってからです。だから日本のよ うに商品が豊富に並べられた店頭 風景はどこにもありません。入口 が閉っているので閉店かとよく見 ると、開店中(オープン)と書か れた札がかけてあり、まことに殺 風景でした。それにカナダや北ヨ ーロッパのようを寒い地方では尚 更です。又、アリゾナの砂漠の中 の町、フェニックスは熱砂の町と 云われ、夏は四〇度を越す炎熱で すが、店は立派を地下街にあって やはり同様でした。プライバシー と云って個人の生活を大事にし、 人々の秘密をお互いに尊重する国 民性が、こうも東と西の生活様式 を変えたものだとつくづく感じま した。 ところがこれと反対に、トイ レのドアだけは開け放しです。ホ テルでも家庭でも、閉っていれば 使用中を示しています。その上公 園や駅、飛行場のビルをど公衆の トイレでは、ドアと隣室の仕切り は下から五〇センチも開いている のが普通で、使用中の人の脚が丸 見えでした。ついでに申しますと、 アメリカではトイレ(フランス語) と言っても通用しません。どこで もレストルーム (休む部屋)と書 いてありました。 (次号へつづく) 種村 花いっぱい表彰式 昭和五十一年度、桂村花いっぱ い表彰式が十二月六日役場会議室 で行なわれました。村全体を花で 明るくする事を重点目標におき、 公共心、公徳心を養い、豊かな人 間性を作ると同時に各種団体、事 業所、学校が一致し、健全で明る い村づくりに貢献した各種団体が 表彰をうけました。 一、第四回茨城県花とほうきの環 境美化コンクール地方審査の部 団体の部 優良賞 錫高野婦人会 学校の部 努力賞 沢山小学校 貢献団体 感謝状 赤沢老人会 二、昭和五十一年度桂村花いっぱ い表彰 感謝状 四十九年度桂村花いっぱ いモデル地区 大字粟(継続) 昭和五十年度桂村花いっぱいモデ ル地区 阿波山婦人会(継続) 種村花いっぱいモデル地区指定 赤沢老人会 村長賞孫根 長生会 婦人会 議長貴 錫高野婦人会 教育長貴 下阿野沢婦人会 最優秀賞 北方老人クラブ 優秀賞 岩船婦人会 ク 孫恨みつゎ子供会 特別努力賞 沢山小学校 感 努 優 〃 謝ク カク 〃 ク 良 〃・+・ク 音 質 孫根チビッコ子供会 上阿野沢花を育てる会 高根婦人会 阿波山第二長寿会 北方チビッコ子供会 大字下坪 阿波山第一老人クラブ 阿波山エンゼル子供会 桂村青年会 種村農業協同組合 水戸営林署阿波山製品 事業所 孫根 加藤木 栄一

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です