広報かつら No.80 1975(昭和50)年 1月
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ヽ ら つ カ 報 広 第80号 (4) 上印 宮本通、大津陽子、小林一枝、 堀口英二、宮本わくり、君島貞 幸、平原敬子、宮本真弓、森田久 子、山形恵子、入野芳朗、大津 貢、木村直人、所祐一、森田静 江、森田美枝子、大津良江、桧 山安子、今瀬守、永山圭一、大 森雄介 下咋 秋山久子、桐原マテ子、所千賀 子、金長次男、田中丁書、鯉渕 和子、鯉渕さつき、小林優美子 綿引みさ子、高瀬操、峯島あい 子、金長友子、君島久美、瀬谷 捨、鯉測喜恵子、笹島二三男、 桐原すみ子、森道子 粟 寺門雄三、柏原享、広木創司、 山本登、小泉好文、坂本敏準 関根代志弘、栗林とも子、杉山 勝寿、大曽根仁子、加藤木由美 子、藤田香、抽賀敏明、村主美 恵子 北方 大畠均、小林昌美、関根真知子 田崎公一、関根佳代子、加藤木 ≡鹿■左挺振■で=ヒートt≡ 二十年の歳月を顧りみて、ここに成人として輝かしい栄えある、 人生の歴史の第一歩を踏み出されることを心からお喜び申上げます。 今後のご健闘をお祈りいたします。 満、横倉文明、小山豊美、加藤 木棲、小堀美智代、小林てる子 関根鈴子、加藤木栄子、関根富 美子、加藤木孝之、関根澄男 高久 石井勝、加藤郁世、仲山とし子 介川誠実、三村主、石井里美、 三村法子、介川行雄、宮本勝、 加藤木憲子、三村了、宮本治、 加藤木とみ子、鯉渕次男 錫高野 江幡東、蛭町秋市、飯村道正、 江畠健、岡本要、鯉渕弘、浅野 悦子、岡本とよ子、蛭町幸子、 江畠正三、園部和子、高羽邦人 三村和雄、三村清二、河久津京 子、鯉渕早苗、坪井昌子、飯村 誠、高羽実、山崎保夫、森千代 子、三村昌夫、横倉好夫 孫根 青柳正文、加藤木恒夫、片岡光 枝、加藤木雅子、堀野辺弘、加 藤木典夫、三村ひとみ、青柳英 男、加藤木巌、加藤木正明、加 藤木勇志、川田寿夫、加藤木礼 子、大久保文明、加藤木道子、 加藤木秀光、綿引正二 岩船 飯村静、小林克之、小林義信、 小林正則、小林洋子、関悦子 高根 大越忠男、小林悦子、加藤哲夫 阿波山 越田克比呂、小堀健次、森木一 別、小林京子、住谷克美、藤咲 昇、大畠博子、三村久里子、飯 島昇、仲田便意、小倉衛、山崎 伸雄、石崎義夫、小堀智美、高 堀純子、小林幸恵、堀辺栄子、 高堀幸二、船橋春義、楠見恵子 渡辺利三 下阿野沢 関和広、船橋修治、加藤義男、 記念樹を受ける宮本治さんと 参列の皆さん 高堀寿美子、矢次由紀子、高堀 英子、小林修、関真書男 上阿野沢 小林恵美子、所広子、綿引和子 蓮田雅子、小叩清治、篠田ます い、寺田英光、所悦子、小林清 澄、桜井京子 赤沢 君島泉、所昭二、塩沢のり子、 広木八重子、菊地里子、君島覚 小島明美、関口均、関口博、所 勝則、所誠、小島文江、川井政 明、石崎美代子、石崎益美、黒 沢一朗、関口克明、仲田晋哉、 貰島はつ江、仁瓶義則、野上保 子、三村博夫 はたち 〝二十歳″ のひとこま 昭和50年1月5日、この時川崎 大師を参詣した。始発のバスで杜 をで川崎についたのが11時頃だっ ただろうか。大師までの道程はそ う遠いものではないのだが、何と も人ごみと言っていいくらいの人 また人であった。この驚きは予想 はしていたが、大師全体が人の披 で埋まっている感じがした。これ はどうも大師さんですかとでも声 をかける余裕などまったくないほ ど一㌧ 毎年ここを訪ずれる人は何十万 とかいわれる。でもそこに授けら れる金も身護摩も、いってみれば 都合のいいのを買わされている感 じがする。つまり、自分の願い事 が金によって賄い買わされている 感じがする。しかし、この浮世の それにつけ加えての不況という不 安と焦燥にかられて毎日を送って いる現代人の悲哀がそこにあった。 道行き、一人の老人と一組の夫 婦の人達と話を交し合うことがで きた。老人は護摩に家内安全を、 また夫婦は商売繁盛と交通安全を、 祈願すべく注文するという。易な 心配しているもの、裏を返えせば、 こうなってはほしくないことを護 摩に託し、自分のもっている世界 を大切にすることにあるようだ。 きっと、老人は、その老人とい う身をもっての家内の安全を願い、 夫婦は、互いの仕事たる商売の繁 盛を願いごれからの一年無事に暮 らせるようにとの心からの願いで あろう。 ところで、自分はそこに行き、 これほどの人を集めることができ る神社仏閣から、やはり日本人の 精神のよりどころがここにある、 という感じもしないではなかった。 後日、テレビで放映されていた が、ひにくにも大師に集まった金 を、銀行月(第三者)がそれを数 えているじゃないか。何かを考え られないではいられない感があっ た。それは時代感だろうか。
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