広報かつら 第10号 1962(昭和37)年 1月
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(1) 第10号 広 報 か つ 昭和37年1月15日 2月分砂利敷予定日割 昭和37年1月15日発行 (第10号) 発 行 所 東茨城郡種村役場 発 行 人 高 須 鴻 三 印 刷 所 行方郡潮来町 株式会社散 文 館 平和なる種村の村長として 韮に旧年を送って新しき年を 迎え は重く村民各位の絶大なる御 支援と御協力によるものと衷 心より感謝すると同時に皆様 の御多事を御祈りいたしま す。 顧みれぼ昨年幾多の事業を 起しましたが、何れも皆様の 御理解と御協力によりまして 或は己に成功し、・然らざるも のも順調に進捗しておること は、全く村内平和の賜と信じ て疑わない次第であります。 先づ多年の懸案たる畔地区 の水道問題も己に配管に着手 して居ります。今後更に水道 問題については、他の地方に も及ぼしたいと存じます。 道路問題については本村は 水戸宇都宮の問に位し、交通 阿波山 上神社 したが、前年斯く御前山下よ り赤沢までの改修を終り、昨 年赤沢以南の道路測量を終 り、三十七年度には改修を見 る筈でありますから皆様の御 協力を願います。石塚下より 上拝までは」ほ装工事中であ ります。昨年までほ装の全然 行われない村は本県管内で僅 か十ケ村と聞きました。皆様 の御要望により昨年漸く始め られ七次第であります。 本年も引続き施行きれるこ とと存じます。次に阿波山塩 子繰も施工中であります。本 年も引き続き施行する次第で す。此の線は昨年から阿波山 錫高野まで茨交バスの運行を 始めましたが、其当時本県管 内でバスの運行なき旧村は岩 船一ケ村でありまし旦父通機 関の発達せる今日、バスの通 じない村落へは嫁むこの来る 人むないという実情だと聞い て居ります。私は更に錫高野 から高久北方坪まで道路協改 修してバスを入れ、更に高根、 岩舟北方を連る道路を改修し 畠 果を挙げ得た事と信じます。 本村はたばこの生産地であ ります。其の収納価格の増加 については、あらゆる方面と 連絡努力の結果、昨年度に於 て一一、六五%本年度に於て 一〇、一九%の増額を認めら れましたから農家の収入は相 当増加することと存じます。 亦此運動は本年も行うつもり であります。更に畜産につい ては農協に協力して年豚静の 導入をはかり相当の成績を挙 げて居サます。今後は更に水 戸以北の町村と連絡協調んて 国有林村有林を開放して年の 放牧を計画して居ります。 なお特種農産物たるみか ん、りんごの栽培も引続き奨 励したい考えであります。 次に農協の合併にづいては 饗 蕊 阿波山上神社は、農耕医薬の神である少彦名命を祀り、 粟、阿波山及び上下阿野沢の鎮守で、延書式内の郷社であ りました。 土俗の伝えによると、昔少彦名命が御手に粟の穂を持つ て此の地に降臨きれ、地万民に農耕の業を教えつゝ大国主 命をお待ち受けになったといいます。けれども大国主命が なかなかお見えにならないので「待つはつらいものだ。’」と おつしやいました。・この事に依って氏子の人達は、今に至 るまで「ま?」といふことを忌み、新年には門松を立てず、 庭に松を栽植せず、人命にも此の文字を避けております。 創建は文革天皇の大宝元年(皇紀1361年)ちようど1260 年の昔に当り、本県での最も古い神社の-であります。嵯 峨天皇から勅額を下賜きれ、光孝天皇の仁和2年従五位上 となり、延喜の代には式円の官署となりました。現在の本 殿は天保年間の改築であります。 境内参道の左にある杉の巨木は「大杉様」といって祭神 降臨の塵木ときれています。明治の中頃迄は、此の大杉と 社前との蘭を百度往復して参拝祈頗をこめる風習がありま した。戦国の頃、太田城主佐竹氏にお家騒動が起きたとき、 若き城主佐竹義舜は単身太田を脱出し大山氏の援を求め、 当神社に謀叛人討伐の祈願をこめ、首尾克く本懐をとげた ので、佐竹の本家で雨中恩奉謝の為に、門松を遠慮し、秋田 に移封後も永くその家例を攻めなかったということです。 (徳宿克忠寄す) 村民の皆さん 明けまして おめでとう ざ しヽ ま ‖tこ、仙℡州羞 昭和三十七年の新春を心か ら祝福し、村民の皆様方の御 多事をお祈り申し上げます。 きて昨年は卒直にいつて本 村は合併以釆の宿願達成の緒 が見えだした年であつたと思 います。即ち那珂川の水魔を 防止しようとして長い間努力 を続けて釆た築堤工事が廼設 省の手によつて実施きれるに 至った事、主幹道路である水 戸烏山線(県道)の改修及び舗 装工事がやつと開始きれた事 ダンプカーの購入によつて村 道が整備きれる㌻つにな?た 事、惑水に悩み続けて釆た坪 地域に上水道が設けられるに 年頭のちいさつ 議会議長 広 木 香 至った事、数年に渉つて調査 し、討議を頭ねて釆た所謂統 合中学校の罷設が実現しよう とした事、県下に魁けて村費 にまる奨学金制度の出来た 事、選択的拡大の趣旨に添つ て、帯産、葦鶏、果樹、読菜、 大豆等、適地通産の農業経営 が飛躍的に増大した事、婦人 会、青年会を中心とんた生活 改善運動が着々と成果をあげ て釆た事等はその重なるもの でしよう。勿論これ等のこと は、或時は一丸となつて県は 勿論のこと、政府国会に陳情 し、或時は夜を徹して語り合 うなど長い間の努力の賜であ り、誠に同慶に堪えません。 鼓に昭和三十七年の新春を 迎えるに当り、昨年の足跡を 反省し、検討し本年はいかに あるべ長か‖新たな希望と決 意を持たざるを得ません。 申すまでもなく年毎に世の 中は発展しております。然も その様相は誠に急速 の度を加えて釆てお ります。それらのこ とば、たま′\この 村を離れて屑謂先進 地に行った時にま まざと見せられる場 合があります。同じ 規模の村が、又同じ 立地条件にある農村 がなぜこんなにまで 格差がついてしまう のか、真剣に考えき せられます。そして その時限つて「よく もこんなことが出来 たものですね、その 方法は。」と第一問を 発します。すると色 々と説明して呉れま すが、最後に必ず苦 新春を迎え村民の皆様誠に 御目出度うございます。謹ん で御祝申し上げます。 「一年の計は正月にあり」と 申しまして各家々各個人々々 に計画があると同様に村軋も 計画施策がある訳です。 私は教育委員の の村の教育万両の計画につい て申述べきせて頂きますが、 先づ本年の課題は中学統合問 題にあると信じます。永年の 懸案であり、村民大多数の待 望の的でありますから、今年 こそ中学統合に明け、中学統 合に暮れる意義ある年にした 実現きせることが生徒数から いものと存じます。殊に本年 見て最も有利と思われます。 小規模校のみでは十分な施設 設備も出来ませんが統合すれ ば理想的な適正規模の学校と なり施設々備の充実心た立派 な校舎の建設も出来、本年限 りで打ち切られるのでないか とゆう産業教育振興法の補助 を頂いて技術課程科(金エ、木 工等) の充実を図ることも本 年ならば出釆る訳で実施には 真に絶好の機会であり尚村に 於てもそれに呼応して分散し ていた予算を統合中学一校に 集中するこ上が出来ますから いやが上にも各方面の完璧を 期きれる訳と思考されます。 「茨城県は後進性だ。その中 でも水戸以北は特にそうだ。 この後進性を脱脚しな.ければ ならない。」 とよく言われま す。然し決して天与の資街が ないのではありません。豊富 な水があり、肥沃な土地があ り、山林や草の資掛もあり、 景勝の地もあり、又黙して語 らない豊かな伝統もありま す。要は英知と努力とによつ ていかに之を思策し開発し育 新暦や迎えて 桂村数育委員長加藤晋太郎 出来るも す。 ねば為ら 人ごとで ことなの させられ 気持で進 日牒早く近代施設の堂々たる 校舎の躍設を図り、設備の充 実した校舎校地内で欣々然と して学習に運動にいそしむこ との出来る様に致したいと念 願しでやまぬ次第でございま す。 係上候補地の何れの地に決し ましても遠距離の処から通学 せねばならぬ生徒が幾分出来 ることは事実です。そんな生 徒には愛情こもる親心をもつ て疲労度を軽減し教育効果の 精神的にあがる様な方途を講 じ何れもプライドをもつて勇 躍通学の出来る様いたし、や がては同一校に学んだよしみ で親和融合愛村の至情に燃え る村民となつて頂くことが村 道りの基盤であり父兄にも亦 その義務があると確信して敢 て年頭の辞といたす次第でご ざいます。 このような見地から全村 丸となつて実現に阻みきり 教職員も統合の暁には担任外 (学級を担任しない専門教師) 教員も数名配置きれる訳です から、一人が二三科目受持た なければなうぬ現状の小規模 校は、ひるがいつて一致科に 二名程度の部員を持つ研究部 を組織して専門的に相互研鎖 して徹底した能率の上る教育 も可能となる訳でしよう。 成し利用するかであると信じ ます。この意味において本村 としても為すべき事は多々あ りましようが、特に本年は円 満のうちに鷹合中学校の桓設 を期す事、県道及び主要産業 道路の改修を図る事、特に農 協の合併、軍資源の利用によ る和牛の導入と肥育、水資源 の利用による土地改良、御前 山を中心上する観光的開発、 新生活適動の推進を図る事等 に力を入れなければならない と考えます。物心両面に捗っ て生活を豊かにすることが政 治の要諦であることに思いを 寄せて更に努力することを誓 うものです。所見の一端を射 し上げ年頭の挨拶と致します
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