広報じょうほく No.305 1988(昭和63)年 1月
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前常北町長・大高秀男さんは一月三日午後一時二十五分、急性呼吸不全により、城北病院で急逝されました。享年八十歳でした。大高さんは、昭和十四年、西郷村議会議員に当選されて政界入りし、昭和二十一年十二月まで連続二期奉職され、その間、昭和十六年十一月には茨城県議会議員に当選され、昭和二十二年二月まで県政の場でも活躍されました。昭和三十年三月、常北町の初代町長に就任の後、昨年三月任期満了を機に勇退されるまで、通算六期、延二十二年四か月にわたり、本町の最高責任者とし「一三悪号Fー一J正一J一J.、..‐静一一一.叫一》哩一》一一一・一一一》雪・”‐;蕊÷鍵篭溌;誠…認蕊蹴,i:蕊蕊息嫁蕊鰍:伝弔rF・塀:・・,~‐て常北町の基礎づくりから豊かな今日に至るまで、一貫して我が郷土の繁栄と町民福祉向上を念願し、津身の力をふるわれました。また、城北地方、水戸広域市町村圏等、広域行政にも多大の功績を残されました。大高さんの永年の功績を顧みますと、本町の基幹産業である農業については、農家経営の安定をめざして農地の土地改良事業とあわせ、那珂川流水を東部地区へ、また、藤井川の水を前沢川灸あるいは春園・小坂方竃需鐸》軸》》》》一面の西田ルベと雲これら世紀の導水事業を完成させたのをはじ.め、商工業の振興のための融資制度の抜充等による中・小企業者の経営安定をはかるなど、産業の振興に壷力されました。教育については、町総合のシンボルとしての中学校の統合、水農石塚分校から常北高校への昇格実現をはかったことや、すべての基礎は教育にあることをモットーとして、学校教育、社会教育、社会体育等教育行政の充実発展にも壷力されました。町民の最も基本的欲求である健康維持についても蓋力され、全町水道化の実現のほか、各種健康教育、健康診断の充実のほ▲名誉町民の推挙状をうけるありし日の大高さん(トレセンにて》名誉町一民である前常北町長詮どうか皆さま方のご協力を大高秀男さんの、多大なるご功賜わりますようお願いいたしま錆をたたえ、永年のご苦労に感す。謝申しあげるために、胸像を建なお、募金は二月二十二日か立して贈呈することを計画中のら三月十五日まで、次の場所でところ、突然の計報に接してし受け付けております。まい誠に残念でなりません。○故大高秀男氏胸像建立会事務しかし、幾久しく栄誉をたた局えるため、町内外の有志により常北町役場総務課内募金を行い、胸像を建立したい電八八’三一二内三二と思います。か広域によるし尿、ごみ処理場の稼動等、環境衛生の向上もはかりました。また、農業者健康管理トレーニングセンター、老人センター、家族旅行村藤井川ダムふれあいの里、町営住宅の整備、町道の改良舗装のほか、消防力の充実や交通安全にも力を注がれました。このように、時代に即した行政手腕、行政実績は絶賛すべきものがあり、天性の温厚篤実な性格、強い責任感、沈着にして冷静な判断力、そして清廉謹直故・大高秀男氏胸像建立にご賛同をなお人柄によって、昭和五十年四月には町への浄財寄付により紺綬褒賞が、さらに昭和五十五年十一月には、地方行政のこれら功績が認められて、勲四等瑞宝章の栄誉に輝いております。昭和六十二年七月には、めでたく常北町名誉町民になられたのであります。これからも、故人のご遺志を継ぎ、町勢進展のため蓋力することをお誓いするとともに、安らかなご冥福を衷心よりお祈りするものです。同広報じようほく-467-
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