広報じょうほく 1956(昭和31)年 9月
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常北町報(3)昭和31年9月20房追加更正予算案(汁一号)について二、昭和三十一年度特別会計(直診)歳出更正予算案(汁一号)について三、常北町議会定例会の回数を定める条例の設定について四、常北町議会定例会規則一㎡{が口さきだけに紗って、邸実は背その虫凡の封建的や、椛力のある者が蝿い者をこまらせ、暴力閉や町のボス達によって、常におびやかされ、いるノー無理なことをいわれても泣きねいりをしなければならないことや、最もひどいのになると、人身売買のようなおそろしいことまで行われています。躯達は.慾法によって健康又.親の生活の苦しみから・・冊三壷・、罷弘協吟魁凶刃必要えぽ』廷偲鮮嘘蝿濫龍窪蕊擁露悪鯉確新生活蕊蕊繊瀧測惑溺扉躯翻鑓濯鯉鰯腫金輪鑑といわれるもので、これがまょこもないのに稗察につれて動として各地に展開され協議もられて始めて理惣の民主主行かれ、きびしいしらべを受会の結成、モデル地区の設義社会となることが出来茎けたというようなことも正し定、展一不会や研究発表会‐、指画畔認華緬碓窪疫鍵銅逢吐誕一峨鋤姉吋雪唾馳症軸ろせはい癖鑑嘩唾華霞誇鋤騨唖獅淋紅燕撫麟騒薙灘螺峯蝿常北町議会河紐鮭詮員会条例一い診る畿演」をしたいもので誕達はこの艇うに正しく強一で化のめぐみを受ける「“いきが一い史予。|戒部改正についてす。つ注り自覚された個人にく生きるため、今後大いに努農九月十四日午前十時から常六、常北町議会会議規則一部よって、温い社会が作られて力し明るい社会にしたいものげ北町役場に於て全員協議会開改正について始めて、基本的人権は保障さです。当町の人椛擁謹委員はを偶、午後一時より左記事項付一七、常北町特別賑の賑員で非れると思います。左の方ですから、どうぞ遠慮部議の為臨時議会が招集された常勤のものの報酬及び我川市町村には人権擁護委員がなく御相談下さい。(相談無と三昭和ニエ年度歳竜蝿《韻出一レテ.一一}・一しるのですが三人権じゆう一石塚一、四五八、柳橋千代松お互に人権を》蕊潔窪鶏霊睡患窯鯛蕊鵬諦諏諮屡箪霊乏…ぼ湖州灘鮎港撰に鋤鎮撫鱗灘謡購潔瀞雛熱雑難熊浄灘溌蕊礎鎌;瀧篭記一弁償に関する条例設定に三置かれて、いろいろ努力され-料)|でに正しい者が岐後に勝つとい祭典の合理化う信念をもって努力し、叉社お祭にともないがちな無駄会の上に立ってよく自分の世や姉人の過塘を少くして全町任ということを考えどん方稗村民が共に仇くという立甥かしみにも強く生きぬいていくら山形貼平田村では従来部群覚幣をもたなくてはならないまちノーに行ってきたお祭りと思います。を全村一日ですませるように一方社会は、互に温い手を統一した。さしのべ弱い者を救う気持に各地に於いてお祭の近代化なって、正しい社会保障制匪合理化という点から長い間のがうちたてられると共に、文伝統をすて1祭典の統一が実堂璽一の忌めの報酬及び我川市町村にはえ権擁護委員一がなく御相談下さ睦芋(相談無冒昼一一一等々枚挙に逼なき程各地弁償に関する条例設定につ置かれて、いろいろ努力され料)で実績をあげている。いてているのですが、人権じゅぅ石雪、四五八、柳橋千代松役立つ婦人に八、常北町議会の議員の報酬りんは、人にわから丘ぃ所で〜jjj;4…33…なろう鯉鵠認薙関する条爽窪鑑窪蝿霊蓉嘩榊議曹研修倉研究にいちむ女子青年木九、町有林立木の施却についす。そこで、人権擁謎委員の‐於、8月狛日石塚小学校県金砂の女子青年は自らすすて人達と協力していくことも大県郡町村識会減長会主伽に唖率唾稲挫癖》》劉緯嘩馴榊十、激育委員会の委員理任に切です。しかしそれにもやはよる北部町村議会研修会は8づ食生活から手をつま史に作つき同意を求めるについてり佃人のしっかりした自覚が月豹日石塚小学校において開業衣の研究、暮しよい台所の十一、常北町議会常任委貝理なければ出来段せん。侭された。朕より屯坂水戸支研究、農村姉人に適合した副任についてよく正しいことをいうとひ庁畏、恨本教育那勝所長ら地業の研究、肥料に対する押識よく正しいことをいうとひ庁長、根本敬育罫務所長ら地業の研究、肥料に対する押識垂桝岬峠犀》》“》呼卦嘩恥》嘩討唖岬坪癖尉僻裡榊晒僻》密》』卵や凌詞詣唖下に次現してしる逼実を結んだ共同の力鳥取隈下の奥沢見部落は戸数二六、人口一七七名の小部落ではあるが「共同の力で新しい村つへりを進めてみようではないか」という声が湖まり、五ヶ年計畑で隣村部落に通ずる一・五キ陣メートルの道撚拡眼工那に荊手し、この綴茨堺に完成した、これによって村内にトラックが自山に入ることが可能となり産業の振興に大いに役立つことになった。斯うした共同化の動きも活溌で、共同で蚊と蝿とお撲滅して住みよい村をつくったこと、共同荷代で髄苗の育成に}L▽落雛一昨年十月以降部落全部の意、村民の自覚と努力によつ蝿も蚊もいない理憩郷に癖又これと併行して蒋妻会、人会、青年会等も催され部発展の源をつくっている。その他不潔の村として伝染病が年部落公休日で新しい村つくり,佐賀県下西太田の新生活西功したこと、部落の申合せ迷僑因努を打破したこと、繁期に共同炊惑で実紬をあたこと、各戸毎月一定資金州し抽簸でこれを借用し(二九人に一人、六軒に一人のを受けた者を除く)割合)の多きにのぼり、年為エックス線検在の結果病気結核にかかる人は三三万人にの疑いのある者は、精密検交達するといわれている。結核を行う。桔陵ば一寸手還れにを治療するには、長い時間と多くの我用がかかり、日本全国で結核による一年開の損害は三六○○億円といわれていろ。この恐ろしい結核から国民を守るため昭和三十年八月結核予防法が改正されて全国民に雌康診断を実施することになり、虫た受診義務が法定された。鯉康診断の方法は、ツベルクリン反応検査、エックス線検査その他の方法によって行われる。まづ三○才未満の人はシ・ヘルクリン反応検蚕を行い、陰性叉は疑陽性であ[】聖稜壷趣誌壊所九月一五日シ・ヘルクリソ反応小松診旅所″一七日同械査、BCG撰醐小松診旅所″一八日シ・ヘルクリン反応西郷診峡所〃一九日ツベルクリソ反応西郷公民航″二○日城診、BCG接仙西郷診族所〃一二日検診、BCG接弧西郷公民舵〃二四日シ腰へルクリソ反応上果公民鮪〃二雅日シ響へルクリソ反応那珂西分教場〃二六日械診、BCG接棚上泉公民鮪″二七日検診、RCG接前那珂西分教期十月一日ツベルクリン反応石塚公民舘″三日検診、BCG接諏石塚公民舘時間は何れも午前十時より午後三時まで、筒レントゲン撮影の実施期は追って通知する。・脊黒ざら芥.・溝.|の急心と…醐二●」唱帝芯れられ、嫌われている肺病は、年令、脹業を問わず、また祁市、農村のくつなくひろがっていて、国民の誰もが感染の危険にさらされている。全国の思考数は二九二万人で昌一二・一・一二冒冒一目二一・・一二一・一三・一塁冒冒冒冒冒冒冒冒冒冒目昌一二目目冒冒冒冒冒冒冒冒冒冒冒冒一二二二二二Ⅱ一二国二二二二言一二二二二二二二冒冒一二二二二二二二二二二二二一・二二二二冒冒二二一二冒冒冒冒冒冒冒冒冒冒冒鋤噸鋤》“津幡傘蓉奉睡葬躍一雨湘碓壷叱蛙封癖唾地審魂謝結核予防法による健康診断について一堂左(と推進されている。(所)を行う。結核は一寸手遅れになると治りにぐい病気だが、早く見つけてすぐ治療すれば簡単に治る。結核にうつ上たかどうかは、シ・ヘルクリン反応倹在で、病剣かどうかはレントゲン検森で、陰性の人はBCGの接砿で予防するのが雛脹診断の方法である。恐ろしい結模の予防と早期発見のためめ一家そろって匪康診断を受けよう。本年度は左記日割によってシ反及びBCG接穂を行う。該当者三○才未満の人(学癒を除く)『一L一江一・‘ハ必(港弘一亘一苧賑一(”ロ一一ヶ.》)一幸“稚一蔀祁一・一〉四』一一煙い、賜惟であった人及び三○才以上の人はエックス線検禿(レントゲン間接撤影)を行う。(学校の生徒児菰、勢韮法才八条の那業所の従業者でそれぞれの学校事業所で検秀図画作品等も併せて弥架発送する方針である。j小作地所有状況ぞ記載した書類の縦覧について農地法矛八十四条により申告された昭和三十一年八月一日現在の小作地及び小作採草放牧地の所有欣況記峨智類を左記により縦寛に供する。記一、日時、昭和三十一年九月一日より九月三十日毎日午前八時三十分より午后五時まで(但し日曜日を除く)終戦以後書喜工年ゾ連地域には現在全国で六万三千の同胞が抑留生活を続けており、本県関係でも一千二百余人にのぼっている。その中生存確実の者は十九名ある。気力のみで持ち耐えてきたこれら同胞を、一日も早く故国に迎えるよう、又その日まで元気づけることこそ、県民としての同胞愛であると思う。このような意味から県の各種槌関団体が、一.体となって「在ソ抑留同胞へ慰問品を」の運動を展州することとなった。当町としてはこの連動を小、中学校の児童生徒を対象として取上げ、小学校一児童当り金一円、中学校生徒二円の砿出を仰ぎもって服間品鵬入饗に充てることにした。二.場所ゞ常韮町役蝿農業委員会事務所(農業委拭会螺務局)‐在ソ抑留同胞へ慰問品ぞ-11-

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