七会村勢要覧 2001(平成13)年
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進糧".参識の雌リにも色々と興味毒持一幸」←ます。平成旧年とⅡ年には七会村の文化私は笠間市教育委員会の生涯学、笠間の文化財や歴史の調査・担当していることもあり、自分L一財指導員を務め村の各地域を回りました。徳蔵寺の木造弘法大師像舘量陀羅版木、仏国寺の鋳造十一面千手観音菩薩像や鋼鐘など『県指定のもののほかさまざまな文化財が、私たちの村には残されています。文化財指導員はそれらの県や村指定の文化財を巡回する仕事》P》の■》宮です。遺跡や文化財は地域の共通の文化遺瀧ですが、歴史を次の世代に伝えるには形あるものの保存だけでなく、記録として残すことも大切だと感じています。七会村は7つの村が合併して誕生したという経緯があります。もし今後どこかと合併するようなことがあれば、村の歴史を次の世代へ伝えたい釦歳瀧心が悪冥のメ門ソゼ〉T〉ジ-二血眼》一《一祁酔塀(”醒一凸』恥型一二振出毎一・・↑い』一画■《《r一《一』一搾駈一一一一望唾■畢卸醒串■■一が幸画一』■一一一婦声華一一年蔀一一一■巳■■■】まうかもしれません。幸い、村では文化財を保存じようという運勤が広がっていますし、村史の編纂も始まっています。しかし近年では家の建て替えなどで、しまってあった古文書を燃やしてしまったり、代々受け継がれてきた美術品などを捨ててしまったりすることもあるようです。ぞんな貴蕊な文化財や商い記録を掘り起こして、粧来を担う人たちに自分たちの村を再発見してもちいたいですね。手村の歴史を知ることで、ふるさとを愛する気持ちもより強くなるのではないでしょうか。富田福二乳(徳蔵/56歳/公務員)◎昭和20年生まれ。妻と両親、娘夫婦、孫の4世代7人家族。若い頃から続けている水泳と数年前から始めた詩吟も、現在は孫の世話に忙しく、活動も休みがち。

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