七会村勢要覧 1996(平成8)年 3月
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磨かれた技の数々は 七会村の伝統文化となる。 年輪に刻まれた、時の流れをカタチにする。 木工芸家・堀場さんの工房は、包まれるという表 現をまさに実感できる樫,木の香りに満ちているG 長野県に生まれ、父親の仕事柄、岐阜県や愛知県 に住んだこともあるという堀場さん。七会村へは‘ 年前、神奈川県から移り住んだ。木工芸の仕事を袖 めたのは22歳の時。家具屋で4年間修行し、先生に 付いて1年あまり勉強したのち独立し、12年になる。 「d、さい噴からものを作るのが好きで、自分り手 で最後までできる、一生続けていける、そんなやり がいのある仕事がしたいと思って始めました。」 広い仕事場がほしいと雑誌を見ていた時、たまた ま見つけたのが七会村。誰一人知り合いのいない土 地へ、堀場さんはやってきた。 「こういう仕事は、ゆっくりとしたペースで仕事 ができないと失敗するんですね∴木は、育つにも時 問が掛かりますが、切ってからもずっと乾かして置 かなければならないし、とにかく時間が掛かる仕事 です。そういう点で,騎神的にゆったりと落ち着い て仕事ができる場所がいいと選んだんです。」 主とするものは、一枚板を使った家具づくり。ご 自身は「無垢の坂をまとめる仕事」という。 「重りは、拭さ満という技法です。漆を塗り、拭 巨 っ う がってくるとワクワクしますね(笑)。木の素材が 引き立つ技法で、時が経てば経つほど透き通ってき て、罠も増してくるんです。」 木月の美しさが際立つ技法だけに、デザインを考 える場合、先に木を見て形をイメージするという。 「木目の流れと作ろうとするものの寸法とがマッ チした時は、いいものができますね。また、家具は 使われてこそ意味がありますから、全体のバランス を考え、使う人を想定して作っています。こうした 手作りの良さを多くの方に知っていただけるよう、 いいものを一つでも多く作っていきたいですね。」 堀場 宿さん 彫刻は、黙々と走り続けるマラソンの如く。 欄問や仏像などの美術工芸品を造る吉澤さんは、 水戸市生まれ。15歳からはじめ、京都と宮山県で修 行を稜む。蝕立し、七会村に住んで13年になる。 「笠岡に住む知り合いの方から七会村でやってみ ないかと言われて、見に兼たんです。その時、山に もやが掛かっていて、ちょうど東山魁夷の絵のよう ですね(笑)。木の実の色がきれいだったり、そん な自然に、ちょっと魅せられたって感じですね。」 「小学校時代から彫刻みたいなものを追っていま した。夏休みか冬休みに造ったものを先生方に褒め られたこともあります。でも、褒められたからとい うのではなくて、ただ好きだから、中学校1年の時 には、この道に進もうと決めていました。」 まず面で考え、図案を書き、それから本に向かう。 慎重になるものほど、図案を考える前から夢にうな されると吉沢さんは苦笑いでいう。 「デッサンから彫る深さを慎重に考えないとバラ バラになってしまう、その辺鱒一番難しい所です。 デザインが惑いものをいくら時間を掛けて良く彫ろ うとしてもだめですね凸形良く描ければ措けたなり に木は生きてきます。欄間の場合は、目線を頭に入 れて、半平面にどれだけ立体感を出していくかが大 事です。仏像などの立体は4面から見て桝っていき ますので、そこがレリーフとの違いでしょうか。」 納まる空問によってふさわしい木やデザインを考 え、納得するまで図案を措き、攻めていく仕事。l 作期間は、半年近くを要するものもあるという。 400本を超える彫刻刀を巧みに使い分けながら木 に命を吹き込んでいく、そんな感じかもしれない。 「この仕事は、一人でずっと攻め掛ナなければん らないマラソンみたいなものですね。完成した時は 書びというか安埼感を覚えるという感じです。今後 は、伝統感な技絹とデザイン的要素が融合した作品 を追っていきたいですね。何かを訴えられるような、 いいものが造れたらと思っています。」 吉澤眞澄さん 二≡3S
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