七会村制施行100周年記念要覧 1989(平成元)年 3月
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阿久津さん膳一・ただなんと。ご・く・」入ってしまった道といいますが、その仕事ぶりは「なんとなく」どころか気迫がこもっています。『親父から手とり足とり教わった事はないな。仕事は見よう見まねで覚えた。あとは努力だな、本人の。食べていくためにはどの商売も同じだ。努力しないとやっていけない。親父から特〃一生努力しろ〃と親父に言われた》■夕■g「》g一一■■一一昨一■一国’(一一一一■苛師》』評帖》》一五一叫唖唖》一■睦画」零F一mF■■》一■一気が暖まったりする現代では、「火」をたいて何かをするということが少なくなっています。部会の子供たちは汗、いガスの炎しか兄た事がありません.阿久津孝夫さんの所に来ると、「火」の力とか、炎の熱さをあらためて知ることができる気がします。阿久津さんは手打ち刃物の職人さんです。品評会で特選をとった事もある阿久津さんの刃物は、よく切れると評判です。「中学校卒業してからだから、もう二○年位やってつかな・雄初からこの道に入りたかったわけでもないけど、学問の方が弱かったしとりあえず七・八年やってみて、ダメだったら転職しようと思ってたんだ。そうこうしているうちに親父が病気で倒れちゃって後継ぐ者はオレしかいないっていうことでやってきた」。に言われたことですか?そうだねえ、〃お客さんを大事にしるよ″ってことと、あと〃努力しろ″ってことかな。〃おれが一生努力してきたんだから、お前も一生努力しろ。この仕事は完成したっていうのはないんだ〃ってね」。熱い炎で何度も焼かれ、叩かれた刃物は、阿久津さんの足で遠くは水戸まで売りに出されます。阿久津孝夫寛自分でもそ三思ってる。「午前中つくって、午後売り歩くというよ、7にしている。この辺だいたい五○隙範囲内だね。昔は一○陽範囲で充分食べていけた。どこの家も農業やっていたし、一軒まわれば三丁くらいの直しが出たりしたから。でも若い人が農業をいやがって機械化がすすんでいるでしょう。国の政策だって減反だしね。そんなわけでうちらの商売も逆妥協を許さない職人気質がすぐれた作品を生み出ず.くまで足を伸ばさないとやっていけなくなっている。時代に逆らっては生きていけないもんな。以前、修業させてくれって荷ってきた人もいたけど断わったんだ。韮本で一○年かかって結肘ものにならなかったらどうしようもないもんね。辿楽でやってんならいいんだよ。でもそれで生活すんのは大変だっていうんだ。努力なんだね。あとは営業かな。一○年間ずっと同じものをつくっていてはダメだね。器用に新しいものを考えていかなきゃ」。この道では多分若い方に鵬すると思われる阿久津さんですが、お客さんから古い時代の農具をつくってくれと頼まれることもあるとか。「こわれたものでも兄本があれば何とかつくっちゃう。年とった人は、こういうのが本物だってわかってくれる。若い人は柄さえついていれば切れ味なんてどうでもいいっていうのが多いね。手打ちの切れ味よりも価段の安さで選んでしまう。価雌感が違ってきてるのかな」。

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