七会村制施行100周年記念要覧 1989(平成元)年 3月
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土をこれながらのうれしい壬言です。え〜と、それでは大きいものがいいですネ、などとこちらもすかさずリクエスト。山あいの静かな工房で、ロクロがかすかな音をたてながら回り出しました。「塩軸焼っていうは、塩を一二○○〜一三○○℃の商温でガスにして、それを粘土のなかの成分と化合させる焼き方のことです」。家庭で、蝋を火にかけるとパチパチはねるでしよ、あれを利用したようなものです。と言われてようやくうなずくことができました。「搾れに千葉の方で個展をやるんで、今はそのための作品をつくっています。個展は毎年開いてる。このときは結椛大きい作品が多いですね。食器もつくりますけど、だいたい笠間とか東京の店に出しています。でも笠間に識いて・・要害篭.崖受理識二人の陶芸家か藤らしています。そのうちの一人、清水正輩さんはもともと七会村の生まれ、山びこの郷の近くに窯を築き、毎日、「塩洲焼」に取り組んでいます.「笠間と多治見で修業してね。昭和五十年の謀れからここでやるようになった。実家がこっちだったから帰ってきたという感じで。あ、何か作りまし清水正章さん焼き物ができる.キノョ採りができる亘苦一・・〃L己。》丘一.ロ幸岬酢幸器一,一辞一一〃〃.ハロ・・7』On0p・一雲毒もr{一哩誰《L¥《〃』Q季小てごっそり持つてっちゃうから、どのあたりまで自分の作ったものが流れているか、ちょっとわかんないな」。ロクロを岡す満水さんの後ろには、乾燥中の器たちが、窯に入れられるHを待っています。「窯出しの瞬間といっても、それほど緊張しないな。憧れちゃえばだいた屍それで充分ですc■》■|》》F郡酬加《』》一日■辛牽■届(■一■〃、己r《”帝■■■壷一一】一『で杢岬一》一一坐唾畢韮一一m》〃ニグ(》一《轟一は雌後の方で棚度を止める時期ですね。この目安がむずかしい9いつ火をゆるめるかで作品がだいぶちがってくるから」。工豚の外の草はらに点々と満かれたかめや大皿も、この緊張の一瞬を経てできあがったものなのですね。満水さんの塩紬焼は、あたたかい形ロクロを回す姿からも清水さんの陶芸に雛け.る熱き想いが伝わって〈書と色をしていると思います.諜斎の本棚にちょこんと殻いただけで、その周りの空気がホッとぬくもるような、そんな形と色なのです。「この村に住んで陶芸やっている二人が二人とも、作風がちがう。焼き物で交流することはないけれど、そのほかの遊びとかでは付き合っています。大村さんも中村さんも、県外の出身将ですけど、この村に米たいっていう陶芸家はけつこういるんです退今も″家、探してくれ“って頼まれています。でも、ここは完全に独立した空き家がないんですよね。夜、仕事したりするもので、歴敷内の空き家では大家さんに迷惑がかかりますから。家を新築する位のお金がない人は、どうしても空き家を.ということになるんです.ll私は、ここの村の生活は気に入ってますよ。行政にこうしてほしいっていう恥もないな。そもそもそういうことは懲識にない。焼き物ができる、山でキノコ採りができる、それで充分です」。

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