七会村制施行100周年記念要覧 1989(平成元)年 3月
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昔むかしのことです。弘法大師という偉いお坊様が山深い地に寺を開こうと、この地にやってまいりました。*弘法大師は、徳蔵にある徳蔵寺に、しばらく滞在することにしました。ところが、困ったことが起きたのです。この徳蔵という所には、不思議哲ことに、一年に一人ずつ美しい娘が生まれます。人々はこの娘のことを「徳蔵姫」と呼んでおりました。その徳蔵姫が、こともあろうに弘法大徳蔵寺の大師;す師を好き←な》一Lェぞたの一可「大師さま、大師さま」姫は片時も大師のそばから離れようとしません。弘法大師は、ほとほと困ってしまいまに木し思た寺替で座夜力た木用一しせ気のばつ大。をわそす像のヤ・をの計そたん付像らて師ぬりし。をうを大伐大をこ。。きでくいだけにてつち彫師つき案で弘、あしたと*出、こくにつはてなじ、*法あるて姫ばし大れつ自て、き力、あ大わこかはかま師をた分、こまヤ馬る師てとら、りしは身のの一のしの槽時は。”か唾洋一.“・や他L・》銭、0摂掛・器‘、’1.。恥斑帆長蝋齢溌蕊難て後を追いかけました。「まってください、大師さま」けれども、あんまりあわてたせいか、稲田まで来たときにお茶の木につまずいて転んでしまったのでした。のちに姫はこの時の傷がもとで死んでしまいます。稲田の人々は、かわいそうな姫を神社に祁ってあげたそうです。この神社が、今の稲田姫神社とか……。*さてさて、姫から逃がれた弘法大師は、赤沢までやってきました。空がうっすらと白ん一・匹。、一四・・一‐司副《・‐‐〕ず』耳↑二・屈二か》二・〃一一・寺でロ・桑.〉F〕〃言]クグルてきます。そこで大師は、ここを「明け沢」と名付けました。赤沢という地名は、この明け沢が元なのだそうです。*寺》全一次に大師は、大沢に入って護摩た焚きという修行をすることにしました。護摩を焚いていると、どこからか鶏の鴇き声が聞こえてきます。(こんな山に鶏がいるのか)大師は、山の上まで登ってみることにしました。けれども、山頂にたどり着いたとき、鶏の姿はどこにも見えません。かわりに眼に入ってきたのは大きな大きな岩でした。(さてはこの岩が鵠いたのかな)そう思った大師は、この山を「鶏足山」と名付け、自分の護摩壇石にしたということです。弘法伝説〜徳観姻とトー.ももフ寺、/、&、ノハ鶏足山〜ふるさとの伝承
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