七会村制施行100周年記念要覧 1989(平成元)年 3月
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開示lL」の議哩II-I蚕(し〃〃瓶山の別称だと言えばうなずいてもらえると思います。この「引布山」は、徳蔵寺の山号でもあります。昔、L47徳蔵寺が三百坊を擁し勢力盛んだったころ、八瓶には白装束に身を包んだ僧兵が、列になって山頂へ壷って行きました。その様子を遠くから見ると、まるで臼布を引いたように兄えたため「引布山」と呼ばれるようになったそうです。す号のお”みことさて、この八瓶山には素蓋鴫命の伝説があります。山頂に埋められている八つの瓶は、素蓋鳴命が八俣の大蛇を退治する際、蛇に飲ませるために使った瓶だとされており、また、山頂近くのお堂にはそれに関連した伝説をもつ鉄製の弓矢が縦かれています。この弓矢は疫病よけになるといわれており、病にかかった時はそれを借りていき、治ったら・一本にしてお返しすることになっています。古の道にはロマンがある伝説の人々伝説とロマンを秘めた八窓山の登山道徳蔵から藤井川にそって小勝まで行くと「かいころばきんし」の近くにさしかかります。背、批門さまがⅢ光へ参けい詣されていたころのこと。偏心深かった茂門さまは、小勝の鹿島神社近くを通るとき、必ず胸から降りたといいます。百姓たちは遠くからこの様子を兄て「競門さまが鵜からかつころばつたようだ具ころげ落ちたの意)と荷い、それがいつしか「かいころばし」の地名になったそうです。小勝は幕末のころ、幕府軍に追われた天狗党の大将、伊瀧益良が部下の伊藤斉富とともに逃げてきたところでもあります。彼等が敵に囲まれて脚害した商川山中腹には、村人の手で雄てられたお宮と碑があり、「お天狗さま』と呼ばれ、今も大切に祁られています。山頂にある八ツ瓶.中の水をかき回すと雨になるといわれてい鉄製の弓矢が納められている
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