七会村制施行100周年記念要覧 1989(平成元)年 3月
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村制施行100周年記念ロ特集《‘茎一一少崖か(↓では無医村だ(だこともある七会では、薬屋のもってくる家庭薬が亜宝がられてい●ました。〃どつけしいらんかねえ〃と言いながら、村を歩く越こんがヤリ後の毒消しやさん。紺緋の着物に大きな風呂敷包み。この中には薬のほかに特産品の刃物や、日用品が入っていました。遠く四国から、毎年のように訪れていた「千金丹や」さんもしかり。紅白の縦じまの帯で箱のような黒いかばんを背負い、一軒一軒を丁寧にまわります。春、桜が咲くころになるとやってくる千金丹やさんは、村の風物詩でもありました。富山の「置き薬」は現在も続いていますが、やはりこれも決まった人がやってきます。行商で村をまわる人にとって、「道」は大切な商いの場でもありました。小間物や・醤油や・魚や.下駄や・旅芸人。いろいろな人がふれあいも生まれた昔の道一道」が商いの場だったころ壁_雷圭=一瞬一…『・=一四二・歩=子供達にとって豊かな自然は、今も昔も最良の友だ置き薬も長い道程を経て運ばれた峠を越えてやってきていました。村で鮮魚や仕出しを扱かっている小滝猛夫さんも、鹸初は自転者の後ろに箱を種んで魚の行商をしていたそうです。「三五年ほど前から始めて、一○年位やりましたかねえ。カツオの時期に始めたんだ。笠間の朝日屋に魚をたのんでおいて、といってもカツオ五・六本さあ。昔はみんな貧しかったから祭りや盆・正月くらいしか魚が食えない。ふだんから食べられるのは数軒しかなかったからね。あのころは、常北の方から行商にくる人もいました。〃こんちは″っていいながら入っていけば、だいたいわかっていて買ってくれたもんです」。かつてはふれあいの場にもなっていた金峰神社にも、今はひっそりと…..
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