七会村制施行100周年記念要覧 1989(平成元)年 3月
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100周年に思今上会村議会議災阿久津力男ごあいさ-●明治22年に市制町村制力捷行され七会村力挺生してか皇100周年の記念すべき年を迎えます。当時、日本の人口は約3千万人であったのが、現在自侭3千万人と急激な増加にみられるように、急速に社会経済が発展成畏を遂げてきました。この間、経済恐慌、m¥瀞蹴喚'妻綴ぁ総巽繍蝋蔚変動の中で、七会村も等しく幾多の困難に巡遇してききした。しかしながら粘り強く一歩一歩適切に対応し、今H、七会村力憐々と発展した影には、村の発達に情熱を傾けられた先雅各位の苦労と努力があったことと深く雌意を表わすものであ')ます。今、日本は貿易摩擦と円商で国民生活は国際化の荒波にさらされています。特に艇林産物の輸入自由化は、展村に暗い影を落としており、本村においても、農林業の不振、過瑚批の問題等厳しい悩勢下にあります。しかし、七会村はこのような激動する中においても、いかにして、より盟かで生活しやすい村にするかを飛火の課題として取り組んでお';ます°瀧年の懸案でありました小学礎充合による教育施設の充実、農林業の振興、生活環境の整備、通路網の整備等、戸新実に村政は発展しています。厳しさにひるむことなく画希望を膨らませ、藩実に未来に向かって前進しています。これから世界で発展する地幣は、西太平洋地域、すなわち日本を中心としたアジアだといわれております。そして日本の''1でも東京より北の茨城を核とした地域とL:われます。徐々にではありますが、あらゆる面で確かな足音力逝ずいているように思われます。県北の開発も一段と進展し、地域格差を縮めようという動きが顕蒋になろうとしています。こうした1群代の流れに、いま乗り遅れるわけにはいきません。しかし、他力本願であってはなりません。小異を捨てて大同につき七会村の地域性、特殊性を活かし、どのように開発し、どう発展させるか、しっか:;と未来像をとらえ大所高所から判断する岐路に立っているのが、現在の七会村です。この100周年を礎に輝かしい21世紀に向かって活力あるIリ1るく豊かで生活しやすい七会村を築き上げるため、そして次代に誇れる村づくりに努力することが私達に雛せられた使命であります。認織を新たにし、新しい七会村の飛mを祈念いたします。七会100年を契機に上会村要岩下金司七会村は、明治22年4月の市制町村制の施行により、旧来の徳蔵村、上赤沢村、下赤沢村、典端村、大綱村、塩子村、小勝村の7力村が合併して誕生し、平成元年4月1日に村制100周年を迎えます。-itffiにわたる本村の歴史を振り返ってみますと、激しく揺れ動いた社会経済附勢の中にあって、多くの村民の皆様が郷土愛に燃え、幾多の困難を乗り越えて、今日の七会村を築いてまいりました。このように村民先輩各位のたゆまぬ努力で築いた村制100周年の愈縦は、ただ』I'-に過去を噸みるだけでなく、先人の歩んだ100年の歴史と伝統を踏まえ、美しい自然に恵まれた七会村がさらに発展する契機とし、来るべき次の世代に今日までの歩みをどう伝え生かしていくか;こあると思います。そのために、間近に迫った21世紀を腿望し、七会村鐸新しい村づくりの長期指針として、昨年3月に七会村露二次総合計画(後期基本計画)を策定いたしました。この総合計圃の基本理念であるr活力と心のやすらぎのある村づくり」の実現を図るため、畏年の懸案であった統合小学校の建設等教育文化施設の整備をはじめ、*焼展の基盤である道路網の総備、農林商工業の振興、商齢化社会を迎えての福祉医療体制の充実、艇林業を生かとた観光レクリエーション韮地「山びこの郷」の整備などについて、村議会及び村民の皆様の深いご理解とご協舞のもとに具現化に向けて全力を傾注しております。しかしながら、真の村づくりは行政だけでできるものではないと思います。21世紀に向かっての新しい村づくりには、村民の皆様と行政がしっかりと手を結び、知恵を出し合い、村全体が一丸となって取り組むことが何よ'}も必要なことであります。私は、今後とも「対話と協調」「住民参加」による行政を基本としながら、村民の皆様の英知と刺意工夫を結集し、力をあわせて蝋友愛いっぱい豊かで明るい村づくり鱈に取り組んでまいります。村民の皆様方のより一聯のご支援とご協力をお願いいたします。この要覧は、村制100周年を迎えるにあたり、七会村の新たな飛踊を祈念し、本村の歩んできた歴史と現況を皆様にご理解いただくため発刊したものであり、今後の村づくりに大いにご活用いただければ幸に存じます。
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