誕生40周年記念 桂村勢要覧 1995(平成7)年 2月
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那珂川の洪積層から成る豊かな大地と 水利に恵また種村の有史は古く、大宝元 年(西暦七〇一年)の創建と伝えられる阿 波山上神社は、本県でも最も古い神社の 一つです。北方地区にある頓(循)化原古 墳も、三世紀頃から七世紀頃までの成立 とされ、全長三五メートル、高さ約三メー トルの前方後円墳です。縦二メートル、 横∵八メートルの巨大な石材で囲まれ、 完全な形で保存されている貴重な史跡で もあります。 村のシンボル的存在の大山城址は、長 承年間に鈴木五郎高卿が築いた城といわ れ、後の正平一〇年に佐竹義篤がその子 義孝を大山に封じて、この地の佐竹支配 を強固なものにしました。義孝は地名を とって大山氏を名乗り、八代の義景まで 居城としました。堀の内にある下坪館址 は、佐竹宗義(石塚宗義)の館と伝えられ ています。 中世期の佐竹支配の後、この地は永戸 藩の領内になり、徳川氏の支配するとこ ろとなります。 高久の鹿島神社には、徳川光囲ゆかり の悪路王面形彫刻が保有されています。 鹿島神社自体も精巧な木彫りの本殿を有 する由緒ある神社で、悪路王面形彫刻に は、坂上田村麻呂の伝説があります。坂 上田村麻呂が奥州遠征の途中、鹿島神社 に武運を祈願。そして敵の大将アテルイ (要路王)を倒し、奥州平定に成功しまし た。再び鹿島神社に立ち寄った田村麻呂 は戦勝を感謝してアテルイの首を神社前 に埋め、アテルイの首を模して作った木 製の首を奉納したというのです。 この話を聞き、彫刻をみた光園は、彫 刻が傷んでいたので修理を命じました。 それは彫刻のノドの部分に光圃の名と年 時、元禄六年(二ハ九三)が記されている ことからもわかっています。近年、面は 氏子たちによって補修され、原物は県立 歴史館に預けられ、複製品が本殿に納め られました。神社鳥居から一五〇メート ルほど離れた参道わきに、悪路王の首を 埋めたという「休象」が残されています。 また近くの諏訪神社には、光閲が凶作 に備えて稗蔵を建てさせたという詰も伝 えられています。 古墳時代から奈良、平安、南北朝時代 を経て、佐竹支配から徳川支配へ、桂村 の歴史を辿ってゆくと、はるかな時の練 れを感じずにはおれません。光固公が訪 れて激賞したという萬歳藤を見て、後に 訪れた粛昭公は「咲く藤の花なき頃に釆 てみれば めぐみのもとにあるぞ楽しき」 と詠まれています。今は規模こそ小さく なっていますが、先人の足跡を訪ね、そ の想いに触れてみるのもよいのではない でしょうか。 】.阿波山上神社 2.頓(徳)ヶ原音墳(種村指定史跡)

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