合併25周年記念 桂村勢要覧 1980(昭和55)年 11月
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〓五周年を迎えた村にとって、今後の姿ガ 村民に一番、気になるところ、そこで村長に これからの種村を語ってもらいました。 1*- わたしの行政姿勢は、村民ひとりひとりと の対話を基本にやってきました。対話といっ ても、行政的に用事ガあるから集まって下さ い式のものでは、真の対話にならない。それ を一歩進んで、道端で会った農家の万、商店 で買物どきの主婦などに、萄った折などであ らゆる機会を、促えて、二看でも二喜でも生 活のこと、村政のことなどについて話をし\ また聞き、なるほどと思うところを頭にぉい て行政構想をつくってきたわけです。 ます村民ガ喜んで住める生活環窮づくりと いうものを基本にし、中でも道路の完全整備 と、大宮を結ぶ架橋の促進を二舌先に取りあ げました。 また、農地碁盤の整備の全村化、国道沿い は、二五〇ヘクタール終り、五年から三年 間で山間地帯の五〇ヘウタールをやり、旧拐 高野地区を桂川のだ行した河川改修も含めて ≡年で二〇ヘワタールを終わらせる。あとは 下拝地区に一カ所あるだけ。農畜産行政は農 協と協力し、和牛の蔚育に刀を入れてます。 「和牛組合」を作り、組織化してなかなかの 成贋ガ上ガっているようです。農政面につい て非常に意欲的に取り組んでいるのは、わた しのとこうだけと自負しています。 教育については、施設の充実として保育所、 幼稚園、中央公民館などの早期建設、体育施 設を取り上げてきました。「」れは、新生活運 動の推進とか、体力づくりを観菊釣に進める ことであり、この体力づくりは全国的な組織 で、毎年全国大会ガ開かれ、五四年に行われ た取鳥大会でわたしどもの村ガ協議会良質を いただいてきました。 身体を触れ合いなガらコ≡ユニティづくり を進めるということから体育館は、必要にな ってくるわけです。中央公民館、村民体育館 老人福祉センター、村営住宅など村民生活 密着する施設も完成しましたし、亀田地区の 土地改良事業も完了し、応の目的は果せま した。 いままでを反省すると企業の誘致ガ不十分 であったように思う。しかし、「」れについて は、大きなプロジ工ワトとして笠岡地区の広 域農道の建設ガあり、すでに僑の設計に入っ ており橋ガできると五五年豊から水戸中核 工業団地ガできる予定になっているガ、ここ はれたしどものとこうガ一番近くなるので、 企業の誘致を具体化する上で都合ガよくなっ てくるのではないかと思います。 これからの村のビジョンは、明るく豊かな 緑の村というだけでなく、この中にゆとりと いうものを加えたい。それには広い意味での 教育の振興と農業をはじめとする商工会など を含めた地場産業の振興をはからなければな らないと考えています。観光に対する取り組 み万は行政の中でも浅かったきらいはある。 これから観光面での住みよい地域づくりとい うものを桓極的にとらえていかなければならな いと考え、△フ後の策定をしていきたい。 璽 村 章 昭和41年10月、一j披 から公募し選定したも ので、桂村の「カツラ」 を組み合せ、図案化L 力強さと、団結を表し 未来に向って飛躍する 村の姿を象徴したもの です 】

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