常北町勢要覧 1999(平成11)年 3月
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|溌繍私たち自慢の十一面観音立像小松寺観音堂の本聴。現存するものが少ない、一木一刀の蛇彫りの立像です。IllI指定有形文化財。(小松寺)灘麺!『亀鼠蝿■四一蓉癖》“》職》》吾史の道を振り返れば、霊源寺正徳2年(1712)水戸祇間手支刺、河和田村の霊源寺を石塚村白脇寺跡に移したといわれます。享保6年(1721)に禅山和尚霊源寺を飯興し瑞鳳山と改め、大正13年(1924)に夢このまちが見えてくる《》興して曹洞宗となりました。「初音」古内茶の母木(消音寺小松寺天平17年(745)の創建と患えられます。徳和元年(1181)平貞鍔が平亜樵の分骨を白雲山中腹に埋葬し七堂伽藍を迷てて開山。天正年間に火災で観音堂、山門を残して焼失。m在の本堂は、徳川光脇の寄進により1¥趣されたものです小松寺裏の白雲iipi'imに古い宝陸印塔があり、これが平貞能が高野山から持参した並盛の分骨を埋葬した蕊と伝えられています。近くに砿嘘夫人や平貞能の蕊も残っています。蝿指定史跡文化財。(小松寺)清音寺大I剛4年(809)草創、後に勅願寺になると伝えられています。文稀元年(1352)佐竹義輔が復庵禅師を招紬し、父貞義の菩提寺として太古山獅子院il'f音禅寺を開山。たびたび兵火に班い、本堂は昭和26年(1951)、庫宝藍印塔Ill)-指定史勤;文化財(消音寺)1は昭和40年:.-965)こ建造してIます
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