常北町勢要覧 1989(平成元)年 2月
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CONTENTt 浣【 常北の常の字を図案化したもので、円 形は町民の融和と団結を意味し、雄飛す る鳥形(下方はシルエット)は本町の将 来への大いなる飛躍発展を象徴している ものです。 昭和42年、一般から募集の結果、高知 県香美郡野市町平井の森安一時さん(当 時28才)の作品が採用されたものです。 卜.■■ 「 文化財 観光 教育・文化 ■新たな歴史を刻んで、後世につなぐ ■野鳥がさえずり、草花が咲き競う、豊かな観光資源 ■働く喜びを満喫させる、活力ある地域産業 ■心豊かな人間を青くむ、真心の教育 ●地勢 わたしたちの住む常北町はト茨城県の北西部に位置してい ます。東西11.5k血、南]亡アk皿にのびる山間丘陵地帝で、東∃隆 140022′、北緯36028Jにあり、東は那珂川をへだてて那珂郡那珂 町と相対し、南は県都・水戸市に連なり、西は山丘をはさん で西三芙城郭七会村と接し、北は柾村に降近しています。 町の西部および北部一帯は、標高100m~200mの山丘が連 なり、東南部にゆるやかにのぴて那珂川に臨んでいます。那 珂川の支流であり、町をさ荒れる藤井川、西田川のi荒城は肥沃 な土地を利用して米作が行われ、一大水田地帯を形憾してい ます。また、丘陵地苛は畑地を形成しており、麦・たばこ・ 茶や園芸作物を産していますが、特に茶・ごぼう・長芋は町 の特産品として有名ですd町の生活圏は、国道123号線沿い に、ほぼ集中しており、商店や住宅などの街並みが続いてい ます。 ●治羊 上古、常陸が高・久自・仲・新治・筑i皮・一策城の6国に分 かれていた時代には仲国に属し、大化の改新後、常陸国誕優 による六評時代には、町は那珂都と改められ、この地方では 開墾がなされていたようです。また、関東は武士発生の地で もあり、町の勝見沢には「鎌倉j反」として八幡太郎の逸話や 寺社仏閣が多く残されています。 文禄年間(秀吉、郷在を置く)、石上郷・入野郷・鹿島郷・ 日下郷に属し、のちに水戸藩支配の影響を受け幾多の変遷を 経てゆきます。 明治22年4月1日、町村制の施行に際し、石1家村・小訟村・ 西郷村となります。 大正8年10月1日、石塚村が町制をしきます。 昭和30年2月11日、前記3か町村が合併し、常北町としで 新たな歩みで現在に至っています。 みこL臼

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