常北町勢要覧 1983(昭和58)年 3月
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街 角に は 心 と 心 の 対 ■胃丁爪横顔 し1耳匝と地勢〕 わたくしたちの住む常北は、茨城県の北西部に位置し ています。東西1l.5km、南北7kmにのびる山間丘陵地帯 で、東経140022′、北緯36028′にあり、束は那珂川をへだ てて那珂郡那珂町と相対し、南は県都・水戸市に連なり、 西は山丘をはさんで西茨城郡七会村と接し、北は桂村に 隣接しています。 町の西部および北部一帯は、標高100m-200mの山丘 が連なり、東南部にゆるやかにのびて那珂川に臨んでい ます。那珂川の支流であI)、町を流れる藤井川、西田川 の流域は肥沃な土地を利用して米作が行われ、→大水田 地帯を形成しています。また、丘陵地帯は畑地を形成し ており、麦・たばこ・茶や園芸作物を産していますが、 特に茶・ごぼう・長芋は町の特産品として有名です。町 の生活圏は、国道123号線沿いに、ほぼ集中しており、 商店や住宅などの街並みが続いています。 〔歴史と沿革〕 上古、常陸が高・久自・仲・新治・筑波・茨城の6国 に分かれていた時代には仲国に属し、大化の改新後、常 陸国誕生による六評時代には、町は那珂評に属していま した。その後、那珂郡と改められ、この地方では開墾が なされていたようです。また、関東は武士発生の地でも あり、町の膠見沢には「鎌倉坂」として八幡太郎の逸話 や寺社仏閣が多く残されています。 文禄年間に秀吉が郷在を置いたとき、 石上郷、入野郷、鹿島郷、日 下郷に属し、のちに水戸藩支 配の影響を受けながら幾 多の変遷を経て、明治22 年4月1日、町村制の施 行に際し、石塚村、小松 村、西郷村となり、その なかでも石塚村は大正8 年10月1日町制をしきま した。そして昭和30年2 月11日前記3か町村が合 併し、新たに常北町とし て発足し現在に至ってい ます。 あるの

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