広報 しろさと No.031 2007(平成19)年 8月
10/12
加年程前に、ドイツを訪問する機会がありました。老人ホームを視察するために、アウトバーンを商速で通過し川舎進を走って行くと、3車線の道路に出ました。これは、対向車線との中央に空白の唯線があり、どのように使うのかなと見ていると、直線道路に入ると巡蛎手は、前方の様子を窺いながら中央線に州手が来ないのを確かめると、先行する車を追い越すため、中央車線に出て追い抜いて、すぐにもとの車線に戻りました。対向砿も同じような洲子で中央の車線を利用しているので、なかなか合理的な考えだなと感じたものでした。間違えば大馴故にもつながりかねないので、巡娠手にあとでⅢいてもらうと、ルールをきちんと守れば大丈夫であるとのことでした。今、国、県はもとより、3車線道路堅ら各自治体とも非常に財政状況が厳しく、公共事業、特に道路雌附等予算は、極めて苦しく、僻要に応えきれないところであります。バブル時期の予算が潤沢な頃は、橘の欄干に彫刻を施したり、人が通過すると皆楽が流れる仕掛けがあったり,擁壁にカラー桃様のコンクリートブロックを使用したりした時期もありました。今考えると、その時期にお金の使い方をもう少し工夫すれば、道路整術の延長がもっと延びたのではないかとも思っています。町内の道路をみても、まだ狭小、曲折の個所が数多く残っています。通過交通獄、危険度合などによっても災なると思いますが、人家のある所や畑の叩、山の中など地域条件によって、必ずしも一律の道路でなくてもよいような気がしています。戸一蓋歌、や春泥の付きたる僕の息子の靴はかすかに山の尋りふくめリ高堀よしの「堂ど早世息子の一言に押し車求めず帰り来て心に残る佐川あや扉耐周縁聯目にしみて邪魔な汗なり鋤けり4飯田勇一虻の来て空梅雨典昼外の風呂山崎正行橋くぐる水なめらかに花菖蒲裳の花陶器鰐騨震憾高橋芦江病室の窓に陽が射し夏燕今瀬多代美暖かく恭は喉をゆく旅の宿飯村愛子杖の音近くに聞こえ沙羅の花いそべきよ夏柳水門大きく開きけり森…静江揃き程大き雨粒騨雨来る仲田まらゑ混み合へる紫陽花寺に傘忘れ阿久津あい子菖諭圃恭席の風のやはらかし飯村昭子進路案内開きしま式にさぐらんぽ竹内幸子風涼し零経の手本手で押へ田所厚子脅嵐山ふところに友の墓瀬呑博子山取りの稚木仲ぴ仲ぴや山法師岩下金司糞暮しろさ躯一I一一しろさと其先に読む癖あれば「折々のうた」戦ろ個所へルーペを向くろ杉山みちこ初どりの野ブキもて作れるキヤラブきは素朴にて故里の母の味する奄本ふみ江総鰯糊鰯糾堵ょ所美麗子たらられの母の芳思に報いざりし己が「母の日」を子らに祝はろ青柳京子物静かで達者の様子を診てくれる叱安らふ額もしい師なり山形式妙森の花いつぱいに咲く季に生れて女雛は券花と箔付けられたり灘鯉蕊蛎神繍匿ひと束の野溶鰍容恥冷睡考誇につめて送りぬ神戸の友に大嫌久子静かなる総立ちこめて緑こぐ蝶える山々朝日差し込む富田欽子現世は樵雨は今ぞに去り行きか猛暑に学童漂々Lく耐える仲田こう朝の庭かぐわしき芯リ漂いてタイサン木の白き花咲く柵田すが紫陽花の白より出でしあさみどり変り咲きしをしばし眺むる阿良山ウメノあやめ園色とりどりに咲きあふれ潮来手漕ぎの船より眺がむ岩下通子田の隼を取りて昔を思い出す苦労した賦と言葉に出せじ岩下美知野炎天下風に吹かれて田舎道田も青々と風の波打つ市川蕊子戸十年来の拙き歌はわが歴史と思いつついき土に老いゆく薄井ひろささやかな宴に酔いて迎ぐ空星うるうると華やぎて見ゆ枝不美逝きませる恩師を偲ぶ声かともくぐもり噺ける雄燃の声片見和枝「ほととぎす」森に噺きゆくを目の前に見つつ夕銅の初鰹食む川上千代子雨の日の厨はひとときいちごジャムを作る甘き春十夏来たるらし島愛子坐十人を洲脇太蝿と見間趣ふ半世紀ぶりの旧交に触れ多田志保子夫と吾は共に八十路となりたれば舌家もとめて気楽に経ゆく坪井きよ子けだろ気に傭き歩みいる我に「こんにらは!」と声抑け呉れぬ児が荻容幾啓子見上ぐれば気が速くなるほどまだ高L足もと見つつ頂目ざさむ和知美智子窓一面に海の広がりあかず眺む夕森るる沖よりフェリー帰港す雷田佐智子而柳。》聯あれそれで半ば通じる老夫婦富田多蔵俺だけど本当の俺に知らぬふり青木新三郎衣灸住規則正しくホーム住み山木隆荘梅雨の晴れ夜の虫達大乱舜中島芳券迷い道逆に聞かれて困り顔北野武広報しろさと2007年8月1m
元のページ