広報 しろさと No.021 2006(平成18)年 10月
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ニューヨークの多発テロ事件から既に5年の歳月が経過して、9月u日には、現地で追悼の集会が開かれた様子が報道されていました。将にこの酬件では、職牲者の中に消防士が含まれています。1993年から3年間、私の家で外国の青少年を数人ずつホームステイで預かった邸がありました。これは、東京の大学生たちが中心になった「ピースチャイルド東京」というボランティア団体が実施していたものです。広島原爆の日に世界の若者たちが、交流を深め平和について滞り合い、また、そのために来日した若者の滞在期間を利用して、日本の生活を体験してもらうという趣旨に、私も賛同して引き受けたものでした。1994年の夏は、アメ91Ⅱとデビット君リカ(ニューヨーク、テニアン)、南アフリカからの3人の男子でしたが、その中に、ニューヨークの高校生でデビット君が居りました。彼は身長2m近い大男なので、うぐいすの里の遊典のバーに頭を打ったハプニング等も思い出しますが、その時の彼の将来の進路希望は、ニューヨークの消防士になるんだと雷った難を、あのテロ那件が起きた時に思い出しました。ホームステイしてから唱年経っていますが、デビット君が希望通り消防士になって活躍しているのか、また、9・皿の事件に巻き込まれてはいないだろうか、それとも別の職業を選択しているのか等、その後の交流はありませんが、この事件の報道のあるたびに憂慮しています。戸稲の蕊の水あげてゐる日の出かな飯田一男一バンカーに猪の足跡今輯の秋山崎正行人まばら美術の燕の水溢めり和田範子禅寺の裏道湿り菜の花奴村昭子口中に葡萄弾けて夜の海謙静江熱侭より湧くといふ水溢みにけり鯉測寿美建山粧ふ買ひ足す絵具赤青黄今瀬多代美あっさりと外国へ行く盆休み飯村愛子典の側をからりと開けし蝉Lぐれいぞべしさよ蕊光り蔵揺れにけり稲の花田所厚…子足音に鳴き止むらちろタ厨仲田弐らゑ飛びとびに燃ゆる畦逆愛珠沙華高橋芦江休暇明けゴム風船の色鈍L竹内幸子とりどりの秋果盛られて零生会瀬浴博子稲の秋葛竣ともし叶か禽田ロ勝元鈴虫の鰐く声忙し夜更けにも阿久津はっみ通り風ゆ秋る風鈴子猫じゃれ渚下英知野やっと夏来たと思えば秋の風市川蕊子空の恭陽の肱しさに戸感ひぬ便かりし雨上れる朝は高堀よしのこの病院で命終りL夫なりきぞれには触れず友を見舜へり佐川あや二千二百円増額の介護保険料に術戦く追従なして納むる杉山みちこ三十分長いながい刻きざむ手術成功と先生の声龍出諦て文鳥蝿霧蝿酔い夢幽誕叩呂わが前に小さき瓜を立たすろ所美麗子丹精を塾めて嘆かせた花々に「ありがとう」と言いつつ夫は水やる青柳京子弓づけたこ「老ヘリ。よそ今フ」と同窓会六十年目の決妨つかf山形式妙強き風も激しき雨も災うなきわが里山の静かな住まい藤原千代我が胸にかけ寄る女孫抱きとむ雛リゐし日々の愛しさ込めて渡辺千紗子励曾と風貌術へL中田選手「人生は旅」とサッカー去りぬ秋L山愛子新妾と駈りたる吾娘は夕鋼詞時味付け具合を問ふ電話抑け来大森久子独り居の月とかたりし縁先で風心地良き立秋の月岩下通子友ときて殺生石へ登り見て千人像の教え尊し密田欽子裏山でほろすけほうと粥く声も間夜にききぬひとり床に居て卜部まさ子塩原の足湯につかりリフトから山一面のゆりを楽しむ阿良山ウメノ短i歌〆横綱に毅然と向かう稀勢の里鋭い攻めで見事金星山口栄山畑の風にそよぎしソバの花心洗わる白さ曲りけり柵田すが草引きに迫われいる吾を笑うがに一・のん平準」は土つかみいる薄井ひろ梅雨のはれ間の一日を笑きて夏椿音なく落らぬ二つ三つ四つ枝不美籾らるるを丈へとなせるかかの老いは今日も秋つきつつ別い物果たす片見和枝つつ式しくうつむき咲ける更ゴ」の花溌繊の雫はつかに垂るる川上千代子うすれゆく記憶の中によみがえる終戦を告ぐる玉音放送が悠久の彼方識ふ鍍浮需慰き点滴の水の芸術多田忘保子どの指もふしくれたらて曲がれれば老いを労り湯舟に仲ぱす曾&:坪井き牧子浦語にて答えるように為りしとう妹は語る初孫のこと萩呑登喜子今日も亦梅雨明けぬ空を見上げつつ柊干し干すが待らくたびれL和知美智子吟麺泳軒霊郷獅酔錘郵鈍堵ら富田佐智子F靭裳榊代より続く稲穂が美しい山水陸荘山峡田人と猪との知隠くらべ背木.新三熊人の世の素珊らしさだけ仲ぱしたい仲田こう夏休み今日で終わりか孫忙し富田多蔵広報しろさと'四2006年10月茎香しろさと
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