広報ななかい No.195 1994(平成6)年 5月
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ふれ赤いコーナー すこやかな成長を願って 三八〇人分の給食 小学校の統合に伴い旧塩子小跡地において平成三年四月 から給食センターによる学校給食がスタートしました。栄 養士はじめ五人の給食従事員等によって小中学校の児童、 生徒及び教職日月三八〇人分の給食を賄っています。 今回は、給食センタIの一日の様子をご紹介いたします。 栄養士の献立 カロリーとバランスを考えて 子どもたちが楽しみにしている 顔を思いうかペながら・…‥ ♯ ( 食器,機具の清掃も終わって あったかいうちに配送車で各学 今日の仕事は終了です 校へ届けます センターのみなさんから 紙練,学撤育の中でも,体¢毒となる大切な健康 教育です。 ∬明白も元気に通学できるよう1こ”と顧っています。 だから…好ききらいな<残巷す象ペてね′ 三年前の行政職選考試験の面 接で「先生を七会村へ派遣する ことになりました。よろしいで すね。」と言い渡されました。 さあ、どうしようか。教員と しては十七年間の経験があるけ れど、隣の村の七会だけど、わ からない仕事・地域、不安でい っぱいになりました。 ・・・そして四月一目七会村役 場への初出勤です。しかし、教 育委員会そして役場の職員の皆 さんの 「目」 の優しさが私の不 「命名 悪魔」 の話題も、も う久しいものとなってしまった。 親というのは我が子によせる願 いで命名するのである。この悪 魔君の場合はどのようなものだ ったのだろうか。 ところで私の名は「重文」重 要文化財を略して重文と書く。 きっと人から大切にされる人間 であってほしいという意味で名 付けられたのだろうと自負する。 ′一Lヽ 派遣社教主事ガ変わりました 感謝。。。出発 塩 畑一洋 赴任にあたって 根 本 重 文 安を吹き飛ばしてくれました。 また、様々な行事で協力してい ただいた村民の皆様方が仕事へ の意欲を持たせてくれました。 そして三年間、楽しく仕事を させていただき本当にありがと うございました。至らない点も あったことと思いますが、四月 からは七会中学校へ勤務してい ますので、子供達への教育で恩 返しをしたいと思います。今後 ともよろしくお賄いします。 今度、教育委員会に所属する ことになった訳であるが、本村 は、雄大な自然と有名な遺跡・ 文化財等の宝庫とも聞いている。 こうした本村に勤務すること にあたり、微力な私がどれだけ 本村に貢献できるかが問題であ るが、いつの日か、本村の生き た重文と言われるような人間に なっていきたい。
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