広報ななかい No.194 1994(平成6)年 3月
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晶れ赤いコーナー 日系人の大臣が二人も ブラジルは、ヨーロッパ 系、アジア系、アフリカ系 などの多国籍民による労働 力によって国づくりが進め られてきました。さまざま な人種が入り混じり、自然 に国際性が培われてきたせ いか、親しみやすい国だと いわれています。 世界中でも日系人が一番 多く住んでいる国で、二れ らの日系人は、持前の勤勉 さで、この回の農業の他に 政界など幅広い分野で活動 し、大き〈貢献したとして 高く評価され、良きブラジ ル市民として生活していま す。そして日系人の大臣が 二人も誕生しています。 ところで、日本の皐は主 にガソリンで走りますが、 ブラジルの車はサトウキビ ;量い国 ブラジル連邦共和国 首都 プ■ラジリア 面積 釣851万k貯 (日本の22.5倍) 人口 約1億3500万人 言語 ポルトガル語 宗教 カトリック教 (国民の9割) でも走ります。 それは、サトウキビを発 酵させたアルコールを燃料 にし、ガソリンよりも安く 買えるとのこと。 今回は、日本の位置から はちょうど地球の裏側にあ たるブラジルから、愛は、 いくつもの海を越えて敏夫 さん (ご主人) の住む下赤 沢で新しい人生を歩んでこ られた岩下恵子さんをご紹 介いたします。 新しい出発 岩下 恵子 私はブラジルで日本国練 習艦隊の親善訪問の為来泊 していた主人と歓迎レセプ ションで知り合い九年間の 文通の末リオデジャネイロ の実家で結婚式をあげまし た。 日本に釆て早十三年にな ろうとしています《) 来た当 時は生活環境も違い友達も なく寂し〈不安な毎日でし た。 でも一つだけ心強いもの がありました。それは主人 です、その頃は主人にばか りたよっていたような気が します。 そんな私も村の色々な活 動に参加するようになり言 葉も慣れて茨城弁が話せる ようになりました。 友達も沢山でき、仲間に 助けられて諸活動を続けて います。 本当に 「友達は大切だな」 と思い深く感謝しています。 今では三人の子供にも恵 まれとても幸せですがブラ ジルへ里帰りしたい気持は 変らず、日本に来ている兄 弟やブラジルの友達に時々 電話をします。それはふる さとへのノスタルジアとポ ルトガル語を忘れないため でもあるのです。 最近は色々な場所でブラ ジル人を見かける辛が多く なり日本での先輩として相 談にのってあげたいと思っ ています。 また、村の諸活動では先 輩の指導を受けながら地域 に密着した活動を続けて行 きたいと思います。 僕が 「七中大棒」 と名付け たわけは二つあります。 まずl つめは、新しい七会 中学校に通じる新しい橋だか らです。 二つめは、僕たちが住んで いる七会村の中心にあり、つ まり、「七中」 だから七中大橋 と名付けました。僕の名前が 採用されてうれLいです。 橋の名称 「七中大檎」 中学校に架かる僑の完成に 伴ない、名称を中学校全生徒 を対象に募集-し、選考委員会 による審査の結果左記のとお り決定いたしました 三月一日その表彰式が七会 中学校において行なわれ宣した 入選、七中大信二年久保田勇介 佳作 二年飯村 幸治 二年根本 修一 七中大橋と名付けた 久保田 勇介君
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