広報ななかい No.191 1993(平成5)年 9月
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七会村上徳蔵地内には、村 指定埋蔵文化財「荻原長者屋 敷跡」があります。 今後村において観光拠点整 備事業が進められるなか、 歴史、文化の正しい理解を、 後世に伝えるため、文化財保 護法により、今回七月二十日 〜八月二十三日まで荻原長者屋 敷発掘調査が実施されました。 先人の歴史を探るー・ 萩原長者屋敷跡発掘調査 荻原長者屋敷跡全景(空撮) そこは、一七、二三〇平方 メートルの円形の丘陵地を、 完全な形でとり囲む外堀が残 っています。 一体この地でいつの時代に どのような人が、どんな暮ら しぶりをしていたのでしょう か。 ただ弘法大師と荻原長者の 娘(徳蔵姫)との恋物語が民話 として語り継がれています。 ( 昔むかしのことです。 弘法大師という偉いお坊様 が山深い地に寺を開こうと この地にやってまいりました。 * 弘法大師は、徳蔵にある徳 蔵寺に、しばらく滞在するこ とにしました。 ところが、困ったことが起 きたのです。 この徳蔵という所には、不 思議なことに、一年に一人ず つ美しい娘が生まれます。人 々はこの娘のことを「徳蔵姫」 と呼んでおりました。その徳 蔵姫が、こともあろうに弘法 大師を好きになってしまった のです。 とくらひめ ~徳蔵姫と けいそくさん 発足山~ ( 「大師さま、大師さま」 姫は片時も大師のそばから 離れようとしません。弘法大 師は、ほとほと因ってしまい ました。 * そこで、ある時一計を案じ、 馬槽用の大きなカヤの木を伐 ってきました。大師は、この カヤを彫って、一夜のうちに 自分の座像をつくったのです。 そしてこれを身替わりに、 大師は寺をぬけ出しました。 * 大師だとばかり思っていた 遠く正面には,八瓶山が望めます。 姫は、しばらくしてから木の 像であることに気付き、あわ てて後を追いかけました。 「まってください、大師さ まL けれども、あんまりあわて たせいか、稲田まで釆たとき にお茶の木につまずいて転ん でしまったのでした。 のちに姫はこの時の傷がも とで死んでしまいます。稲田 の人々は、かわいそうな姫を 神社に祀ってあげたそうです。 この神社が、今の稲田姫神社 とか……。 今も残る外堀 調査結果は次号で予定しています-
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