広報ななかい No.186 1992(平成4)年 11月
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七会村財政状況報告(4年鹿上半期) 珍会計別執行状況 (単位:千円) 楊歳 入 (平成4年4月1日~平成4年9月30日) ♯歳 出 (平成4年4月1日一平成4年9月3旧) 垂 賢 萄 奉書 業善 .≡壕象秦奉≡ 噴泉尊、 癒 翠 象三 1.841,513 】.川4,324 60.0 汚辱羞醜 (柑4.197) (柑4.柑7) (100.0) =、∴廃藩;≡ 172.411 63.447 36.8 嘩 麺率 266,996 7l.口62 26.6 竜泉穣底聴盛衰評毒 288.697 82,731 3【I.6 轟募水蓮事嚢跨酸計≡ 86.983 8.0 珍村の財政4年度(平成4年9月30日現在把握数値) 土 地 618,966ポ 基 金 429,604千円 建 物 13,301ポ 有価証券 1】,382千円 村債現在高1,460.410千円 √†11 なな、7、七 七宗町 日常社会の中で七のつくも のはたくさんあります。 七夕・七五三の七・七福神・ など縁起のよい数字であり、 またトランプでも七が基準と なる七並べ、パチンコにおい ても七が三つそろえば、大喜 び〃‥ 旅先、あるいは日本地図で 「七」のつく地名との出合など さまざまです。 ところで、全国で「七」のつ く市町村は、十一あります。 その起源、由来などたいへ ん興味のあるところですが、 ここで今回岐阜県にある 「七 宗町」をご紹介いたします。 七宗町は、岐阜県のほぼ中 央に位置する美濃の山間部に あり人口」ハ千九十七人、千六 十三世帯(平成二年国勢調査) 総面積九十、四七平方け㍍のお よそ九割が森林で覆われ、町 内を流れる飛騨川、神渕川の 二つの川に沿って人々の生活 が営まれ、こじんまりした山 あいの町です。 明治以降、武儀郡、加茂郡 両郡内の各村が合併、分敵を 繰り返す中、昭和三十年に神 渕村と上麻生村が合併し七宗 村と改称。翌年下麻生町の一 部(中麻生地区)を編入し、 昭和四十六年四月一日七宗町 として町制を施行。 七宗とは、七つの高い峰と いう意味で村の東北部にある 七宗権見からとったもので、 村がぐんぐん伸びて雲にそび える高い峰のように発展する ことを願いつけられました。 特産物は、山あいの地形を 利用して古くから木材、お茶、 松茸の産地として発展し、中 でもヒノキは東濃ヒノキとし て品質が高い。最近では山柿 茶、七宗なす、お茶まんじゅ う資加害の菓(落がん)、シ イタケなど野山の幸をひとひ ねりしたまちの持ち味がいか されている。 また、町内を流れる飛騨川 の渓谷は、国定公園に指定さ れ中でもロックガーデン二常 に存在するポットホール (甑 穴郡) は国の天然記念物に指 定されているとともに二十億 年前の岩石が発見された河床 でもあります。 当町の最大の祭といえば、 rl 毎年四月の第二日曜日に行わ れる神渕神社の例祭です。須 佐之男命の大蛇退治にその由 来をもち、当時のままの形で 再現されているものとして数 少ない祭のひとつです。 全長十メートルある黒獅子 が舞い狂う中、神輿の渡御に 続いて曳き出された一師の山 車の立で讃釦禦耶、棍監髪瞑 の奇妙なダンスが繰り広げら れ、この天釦女命の奇妙なダ ンスは、ストリップの元祖と も言われています。 七会村のみなさん、大自然 が四季折々に美しい顔をのぞ かせる豊かな自然に包まれた 歴史と文化の町、七宗町へ一 度どうぞ。(七宗町役場広報係)
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