広報ななかい No.170 1990(平成2)年 3月
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明治、大正、昭和、平成と創立以来百余年の輝かしい歴史 と伝統を築いてきた塩子小学校と小勝小学校が、三月三十1 日その歴史の幕を閉じます。 四月一日からは、l一校の統合により花山の丘に新築された 東小学校が誕生し、新しい歴史が頼まります。同時に徳歳小 学校も西小学校に校名が改称されます。 上級生・下級生みんな伸よし(小勝小学校) 明治五年、明治政府発布に むら よる「邑に不学の戸なく家に 不学の人なからしめんL の趣 旨にそって、塩子小学校は明 治六年平地内の民家を借りて 創設されました。小膠小学校 も同時期に創設されました。 明治十九卑小学校令が公布、 尋常小学校四年まで就学の義 務が果せられ、塩子尋常小学 校が創設、その分教場として 小勝教場が現在の地に創設さ れました。 明治二十五年、塩子尋常小 学校は七会尋常小学校に改め られ、持京橋北側の高台に移 されました。 明治四十年三月、小学校令 の改正がなされ義務教育が六 か年に延長されましたP 翌四 十一年四月一日、尋骨小学校 は七会尋常高等小学校と併合 され、尋常小学校塩子分教場、 同小勝分教場と改称され、三 年生までが分教場に、四年生 から高等科二年生までが本校 に行きました。 大正十三年に塩子分教場は 現在の橋本地内に移転され校 舎も新築されました。 昭和十六年国民学校令が公 布、七会村立七会国民学校塩 子分教場、同小勝分教場と改 称され、この年の十二月に始 まった大平津城争は苛酷のう ちに終戦を迎えました。 昭和二十二年、六・三二二 ・四制の学制改革が実施され、 昭和二十四年三月三十一日、 七会村立塩子小学校、同小勝 小学校として独立し現在にい たっています。 明治、大正、昭和と時代が 移り変る中で、社会情勢の変 遷とともに地域に深い係りを 持ちながら歩んできました。 この間、児童数の数は昭和 三十年代をピークに年々減少 の傾向をたどり、塩子小学校 八十五人、小勝小学校四十六 人がそれぞれの小学校最後の 児童となります。 山あいの小さな小学校です が最近では、昭和六十年塩子 小学校が子ども鈍行で大蔵大 臣貧、日鋭総裁賞を受賞、小 勝小学校も平成元年度茨城県 リコーダーコンテストで優秀 賞を受賞するなど独自の目標 を掲げ、伸び伸び、明るく、 元気な子供達がたくさん学校 を巣立って行きました。 両校の統合により、百余年 の輝かしい歴史に幕を閉じま す。 なつかしい校舎ともおわかれです(塩子小学校)
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