広報ななかい No.169 1990(平成2)年 1月
6/8
私は、この度、青年の船に 参加し、中国∵韓国を歯間し、 各国々と国際義春を深めると 共に船内での師帽を通して、 研頗に懲めて参り達した¢ 中国を訪陶し、天安門広場、 万里の長城・政客などあまり にも国土が雄太であることに 驚きを感じました。 韓国においては、日本に追 いつけ遭い逢せの経済の発達 に目を見張るものがありまし た郵 船内の生活は、鯛の恥いに 始まり夕べの集いで終わると いうように嵐俸正Lい生活で 聾者しく思える反面、パーテ ィし洋上祭とやっ遠フな数々 の催し物があり、その中で人と 人とのコミュニケーションがあ 万里の長城にて(中央が小林さん) 石川 智 十一月十七日から二十六日 までの十日間、茨城県青年の 能に参加し、中国、韓国を訪 問してきました。 十一月三十日、中国は天津 港へ着き、子供達の出迎えを うけ、.路北京市へ向いよし たら翌日は中国の青年とパス で万里の長城、天安門蘭広場、 を見学、人民大食堂での合食 では、言葉がぬからないなが らも密漁を深めてきました饗 中国の人達は、以前と何も 変わっていなかったように思 います。 二十三日にほ、韓国め仁川 港に着き、オリンピック公園 など市内を見学しました。 中国、韓国歯間で樽た己と を、今後、地墟のために生か したいと患います。 最後に、青年の能に参加で きましたことを感謝します。 り、とても楽しいものでした。 この青草の姶で得たものを 今後の生錆に大きく役立てて いきたいと思います。 中国の青年と 藩蕃貴簡董 墓書腐蜃勤番啓 がいかに大切なものか、はは 患警藩意蜃君恩鷲 藩-豪華酪牒憲寮 塵野暮壁慧遺骨饗忘憂 展墓蓄電潜亀一腰弊習牽 なんの努力もせずに、ただ☆ 煎巌馨嘗廷励馨暑 どころか東辿してlじまうかも しさlません】 やは専、七会村 は、みんなで少しずつヾ格封 、 廿鮎枯臥せ 嘗皇拳凱疫敷 野轡群静穏線塾誓書警、 七享 ( 堵■ロ一■寿.弓・.・ 貰町↑盤髄 銘 董ほ書癖聾1 鷹巷塞ぎ警嘗 療養蓋ヂ変換農 撃墜蓼啓象蟄敵意 魔度盛蓼底意藩亀蓼豊野 菱響導管倭藩㍉塾攣亀 應卓せて、.亜に1r供のは」 刻し′雪雲て」1住-い二詫f∴至-ヲ 尋〓弓「I‖出席一∵頑∵:-≡≡∵L日頃 ≡ == 弓≡ ヒ戸ゴ t
元のページ