広報ななかい 第145号 1984(昭和59)年 4月
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か (3)昭和59年4月30日 い 第145 号 四月二十一日(旧暦三月二十 一日こは「徳蔵大師」の縁日に 当り、近郷近在の老若男女が参 拝に訪れました。 引布山徳蔵寺は、真言宗智山 派の寺で寺伝によれば、弘仁年 間(八一〇〜八二四年)弁海上 人の開山といわれ、当時、八頼 山のふもとに伽藍を建て、憎徒 の勢いが盛んであったと伝えら れております。その後兵火に遭 い焼失しましたが、大永二年、 (一五二二年)空法により、現 在の地に再興されました。 かわいい稚児行 ■「 稚児行列もにぎやかに お母さんの方が汗だく 今年は、宗祖弘法大師(空海) の死後千首五十年御遠忌記念に 当り、大師堂において、法要が 行われました。又、県指定文化 財の「弘法大師條」「両界鼻茶羅 版木」 (りょうかいまんだらは んぎ) 「札盤L (らいばん)、 歴代の住職を乗せたといわれる 「駕籠」等も一般に公開されま した。 「弘法大師條」は、秘仏とされ 一般公開される機会は非常に少 く、伝説「徳蔵姫」に登場する 別名「馬槽大師像」として、今 罵7 塩子小学校では、自作のカル タを作り、日常生晴を通し、し つけ相違に効果を上げています。 カルタは、児童の生活実態を ふまえて、先生と児童の共同作 業によって造りあげたもので、 イロハ四十四文字から成り立っ ています。 完成するまでには三ケ月ほどか かり百五十組ほど印刷しました。 カルタの内容を大別すると、 ①思いやり、⑧あいさつ、③き まり等の三つの骨組からなり、 読みやすく、わたしたちが日常 身につけておかねばならない大 切な基本を精選してつくられて おり、「心ゆたかな子」を目ぎし ています。これは塩子小の教育 目標でもあるわけです。 作成までの過程には、児戯を 対象に二度、父母を対象に二度 ほどアンケート調査を行い、実 態をふまえた価値あるカルタに なっています。それだけに今後 は実践力が問われそうです。 次はカルタ文です。その一部を ご紹介します。 あいさつは、大きな声で元気よく うそ ごまかしは、幕のもと も縁結びに霊験あらたかとか。 午前中は、約六十人の幼児が 参加し「稚児行列」が、午後は カラオケ大会が催され、終日大 師の森は、にぎわいを見せまし た。 葦凱はr軌ほr 甲切り研削か00血W増研噌伊轡伊萱r蔓則毎秒甲山剛由利hmr 湖自のカルタ作りで 基本的なしつけ指導 喜篭吋診 きくときは、話す人の目をみよう けんこうは、規則正しい生活から さい後までがんばり強い杉のっ子 ちり紙ハンカチいつでも用意 ねる前に、もう一度見よう 明日の用意 去る、三月三十一日七会村中 央公民館で行なわれた、チャリ ティカラオケのど自慢大会の益 金、二七、五三〇円を福祉の 為に使用して下さいと、歌謡ク ラブ会長大庭畑膵さんが社会福 祉協議会を訪れ寄付されました。 * 蓼 * * * * * * * * * * * * 福祉のお役にと 二件の寄付 ノートにらく書き、心の乱れ 「はい」は心の天気図だ 毎日食後は、歯をみがこう めいわくな、子供飛び出す 事故のもと 乱暴な、青葉づかいがきづつける 又四月十五日同じ公民館で行 なわれた、チャリティカラオケ 関東、東北選抜予選会の益金の 一部を、めぐまれない人達の為 に使用して下さいと大宮町の大 金芸能社の方が寄付して下さい ました。ありがとうございまし た。 ▲ 花山体 育館 でカルタ と り 犯罪の被害にあって 交通事故、詐欺、おどしなど、 犯罪の被害にあって警察や検察 庁に訴えたのに、検察官がその 事件を起訴してくれない。 こんな不満をもっている方は いませんか。 検察審壷会とは 選挙人名簿をもとに広く国民の 中から公平に選ばれた十一の検 察審査員が、いわば民間人を代 表して検察官のしごとのやり方 を審査するという制度です。 審査の申立てを 犯罪の被害にあった人や犯罪 を告訴、告発した人で、検索官 がその事件を不起訴処分にした ことに不服のある方は、だれで き叱〆 穂蔵媚と弘法大師 ご存知ですか 検察審査会制度を も、検察審査会に審査の申立て をすることができます。 相顔や申立ての費用は一切無 行政管理げでは国民の皆様か らの行政に関する苦情、要望、 聞い合せを行政相談として常時 受付けており、関係行政機関と の聞に立ち、あっせんを行う仕 事をしています。 この制度をさらに多くの方々に 利用していただくため 「春季行 政相談強調週間」を設けました。 七会村にも行政管理庁長官か ら香嘱された行政相談委員がお りますので、お気軽にご相談し てください。なお直接出向いて 5月柑日、〜柑日まで 「春季行政相談強調週間」です 武郷は実在した華族。同村徳 蔵郵便局前の小高い丘には荻原 屋敷飴跡が村の史跡として残っ ている。 伝説の徳蔵姫の墓は千葉県の 某寺にあるとも伝えられている が、姫のものだといわれる位牌 (いはい)が本村の富田末書きん 【任)宅に残っている。富田さん によると、三代前の宗衛門さん が千葉の寺から譲り受けて釆た ものだという。 土地の家族と同寺の宗祖空海、 それに鎌倉時代の仏像を結びつ けたドラマチックな伝説だが、 近年になって悲恋の娘の位牌ま でが加わって村二番の伝説とし て伝え継がれている。 資料提供 徳戯寺 いただけない場合には、電詣や手紙でも相談を受付けておりま す。 七会村行政相談委員 阿久渾 光弘 七会村小勝∵四三内番地 阻 2964 茨城行政監察局 水戸市北見町一-十一〒310 mO292・21・3347 趨 料で、秘密は固く守られます。 水戸検察審査会事務局 水戸市大町一-一-三八 水戸地方裁判所内 mO292・24・0011 現在、本村から、山口孝作氏 が適ばれ活躍中です。

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