広報ななかい 第144号 1984(昭和59)年 1月
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な か しl (3)昭和59年1月31El 第144 号 県が五十七年度から過疎振興 の中心事業としてスタートした 「著者の郷サくり」事業が順調 な経過をたどっております。 昭和五十八年度に当村も補助 対象地城として指定をうけ、″樽″ の栽培と”カブトムシ″の♯植 に取りくんでいます。メンバー 森 昨年の十月十九日から三十一 目までの約二週間、県内各地か ら集まった三有余名の青年及び 知事と共に青年の船に乗って中 国へ行き研修をしてきました。 二十日に行なわれた知事講話 「県政の課題と展望」及び二十、 二十一、二十二と三日間かけて 行なわれた知事との対話は、茨 城県の事を知る絶好の機会とな りました。特に科学万博に関し ては熱意をもって繕ってくれ、 科学博にかける知事の意気込み のほどが感じられました。 二十八日に行なわれた団体晴 動体験発表では、二十にわたる 鮎川府川t帽叩岬l-i川げ】j.山川H川“がmぷ粁特叩が叫、伊笥泄明津明津仙…誹㌫h.紳士.Hが比ぷ肝叫…日脚い里郡山l泄明が判洪ぎ 言草の船で学んだこと闘 乱 謹J押……1泄Ⅶが鵬ヨ紆唱鮮叫.り鮮明i鮮明脚明が巧l押海曹肌1鮮明が里泄削り泄明がい川叩叩がmぷ監ぷ㌫最. 〝梅〃と〃カブトムシ〃 特産地化への試み 田 い ずみ (大網) 団体の発表が行をわれ、団員が 少ないなどの問題を抱えながら もそれぞれにがんばっている姿 に、新たな元気をふるい起こさ れる思いでした。 二十三日から二十七日までの 五日間にわたる中国現地研修で は、短い期間ながらも中国人と の交歓会などで素顔の一端をか いま見る辛ができました。晩婚 奨励、一人っ子政策などは世界 的に有名ですが、その政策につ いて何の異和感も感じていをい 事にはかえって私達の方が驚ろ かされ、思想を統一する共産主 義のおそろしさというものを感 は農協青年部(代表金子栄治外 二十名)が中心となっています。 稚については今後専門技術点 の指導を受け栽堵面積の拡大を はかり特産品化を目指していく 考えです。カブトムシの養殖に ついては、当村で椎茸栽癖が盛 んなことに着目し、年間十万本 ▲カブトムシの養殖場を建設する会員 じました。 しかし、性格は大陸的で大ら かな人が多く、私達の見て回っ た天津、北京、大連では大変噴 かく迎えられ、とても楽しい旅 をする辛ができました。 中国 一月二十二日、前日からの雪 にすっぽり包まれた七会村を、 中国人留学生が視察に訪れまし た。一行は、王昭明さん(黒竜 江水産研究所)周 平さん(上 海外国稽学院)朱近席さん(中 国科学技術大学)項否林さん (復且大学)で、現在日本の大 学・研究所に留学中です。 日本の良い所ばかり見せても らっているが、実際に日本の農 家の生の声を聞きたいと、ト部 己善男さん(酪農)青木新三郎 さん(椎茸)宅を訪れ、熱心に 質問したり、農村の機械化の進 んでいるのに驚いたりしていま した。又、中国の現状等も聞か 程度の原木が廃棄処分されてい ることから、この廃原木を再利 用しカブトムシを育てようとす るものです。将来は商品化する と同時に生態を観察できる観光 人留学生 せていただき、両国の友好に役 立ったことと思います。 貨幣価値は日本の約二十分の 一で、中国人の平均給料が日本 円にして八千五首円、それを私 達が一回の食事で使ってしまう と聞いて大変驚きました。 反 面、買い物天国で、加工品の質 的要素も取り入れる計画で事業 を進めています。今年の夏には 約二万匹のカブトムシが生まれ る見込みです。 ▲視察先の家族と筆 はあまり良くありませんが、象 牙、毛皮などの原材料は安い値 段で写っ辛ができました。 交通事情は大変良く、広い道 路で事は少なく、中国人の足は ほとんど自転車でした。ただ事 が特権階級の乗り物のためか、 徹底した「車優先社会」で、バ ックする暗もうしろなど全然見 ないし、信号は無視するし、北 京市内でも六十〜八十キロのス ピードで走るので、これでよく 事故が起きないものだと驚きま した。自転車にはライトがつい てなく、夜でも無燈火で走って いました。 感心したのは礼儀正しい事で、 スポーツや劇など見る時、日本 人だったら思い思いにリラック スした格好になるのですが、中 国の人達はほとんど身じろぎも 一行が帰国され、尚一層御晴 躍されることを祈ります。 田の部 上 中 下 畑の部 上 中 下 五十九年度標準小作料 辞しくは農業委員会事務局へ 二二、000円 一九、000円 〓ハ、000円 八、000円 七、000円 六、000円 ▲機械化の進んだ農家に驚く せずじっと見ていました。 そんなこんなで、顔は似てい ても生措習慣はずい分速うとい う事を知っただけでも大変勉強 になりました。 今回の船のテーマは「友情」 ですが、県内各地に多くの友人 ができた事が、私個人としては 一番の収稚になりました。 笠間首班の謀反計画も時朝に 発覚し、この計画に怒った時朝 は百坊を打ちこわし焼き払って しまった。その上宗徒を多数捕 え打首などの極刑を行って正礪 寺の勢力を一掃してしまった。 こうして一挙に笠間周辺の勢 力を一掃した時朝は、この地を 占拠して佐白山の要事に城を築 いた。しかしこうした多数の僧 兵を殺し寺院まで打ちこわした たたりが恐しくなり時朝はここ に六坊を再建しこれを宝膵院と 名づけ自分も篤く仏門に帰依し たという。 以後宝勝院は笠間氏歴代の祈 願所として栄えたが、天正十八 年(一五九〇)笠間氏没落とと もに寺院も伽藍もとり壊された。 * * * * * * * * * * 福祉のお役にと 二万円寄付 最後になりましたが、今回の 船に乗るにあたって、村からい ろいろ御協力いただきありがと うございました。 鞄 昨年末、役場を訪れた、久保 田勇さん.(徳栽)は、礪祉のお 役に立てて下さいと、二万円を 社会福祉協議会へ寄付されまし た。 久保田さんは、歌手としても 活躍しており、催物のゲストや 書査負として出演した謝礼の一 部を寄付されたものです。 貞孝三年(一八八六)正礪寺 という旧寺名に再び改められ、 元禄年間(一六八八〜一七〇四) 住持有明によって諸堂が建てら れ或いは修復され寺としての寺 観が整備された。 しかし明治になって再び荒廃 して現在は観音堂のみが残って 丈 その後近世に入り寺名を勝椙 寺と改め復興した。 転作目標面積 46ヘクタール (1%増) 従来から農家の皆さんにご協 力をいただいております水田利 用再編対策も今年から第三期 (59年度〜扇1年鹿)を迎えます。 第三期対策は乾作の定着化団 地化を目的として次のとおり実 施いたします。 一、目標面積 4¢・Oha 二、団地加算の内容変更 三、販作奨励金の減額 四、保全管理の変更(連続三年 まで) 五、他用途利用米の導入 目標面積達成のため、ご協力 をお願いいたします。 人により再興され現在に至って いる。 本‡は大日如来で大永年間は 徳歳寺といっていたが、明治の 始め徳蔵寺を廃名し極楽寺と改 めた。しかし明治二十五年三月 再び徳蔵寺と改め現在に至って いる。 写実・現在の徳戒寺〕 戦後に建てられたものである。 一方徳蔵寺は、弘仁年間(八 一〇〜八二四)弘法大師(空海) の創建といわれている。多くの 僧坊が居て寺運の隆盛したとい うが錬倉時代の始め笠間正福寺 との争の後荒廃してしま 大永二年(一五二二) 阿久津 患 いる。この観音堂も、 毒 冊 過 二d雌 一次大 ′参介
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