広報ななかい 第137号 1982(昭和57)年 7月
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(1)昭和57年7月3柑 な な か い 第137 号 昭和五十七年七月三十一日 第一三七号 発行所 茨城県 七会村役場 発行者 七会村長阿久津憲一 編集者 七会村役場 総務課 印 刷 水戸市 伊藤印刷 七会村の世帯と人口 ★★3ない運動★★ ●酒をのんだら運転しない ●運転するなら酒をのまない ●運転者には酒をすすめない ★…交通安全推進事項ト★ 人戸人人 6 5 8 8 nV 9 00 1 9 AV A一.4- 2 1 1 口数 人帯男女 絶世 昭和57年7月31日現在 夏の午後の日射しが挽く贈り つける、さる七月九日、七会幼 稚園園庭にて午後一時から夏祭 りが催されました。この催しは、 PTAの事業として今年から新 たに加えられたものであり、事 前より役員さん方の話し合いで、 園児達が楽しめるものに…と計 画され、盆踊り・花火・おみこ し・各遊びのコーナーと園児達 が飛びつきそうなものが、盛沢 山に用意されました。園児達は、 この夏祭りの話しを聞かされて から当日までを指折り数えて待 っていた梯子で、その期待ぶり は当日の朝、登園して釆た園児 達の表情・行動に本当によく表 われていました。 夏の気候からくる熱気と園児 達の専びに満ちた熱気の中、園 庭に、みこしと太鼓を囲んで大 きな一円が出来、子供盆踊りが 始まり、その可愛らしい手足の 動きに見ていらした御父兄方は、 つい口元がほころんでいたよう です。 踊りの輪が静まると、その輪 の中で数十発の花火が打ち上げ られ、・園児達の興奮が益々刺激 されると、大きな輪が崩れ、ウ ズウズしていた足が、お母さん、 お父さんの手を引いて各遊びの コーナー(金魚すくい・綿あめ、 シャボン玉・ボンボン風船) へ 散って行きました。金魚すくい のコーナーでは一人で三匹もす くって得意顔の子、とうとうす くえず泣き顔の子、すくい網を 放り出し素手でつかまえ始める 子と様々でした。一緒の御父兄 方も、かって子供であった事を 思い出したかのように童心にか えって園児以上に其剣な腰つき で金魚やボンボン風船つりに挑 んでいたようです。どのコーナ ーも園児達の興味・関心にすっ かり合致したらしく大盛況でし ■r 一 各コーナーのものが殆ど園児 達の手に渡り、無くなってくる と、いよいよ祭りのメイン、お みこしかつぎの場.に園庭が変わ りました。中央公民館よりお借 りしたみこしは、大人にとって は二二二人でかつぐことが出来 る小さをものであっても、園児 逮には大変大きなものとなりま す。二十人位でカを合わせてか つぎますが、それでも足元がふ たが、やはり食べる亭に大きな 興味を示す四・五才児らしく、 最も人気が集まり長い列が出来 たのは、綿あめのコーナーでし た。 あの暑さの中、汗だくになり ながら綿あめを一生懸命作って 下さった係の役月さん、本当に 御苦労様でした。その疲れも、 おいしそうに綿あめをほうばる 園児の頗を見ては、どこかへ消 えてしまったのではないでしょ うか。 を通して園児が体験できた事、 このような点にも新たに園行事 として加えた意義があったので はと考えます。又、普段の家庭 生括の中で、様々な事情から得 られそうで得られない親子で遊 ぶ時間、親子の触れ合いの機会 の場を設ける辛ができた点にも、 職貞∵役点さん共に新事業とし て企画し実現でを事に書びを 感じております。この一日を園 らつき、先生や役員さんの手を 借りてようやくみこしが動き出 し、その後を園児の体の三倍は あると思われる手作りの大うち わがこれも園児達四・五人の手 であおがれながら続く。園児達 の「ワッショイ、ワッショイ」 の掛け声が園庭中に響き渡り、 その声を追っていくと、普段の 保育の中では消極的な子の口か らも「ワッショイ、ワッショイ」 の掛け声が…。平常の保育では 得られがたい経験が、この行事 児達が真の一時の楽しい思い出 として心に残してくれたなら… と考えます。
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