広報ななかい 第96号 1972(昭和47)年 1月
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な な か い 第96号 は) 教育を主に 十代 前川徳子㌫錮開摘 中共の国連加盟決定、印パ職 争と世界は動く、沖縄速達、ドル ショックと、国政も大きく揺れる。 そして、村政もまた変動する。 そんな番き出しで始めたいと私 は思った。しかし村政の何が変 化しただろう。何の変哲もない。 平穏無事、そして、それを良悪 とするのは個人的見解の相違に よるだろう、しかし私の目から 見た場合、村は何もなさすぎる。 ただ変ったと感じられるのは、 遊行く自動車の数が増え壌の七 会と化し、又兼薬農家が増えた という事だけです。けれども本 村は序々に産業開発の手が伸び つつあるにもかかわらず、そこ 私が七十年代の村政に望むこ とは 「よりきめ細かな政治」と いうことです。政治というと、 言葉だけの上すべりな事と私達 は、体験的に感じているのです。 悲しいことだと思います。 本村は、今過疎化が進みつつ あります。それにつれて、種々 の間膚が生じてくるのは明らか でしょう。これを予知し、未然 に防ぐ。それでこそほんとうに 村民の為の政治ができていると 言えるのではないでしょうか。 過疎化が進んで先づ考えなけ ればならない問題に「教育」が あります。村の発展の為には、 ぜひ解決すべき問題でしょう。 現在三小学校は、それぞれに 児童数の減少が問題になってい よ.りきめの細かな政拍 二十代森田はつみ鵬銅錮掴 るのではないでしょうか。この 間魔の解決には、三小学校の統 合ということしかないと思いま す。小学校を統A‖すれば、設備 の不足等の問題が解決し、本村 の教育は、大きな発展をとげる ことでし上う。しかL統合小学 校建設にあたっては、種々の開 成が生じるものと思われます。 そこで考えなければならない ことは、一刻も早い設置を望ん でいる人達の気持ちではないで しょうか。統合によって、得る 大きな利を考え、目先の小さな 単にとらわれてはいけないと思 います。今の小学生通が、七会 村を背負って立つ十年後、二十 年後の発展を考えるならば…。 に住む人々は相変らずの封建意 識がのこっているような気がし てならない。 機械技術がいくら向上しても そこに住む人の中味が変らない のでは、どこに真の意味での村 の発展があるのだろうか。つま り村政の毅も重要な譲題は、人 間教育にあると思います。立派 な人間がいれば、おのずと村の 発展へとつながって行く事を、 私は確信する。現在計画きれて いる総合的故育施設も、老人大 学もよいだろう。この村の本当 のよさ、人の心の美しきを大切 にした上で、子供から老人まで たのし〈、しかも人間形成ので きる教育方針を数多く打ち立て てほしい。さらに、久しぶりに 村へ帰った人達が、私の故郷七 会だと、心から感じられる美しさ を保ち続けてほしいと思います。 明まして、おめでとうござい ます。 村政に何を望むかという事で 一言書かせていただきます。 今や、農林業においては、か ってない試練に立たされており ます。高度成長政策のヒズ、ミを 其向から受けて、出稼ぎをしな ければならない農家が増えてお ります。又、経済合理性のみを 追求すれば、米作問題、公害閉 篭、林業聞堵、土地問題すべて が、農薬サイド以外からのしめ つけにより左右きれ、確固たる 新年お目出度う御座居ます。 一九七二年の頭初に当り村政に l言お願い致します。 高度生産成長の波絞は、予想 より大きく当村に迄及んでおり ます。第一に危機に立つ農林費 であります。半農半林の当村に は、絶対に切り離せない大きな 問題です。幸い当村に於いては 林檎にも指定されており、この 事黄については、速刻各所に串 の住乗出来る林道を一本でも多 く設置される事を望みます。 第二には、過疎対報に於ける 教育問題であります。中国等い】 村当局と密接な場を 二十代 大塚一郎 林業の合理化 三十代飯村雲鵬錮鏑 目標のないのが現状です。 七〇年代の農黄は、激変の鼻 糞であると思います。 村政にお願いしたいことを箇 条番にあげきせていカだきます。 一、農業後継者育成 二、学校教育.特に幼児教育 三、林道、農道、基盤壕備 四、し尿処理施設 五、過疎対策の徹底 六、公害のない水、緑、自然破 壊のないように お互いに相当局と、我々農家と の関係をもっと密接な場を作り 話し合い勉強したい。 今後とも明るい七会村の将来 の為に懸命の努力を重ねていた だきたいと思います。夢の実現 をめざして、七会村当局の尚一 層の協力を期しております。 放かれましては、体育に至る迄 未来の国家を背負う児童達には 全面的な施しがなされている様 であります。 本村に於いても学校統合、保 育施設を、一日も早く実現し、 良き環境の中から未来を背負う 人間造りに、全力を注がれ他町 村に、劣らぬ自信を持たせて戴 きたいものであります。 第三は、公害問題これは、住 み良い村道りの根本であります。 今後更に、この間題もいろいろ な型で起るのではないかと思わ れます。徹底した配慮を望みた いものです。 その他、村政には数多くの問 題があるでしさつが一九七二年 は、この三課題の早期実現を望 む者があります。 (23オ) 職住 業所 農徳 業蔵 ㌣J肌翫竃 七十年代の村政に対し、日頃 感じている点をあげてみる。そ の中には、およそ実現閑酢と思 われることがあるかも知れない が、決して雲をつかむようなも のではない。たとえヒト年代に 実現できなかったとLても、八 十年代へと前進すればよい。 七十年代の終りには、昭和生 れでも五十歳をこえる者がある 友部町の鹿家に育った私は、 峨争直後の食粗稚にあえぎなが ら、着る者とて思うようになく 苦しみと戦い、あの当時を思い 起し、誰もが今日の生活を想像 現在社会の産業及び文化は、 安心して通学できる道路を ← 新らしい感覚を吸収し 施策の推進を願う 政拍は広報活動の徹底から 苧代小室義男㌫銅謳 四十代 三十代山口 すゑ ● 岩下金司㈹ 昭和生れの感覚をどしどし吸収 し施策を、推進していくように したい。 私の望みを制限紙面に述べる ため、項列別記で簡粂善的に表 わすことにする。 一、自然環境の保全には、全力 をあげる。緑、水、淡水魚、 野鳥等を保讃し、これを計画 的に利用し、生析のうるおい を保つ。 二股育、文化の向上に力をい れる。学校数杏はもちろんの こと、社会放庁、幼児教育にも 兎兎点をおく。文化センター の設置は規眉の急である。 」生析と密接した施策を推進 一 て 急テンポに上陣している中で、 私は、社会の披に乗っていくの が、やっとです。毎日/\の生 活に追われて、村政.に対し、要 望、批判も汁l釆ない様な状態で す。しかし、村政に対し感心は 持っているのですが、以上の様 な事なのです。それには、節‥ したでしょうか。 この敗戦の苦しみを乗り越え て、今Hまで二十数年我が国の めぎましい発展がこの山村にま でも、都市化の披は、ヒシヒン と押寄せ、これから先果してど こまで発展するのか、何か意気 苦しい感じきえ致します。 山九LO年代の村政に、何を 望むかと言う事ですが、私達三 十代の主婦として、子供達がす なおな気持で成長してくれるこ 住所 徳蔵 職業 農業 とが第一です。余り工場などの 誘致等は、感心しません。出来 れば、現在の自然の環境の中で 安心して農菜に骨み、子供達が 安心して通学で来るよう、道路 の危険ケ所の性情等を、早く解 決して敷きたいと思います。 又、交通や医席の面に於ては 私通としては、今の状態で良い と思いますが、出来るならば歯 科医が、あったならばと思いま す。現在歯の治療には、笠間ま で行かなくてはならず、最底半 口はかかります。 いづれにしましても、私達農 村婦人が、安心Lて働き、子供 達が喜んで勉強出来る様な村で あります様願っております。 に村民だれにも周知できる広報 の徹底をはかり、村民だれもが 村政の動き、議会の活動をわか る様に掲載することにより、村 民一般だれもが、常に村政に対 しての意識を持つことにより 初めて、村民一体の政治が生ま れると考えます。 決して、楼閣の政治であって はならない、すみずみまで徹底 した広報活動を望む。 村民‥体の政治は、広報活勃 徹底からではないかと思います。 する。徳蔵、笠間聞の道路整 備を早急に実現する。し尿処 理場、ゴミ処理場、火葬場等 の施設を完備する必要かあ る。 幽、水戸、勝田、鹿島百万都市 市民の生活圏を引き受ける。 尚、水戸のセカンドハウス を誘致して、人口を増加し、 それに新鮮食料を豊富に供給 する事により、村民の利益を はかる。 五、適作々目を選定し、これが 主産地を形成する。生産琉過 の合理化をはかり、農業所得 の向上につとめる。農薬以外 の振興も併行して進めるp 六、医療施設の拡充整備をする。 ここの点は従来も村政の兎点と して釆たか、より一層の条件 慾備を要する。 七、過疎対策に知恵をしぼる。 八、生活改善を工夫し実行する。
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