広報ななかい 第74号 1962(昭和37)年 4月
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(2) 昭和37年4月1日 第74号 昭和三十六年度の新農村事業 として、七会村地域農村振興協 議会が採択した農事放送電話施 設は.七会農協が事業主体とな り、これに協力する団体として 振興協周年村議会.農協役員 等によって建設委員会か組織さ れ、その建設に努力して参りま した。 去る一月三十一日から二月三 日迄摘皮の指名競走入札を行な い、二月八日に至って日立製作 所に七、八〇〇千円で工事の請 負契的が成立し.三月十八日か ら建設を開始しておりますが竣 エは五月中旬の予定です。. この割期的大事業が実施される に至りましたその背後にほ、建 設委員をほじめ部落の役員及び 加入者各位り事業を理解し時勢 「宝の持ちぐされ」という言 葉がある。これは使いようによ っては相当役に立つ物㌢使わな いでおく場合のことで言わば物 の運用を知らないと一一与っ意味に 使われる胃薬である。 本村小勝の地内だがKさんと いうお宅がある。私は時々この 家をお訪ねして教へられるとこ ろが多かった。Kさんの宅地ほ あまり広い万ではなかった。 しかしその宅地を秘めて無駄な く利用されているのには驚かさ れる。家の前に少し庭を残して あとはいろいろな果樹が植えて あった。果樹ほもう成木に達し て居るものもあって毎年相当の 収穫があるようだった、家の某 はすぐ山になっているがそこは 高く芝を積み重ねて立体化し何 段かの階段にした地面をつくり ここにはシいタケのフレームが 追ってある.その上は山を開こ ん、ルたあまり地味のよくない畑 だがそこには跳の木が植えてあ ㌢水の引き方排水の流し万や 農事放送施設 五月中旬に竣工の予定 を認識され、村を愛する精神か ら終始御協刀下された賜ものと 厚く感謝する次第です。 申すまでもなくこの事業が完 成の瞑に本村にもたらす文化的 経済的、地域振興の原動力とし ての役割がいかに大きいもので あるかということは着々とその 効果を上げるであろうことを信 ある、0さんの真山の梨畑ほ現 在二五アールで立派な果樹園と なっているがもとはここも山畑 で夏作一作だけの粗畑で粟(あ わ)かきびを作っていたに過ぎ なかった。 ここに0さんは梨の苗を植え て苦節十年、今日の菜園を造り 上りたのである。私はかって視 察したところでみるが山梨県の ブドウ、静岡県のミカン、奥秩 フレームの管理めためにも細心 の苦心が払われているように思 えた。Kさんの宅地の場合は創 意とエ天によって利用価値を高 めることが出来た凧ので今とな っては年収にしても相当な金高 をあげて家計をうるおすことが 出来ると恩う。誰もが自分り家 のことか考へて見たらどんなも のだらうかと思った。 塩子の内にもこれに似た例は 昨壁夏生ワクチンを授与し、 非常な効果をあげたことは、み なさんご承知の通おりです。 小児マヒは非常に恐ろしい伝 染病です8小児マヒにならない ように今年も生りくチンを飲ん 宝のもちぐされ 小児マ ヒの予防 生ワクチンを飲みましょう この渇地に二条の深い排水路を 掘って水を流しその間に一本な らびに杉の木が植えてあった。 いっも水のしみ出ているぬかる みだから普通たったら勿論杉も 睦も育つとこころではなかった 私は時々ここを通ったがそこに は七十位のぢいさんがいて排水 路にたまった砂利を上げている 私が言葉をかけても返事をした ..とがなかったから域ほ耳が遠 ずるものです。 今や一村一国の発展ほ、すべ て交通と通信にまつペきものが 多いといわれておりますが、そ の通信網がこの山間へき村に施 設されますこには本村発展のた め本当にょろこばしいことです 今後共この施設に対する一層の 御協力を願うと共にこの施設を 十二分に活用されて新らしい、 村づくりに一段の御協刀あらん ことを切望して農事放送施設の 中間報告とします。 で下さい。 先月投与した看を除き四月上 旬追加集団投与を行ないますか ら該当者は洩れなく投与して下 さい。 今回授与するりくチンは一型 父養蚕地帯の桑畑等、何れを見 ても何十年かの長い間資本と労 力を殺人のて傾斜地の高度利用 を考へそこに適した慮菜キ開発 して今日の産地をなしとげたも のと思われる。 ところで話しは変りて十何年 か前のことになりますが私が八 瓶(がめ)山を越えて徳蔵へ出 る途中八瓶山の南側の射い谷間 に僅かなぬかるみがあった、こ ◇ ◇ 単価ワYチソで、投与は三回 (-上=蒜…)行なうことになりま す。 二型、三型は五月に、又一、 二、三塾の混合りくチンは来年 一月それ′1授与する計画です 一、該当者、昭和三十六年十一 三月十日以前に生れ、中学生 以下の着金貝、 一、投与日時 四月九日 咋用品半裸蔵小学校 咤后一一繭半小勝小学校 ▼ 〝 十二日ク 塙子小学校 い人なのかも知れない、その後 何年かたっうちにこの杉の木は 立派な木に成長した。最近では 見えないから伐って売ったのだ らうがあんな土地でも手入をす れば立派尤木を育てることが出 来たかと思うとあのぎいさんの 丹精には心が打たれるのである 本村わような山村で曲り角に 釆た農業を如何にして時代の流 れにさおさして行くかは当面課 せられた需要な課題として寄る とさわるといろいろな話しが出 て来る、やれ果樹r上、シイタケ だ、幣農だ牛の肥育たと、私ほ その何れをとっても村の産業と して大軍なことには違いないと 思うがそれはそれとして三千二 百余町歩の民有林の内人工造林 地は千首二十余町歩で (一部五 松の天然林を含む)路面宿の三 五%′過ぎない。残る広大な天 然萌芽の広葉樹柵二千宵余町歩 に適地適木の林機転換が軍摘出 釆たとしたら本村の資源苗穂の 増加率は極めて大なるものが期 診療所だより 前任者松木先接が、去る三月 十五日退職転任されたことは文 琶をもってお知らせしましたが 今度後任者として竹沢行雄先生 が東京より赴任され、四月二日 よM診摂を開始いたすことにな りました。 しばらく休診いたし村民の皆さ んにはいろi御不便御迷惑を おかけしましたが今後は竹沢粟 生の御協力により皆さんの期待 に添いたいと思いますのでよろ しくお輝い致します。 又往診等の電話連絡は、 「鳴子十二番」をご利用下さ ヽ ● -∨ 待されるであらう。しかしそれ には莫大な資金や労刀を必要と するので山を持っ人は勿論村民 離もが理解と協力をしなくては 出来ないことだるうがやって必 ず間近いないことだと思う“徳 蔵のぢいさんのようにぬかるみ の茸むらの中からも良材を産み 出すことが出来るのだもの。 さて春たけなわの四、五月頃 ともなれば本村にも農事放送が 出来上るだらう.これも村民各 位の熱意のおかげであらうが村 内には「お肌の家では有線放送 なんか用が無い」などと言って 居る人もある。私は常に考へて いることは文化とは交通と通信 の准歩をおいてあり得ないと言 うことだ。村内には昨年中赤電 箭や黒電話が増設されてどんな にか時間と労力が助かることで しよう。更に村一円の有線放送 が出来るとしたらこの施設を利 用することによって有形無形の 利益ははかり知ることが出来な い程だろう。要はこの文明の刑 祝高校を 〃 〃 か ◇卒業者 水戸一高 水戸二商 か 水戸三高 〃 水戸商業 葵城高 大成女商 笠間甫 ※ 出る人 入る人 前川 信吾 阿久津哲子 阿久渾あゎ子 鈴大久乗子 森 悦子 大畠 義男 阿久辞 栄 富田 敏子 .飯村.怒草 小林 千城 飯村 佳子 卜部 君江 益をいかに活用すべきかの心構 えではあるまいか。目滞公私間 の通信連絡は勿論のこと。坐慮 物の価格の速報や出荷の調整等 有線放送を利用することによっ て新らしい経済活動が限りなく 開かれて行くことも可能であら ちノ0 又今日のようにテープ、レ ーダーがあって簡単に録音再生 が出来るとしたら名士の講演や 村の出来事、特に.重だった会諌 の模様など録音しておいて夕食 後の一時にこれを放送したなら 村民の皆さんはこたつに入って 居ながらこれらのことをきくこ とが出来るであらう。選挙の政 見放送などもどんなものだらう か使いようによっては有線放送 ほ限りなくわれわれの生活とつ ながっ.で働いてくれるであらう ソ連やアメリカが人間衛星の 打上げに成功した今日我が村に は有線放送が出来るのであ.る。 北は道木橋の端から南は大網の 窄まで、本の電線で結ばれ 〃 ◇入学者 水戸二属 水戸工業 .水戸商業 蕨岡市 茨城商 水農石塚分校 ク 〝 〝 〝 〝茂〝ククク 〝ク 〝ク 〝ク 〝 〝 ケ 木 高 片岡 治子 川原 イ子 川原 ヤス 鈴木たね子 飯村 義弘 片岡 衛 高松 毅雄 森田 守雄 山口 春治 岩下 碍子 岩下 薫 清水 米子 冨田千代子 阿良山靖一 大森 勉 城下 還 羽根石かすみ 仲田 満 飛田 さた 菌部 洋子 清水 正章 阿久渾宏一 阿久津英男 阿久津克己 阿久辞一成 羽根石好栄 根本 貞雄 ■′.-て一’=〓=’.⊇≡一一.■亡.〓:【-、■l】 〓 〓 〓 〓二〓=〓-、■㌻L七.- たのは我が村としてはたしかに 歴史的な出釆事であるq我が村 を住みよい村に私ユリ立てて行く 者は我が村の人々おいて他には ない。みんな真剣になりてこれ らの土地を、これらの山を、こ れらの施設を実の持ちぐされと しないで新らしい村作りのため に役立た車ようではありません . (商会儀貞 大森 旭) 駐在所の異動 ◇穂蔵駐在所 着任 小沢束一郎岩瀬町から 転任 風見利雄・友部町へ ◇附大学入学者 茨城大学 立教大学 共立女子大 大成女高 水戸女子商業 水戸第一商業 勝田工業 太田二商 笠間苗 下館二高 日本国民高 茂木甘同 仲田 政男 樽谷 好郎 小林 良男 小泉 啓二 小瀬 褐寿 卜部 署鮭 生畑日とも子 富慨 玉窓 阿久津千恵子 阿艮山桂子 飯村 久子 古憶 重賞 榎戸 富田 河岩か片 床下醒岡 冨田 カツ 河原 次子 富田 和子 川原とみ江 大坂ミチ子 飯村 栄子 岩下 玲子 鈴木たみ子 富田 誠司 紋付 正司 仲田 昭憲 城下 徹 田沢 庄否 田口 富子 克見喜代子 具藤 礼子 山口 前川 信吾 阿久洋 栄 森 栄男 阿久渾津子 信勝興祐 能 登一男子治稔久 教職員異動 ◇転入者(四月一日付) 七会中学校 教諭 所 幸三 宮崎祐政 森田稲性 片岡衛人 橋川里江 ◇転出者(三月三十 七会中学校 教諭 井坂フI、- 勝田信轟 深谷農姓 橋川勝彦 市電 熱 富田道子 徳源小学校 教諭 片岡衛人 嬉子小学校 教諭 田村 任 「春は大火が多い」 毎年春先に大火が発生してお ります。 これは、気象条件と、お互が 火に対する関心が薄らいること と農肇が多忙になるため留守に ノ1 しがちがこの原因です。 数年前道木橋で起きた火災も 留守中に火が出たため大火とな ったわけです。 村内わ各家庭る火災から守る ため、お互に火の取扱と子供の 火遊びに充分注意して下さい。 「ひとに楯るな火の始末 やいて泣くより笑って用心」 村職員の異動 ◇新任者(四月一日) 竹沢行雄 診療所医師 棒谷恭子 看讃銅 山口昭子 役場柿惜賓記 ◇退職者(三月十五日) 松木可光 診標所医師 卜郡常子 見習看護婦 常北中から 羽黒中から 究中から 徳濯小から 南飯田小〃 一日付) 南飯田小へ 桜丘中へ 平機中へ 笠間商へ 共立女子大 沼前一小ヘ 七会中へ 四日死亡
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