広報ななかい 第49号 1958(昭和33)年 7月
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金 村 七 升四十九号 (1) 昭和33年丁月1日 過般行われた衆 議院議員総選挙 に、良好な成績扁 収めた功紙で、去 る六月十二日県に 於て挙行された寮 彰式に 状の通り、優良選 挙管理委毎会とし て表彰を受けまし た。 ここに被表彰を 報告致すと共に、 関係者各位の御協 力に対し感謝の意 を表します。 (選挙係) この世の中から犯罪をなく したいということは、だれも が望んでいることです。 犯罪者が一人もいなくなれ ば、世の中はどんなに明るく 住みよいことでしよう。 あやまちを犯した人々を更 生させ、また、私たちの聞か らあやまちをする人々を出さ ないようにすることが望まし いことです。 七月一日から一カ月間、社 会を明るくする運動が全国的 に行われます。 あやまちを如した人々′に は、それ′付\・心身の欠陥や生 活の混乱からあやまちを犯す ようになったいろくな原因 があるのです。 このような人々にあたたか あたたかい愛の尊を 一日からーカ月間合国遅勤 優良選管垂とし.て 鍍1.表 彰 い愛の手をさしのべて、その 原因となる心身の欠陥や生活 の混乱をとり除いてやり再び あやまちを犯さないようにし てやることが是非とも必要で す。 犯罪を防ぎ、犯罪者の更生 を助けるためいろ′1の団体 が活動しており射では保護司 や民生委員の方々が一生けん めいに努力しています。 家庭も学校も職場も地域社 会全体が協力して、この世の 中から一人の犯罪者もなくし 「明るい住みよい社会」をつく ることに努めましよう。 -鋭かく伸ばす愛の手 明るい社会- 1叱るよりほめて下さい お母 さん- 机管楽会をかねその披蹄式が 挙行された。 式には水戸地方教育事務所 長石川潔先生をほじめ西郡中 央班長の寺内笠間小学校長、 村長外村内有志、地元PTA 等多数が参列、盛会に終了し 「児童に囲まれるピア′」 た。このピアノ購入資金は、 五十万円近く蓄積してある同 校子供郵便局の利子と、昨年 PTAによって行われた校庭 拡張工事の労力奉仕の報酬が 充てられたもので、この楽器 充実を期に一層音楽教育の振 興を期すと田口校長以下職員 は喜びと共に大いに張り切っ ています。 ー不良化は家庭の愛の すきまから1 -子の身持くずさぬ 親のしつけ糸1 (社会福祉協試会駐在所) lllilh」h山h‖11証blhl】l11月J1日Il」llll‖山l】11111 徳病癖学校に 発行所 発行人 印刷所 昭和≡十二軒 七月一日 牙四十九号 ピ ア ノ 伊阿七西 藤久会竃 印浮村郡 刷鋭役 所男場 JイtIl】l■ll-1lJlいIl■‖ltl■lltlI■ll■ll■lltll■ll■ll■ 徳蔵小学 校でほ多年 懸案のピア ノ購入がこ の程実現、 去る六月二 十一日 (旧 五月五日) 村内小中学 校児童生徒 選挙期口の短縮に伴って多 忙のうちに終えた総選挙と、 五十数年来の異常渇水に悩ま された田植もその大部分が完 了した、六月十八日-十九日 の二日間県選管委水戸支会( 水戸支庁)主催で、今回の総 選挙に優東電成箇を挙げ得た 福島県下優良選管委の視察が 行われ、その一行に参加した 一人として視察の概要を村糀 の紙面を通じ報告致します。 このつたない報告が今後の 本村選挙管理と、公明選挙推 進にいささかでも参考になれ は視察者としてこの上もない 幸福と布じます。 一行は小雨降る十八日午前 十時県庁前を二台の貸切.ハス に分乗して出発。バス旅行で なくては味わえぬガイドの 「 梅の都水戸市をあとにして二 十分、このあたり一帯が磯部 田んぼで御座居ます。」 磯部田んぼの ばらばら松は 風もないのにきがもめる その菅‥…‥‥等の名調子に 視聴を傾けつゝ水戸を離れ視 察地に急いたのでした。 曇った車窓からは県北の米 の宝樺太田たんぼにも水不足 が充分伺われ、二、三日前の 降雨と当日の降雨で田植が出 来るとあって果てしないと云 い度い程広々としたたんぼに は今が盛りと田植が行われ、 旅行者にとっては不運な雨も 農家にとっては黄金の雨とで も云え得ペき有難い雨で、牛 追う男前取る乙女の顔ほ希望 にあふれているように感じら れた・。 以下一行はガイドの司会に よって声の自己紹介やら今回 の捻選挙、「話しあい」の実 績を車内に報告しあいつゝ . たのは午後一時でした。 役場の隣りにある町立産業 選挙の発進地を て ね 選挙係 阿久津 侍一 濁川町は、前に述べたよう に二十九年に隣村山白石村と 合併しており、選挙の成績は この合併に負うところが大き かったと云われております。 それは合併前の旧浅川に於 ける選挙意識は低調で各櫻選 挙の成績は郡内に於ても中以 下に位いするものであった が隣り村に当る旧山白石村は 高校の家庭科室に案内され昼 食をとると休む暇もなY当町 の助役、委員長、係員が見え 快く歓迎され次の通り熱心に 説明してくれました。 浅川町は昭和二十九年十月 に旧浅川町と旧山白石村が対 等合併、更に三十年八月に西 白河都東村の一部を分村合併 し六月一日現在で 一、両横 宅、天平万粁(望、舌) 二、人口 九、竺{人 (四、毒〇 男四、天一人 (一一、呈() 女四、窓芸人 (モ三八) 三、人口密度二四四人( 宅) 凶、産業別人口(大別して) (八一%) 麒業宍お 商工林業その他喜%(一九%) 五、有権者 四、聖火人 (ニ、○仝) 男一一、覚九人 (一、○望) 女一〓宣七人 (「○莞) 六、投票所五カ所( 式 ) 七、投票所への最遠距離 (七粁) 四粁 注( ) は本村の数字 と商機に於ては本村より約二 十七平方粁(約五分の二に相 当)狭いが、人口耕地等は丁 度倍を有し交通の便は水郡線 璃川駅が町の中央にあり町村 合併促進法で云うなれば正に 適正な規模と云えましよう。 ついて浅川町が今日優良選 管委として同県の推せんを受 けるに至ったには次のような 勤楷と努力が払われたと云う ことです。 このことによって同年九月 にほ県から公明選挙推進モデ ル地区の指定を受け遂に全町 の各層が相寄り公明選挙推進 委員会を組糾すると共に直ち に町を挙げてこの運動に乗り 出し、先ず「話しあい」によ る各人の政治意詰の同上が取 り上げられ、これが推進母体 となる婦人会、青年会幹部を 対象に助言者の蕃成が県から 紐師を招いて行われ昨年中に この巷成講習会が立回も開催 したと云うことでした。 またこれが助言者の養成講 習会についても、直接「選挙 」と名を打ち出すことは、興 味が浮く欠席者が出ることを 懸念して生活改善と公明選挙 推進を抱き合わせて行う等細 心の意を用いたが、その会が 回を重ねるに従って婦人、青 年層の認識は予想以上に高ま り、農繁期でも大半が出席す る・ようになり、これら助言者 は自部落に帰っては有権者を 対象に (特に婦人青年層に重 点を)一「話しあい」の会を開 き、今回の選挙執行に当って 閃かれたものを合せると実に 延四十回にも及んでいるとの ことでした。 また今回の総選挙執行に当 っては同町公明選挙推進委員 会の婦人部と青年部は積極的 に管理者や立合人、事務喝託 になることを申し出る一方 少規模だったためか県下は勿 給金国でも有数な選挙先途地 で合併前に自治庁から優良選 管委として衷影を受けた程 て、全住民の選挙意識は高く 合併後も合併前と変らず、公 明選挙を穂川町全町に普及さ せようと各種選挙執行に当っ ては同地区の成績を挙げる一 方、旧山白石地区出身の職員 や関係者が心中となって選挙 に関心を持つ運動が起され、 これが発足当時は種々困難な 事項が山債されていたが関係 者のたゆまぬ努力によって解 消、溝川町全体の選挙恵隷は 次升に高まり、昨年八月に行 われた知事選単には県下で升 一位の投票率を挙げ得るまで 浸透したとのことでした。 ー 「公明選挙は先ず棄権防止か ら」と当日自発的に棄権防止 協力班を繰り出し、午後に至 っては時間をきって投票所の 投票状況を調査末技票者に対 しては小中学生の応援を得て 投票万を勧告する傍ら身体障 害者についてはこれが輸送の 便利も取計い遂に投票率は驚 異的にも九三、〇八卑を挙げ 得たと云われました。 ついて私はこの棄権防止協 力班の手によって投票された 人数はと野間したのに対し係 員は、正確な人数は把捉出来 ないが約三有人 (○、八〇 %)位いと推察されるせ答え られました。 以上が概要ではありますが 濁川町に於ける選挙管理と公 明選挙の推進状況で ありま す。最後に本県升一位の成績 を収めた本村の選挙管理と公 明選挙推進状況を軽く簡単に 比較対象して結論としましよ 、フ。 ∵、投票の条件 先ず面積に於ては、本村よ り約二七平方粁鋏い上に有権 者は倍数を有し、投票所は双 方共五カ所で投票所に於ける 最遠距離が本村の塩子投票所 の倉見、道木橋の六〜七粁忙 対し深川町は匹粁と云うから 技崇の条件は浅川町が速かに 蔑まれております。 二、公明選挙の推進状況 濁川町に於ては二十九年合 併によって一部の村から刺戟 されて瑞を発し、更には昨年 県からモデル地区の指定に伴 って要員会を組織運動を開 始、急ピッチで助言者の巷成 「話しあい」の開催と努力は 続けられているが、本村に於 ては二十九年四月自主的に各 種団体が相寄って公明選挙推 進委員会を組織常時啓発宣伝 に努めると共に今回の総選挙 に当っては婦人会の協力・で「 幻燈会」と「話しあい」が延 十五回開かれておりますので 手前、、、ソながら本村の推進状 況の万が一日先に出ているよ うに思われるのです。 以上のような条件下で行わ れた今回の総選挙の投票率は 一 ・r 御協力下さるようお顕し視 記と致します。 、深川町九三、〇八%、本村 九〇、五五%と浅川町が二、 五三%優位を占めているが、 この比較対象に見逃すこと打 出釆ない深川町の棄権防止甥 の活躍?があったことです。 この棄権防止班の行動につい ては溝川町のように公明選挙 推進運動の一項に加え強力に 推進することが適切か、文辞 挙は権利の行使である以上行 達しなかったので究明するこ とほ避けるが次のことが考え られる訳です。 仮に本村に於ても浅川町の ように棄権防止班を繰り出し ○、八〇%の棄権防止が若し 出光たとしたら九〇、五五〆 ブラス○、八〇%即ち九八、 五五%′想像もつかぬ高率に なり、反対に浅川町も本粛の ように棄樺防止を啓発宣伝に 止め自主的投票を待ったとし たら九三、〇八%から、八〇 声〔勧告者)が引かれ、八五、 〇三%と云う数字が現われ、 これを本村と比戟すると五、 五二%低くなるわけです。 そこで有権者各位の投票に 現われる政治意識を比較する ならば種々不利な条件を克服 しっしこ向率が予想される本村 有権者各位の万が一段と優れ ているということを思う時、 私は、我村の選挙意識は月本 一だと云い度い程意を強くし た次升です。 最後に浅川町選管要でも強 張されていたことに、公明欝 挙の推進は有権者全体の協力 が要ること乍ら、滑り水には 寿があると云う箆の如く古い 選挙意識を持つ者は、「公明 選挙」を「巧妙選挙」と読み替 える現実で一朝にして撒底せ しめることは仲々困難であ る。従って古い選挙意識を排 除し公明選挙を冥現するには 有権者の過躍数を占める婦人 層と、純真にして率直な青年 有権者の協力を求めることが 当面した最短距離であると云 われ私も同感した次升です。 明るい住みよい社会を造るこ と、即ちこれは「公明選挙」の 実現によって築かれるもので すから他町村のよい点はどし ′1凝り入れ悪い点は排除し て今後も益々公明選挙推進に

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