広報ななかい 第47号 1958(昭和33)年 5月
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七 報 升由十七号 昭和g3年帥紬 (21 皆様大変暖かになりまし た。愈々本年も多忙の噴とな っ.たが過日はものすごい寒波 がやって釆て農作物に相当の 被雪が出たようですが気節の 変り目には琴況暖風と絞らん があるように社会の移り変町 にも亦新旧交替の過程が強い ようです。■ さてこの村報は二七年七月 に升一号が出てから既に七年 の経歴が出来たわけで毎号そ の内容も充実して釆ているよ うだが一般村民の投稿は割に 少ないのが少⊥淋レいように 思はれる。貴重なスパイスを このようなつまらない文章で 塩子戸ノ内前水田に対する 鉱害対策として工事中であつ た井堰並に送水格が四月十六 日遂に完成いたしました。 たゞ今戸の内前水田に滑水 がどんく流れています。 永年の間鉱害になやんでき た耕作者の顔も明るい希望に 滞ちています。 村当局を賂め直接間接御援 動と御指導を賜わった各位の 精神的協力 につ い て H 門 外 漢 生 清水導入施設の 完成にケいて 戸′内前水田 耕作者代表 あふれています。共に村内名 物の一つになるかと思いま す。 私共耕作者は、、荒原した土 壌の矯正につとめ将来村内屈 指の美田たらしめるよケ努力 いたし増産に邁進いたしたい と存じます。 荘に村報の紙面を借り取り 敢えず謝意を発する次升で 埋めては申訳ないのだが乞は れるま1に近頃の感想の一端 を書いて賀を果したいと思 ぅ、殊更に題名をつけ牒ほど の内容もないのだが敢えてつ けるなれば「精神的協力につ いて」とでも云うべきか、退 屈しのぎに日を通していただ けたら串です。 世界的な物理学者粉川博士 の或る著書に次のような意味 のことが述べてあったのを読 んだ者があるだろうと思う。 H好気心を持つこと、 βやって見ること、 臼科学的に研究すること、 囲失敗したら反省すること す。 ∫.・..・:I=J:・ご・こ▲.′‥-..・一-..ノ 頓 井 た し 成 完 阿久津守男 御同情の結果と 存じます。 叢に耕作者を 代襲し厚く御礼 申し上げます。 新型のコンク 甘-ト堰上には 滞々と水を堰止 め、塩子川の川 底を通した「サ イホン」からは 勢いよく清水が 鰯根気よく綻けること. 何.の気なしに読み過ごしてし まへばそれまでで看過しがち であるが、この五つの条件の 中には狙い意志と実践、反省 と科学的思惟が要請されてい るのであって本当はなかなか 翫味すべき言葉であるよう だ。世の中にはびっくりする 程新規な出来ごとはそう沢山 あるものでほない。平凡な日 常生活が積み重ねられて社会 生活が成り立っている。それ が常識である。それだからこ そ我々は安心して毎日の生活 が出来るのだ。又将来への希 望もつなぎ得る訳だ。過去か ら現在へ、又現在から未来へ 或る軌道を辿っている。それ では世の中は何時も平凡、退 屈で余り変化がないかと云う と決してそうでもない。相当 のスピードで変って行くもの だ。それはどう云う駅だろう か。 我々の個人的な日常生活ほ たとヘビんなに平凡であって も必ず社会と結びついてい る。このことは非常に大事な ことである。我々の月々の生 活、その大部分は前進だか後 退だか判別のつかないよ、ユな 遅々とした動きであるが然も 歴史と云う京大な歯串を押し 進めているに相違ないのだ。 時空は我々には客観的存在で あ.るには相遥ないが現実の歴 乳の内容を盛るものは、我々 に相違ないから、この歴史の 動きが現実的に我々の意識に 反映して釆たときには意外に 相当のスピードで展開してい るのに驚くのである。たとへ ば神武以来の景気だと世周が 際ぎ出した頃には既に糸編産 業は倒産者が続出しているよ うなものだ。消費ブームと称 してきもを潰すような漸新な 商品の山が店頭を賑はし、世 間では文化生活の向上だと謳 歌していたがその時は既に過 剰投資で好況と云うフーセン 玉はどこかに吹き飛ばされる 運命にあった。 こうなると農村にまで神武 景気はやって来る筈がない。 都会近郊の農村はともかくこ んな片田舎の本村に来るまで にほフーセソ玉はしぽんでし まチた訳だ。農村生活くらい 席威々々しい首のはないよう に思は.れてくる、そして農村 から都会へ、都会へと人口が 移動して行く。おかげで東京 ほ世界一の人口都市に膨脹し た。幾百万と云う人間がひし めき合って生きている。 そこは文化のセンターであ ると共に犯罪の温嘩ともな る。我々農村人も同じ人間だ から都会人と同じような生活 がほしいと思うのは決して間 遠いでほない。都会人と農村 人とはその労働の欝が違うの だから生活の様式も当然通う けれども生活が央頒り或る程 度まで交化的に忍まれていな けれはならないと思うのは現 代社会の常粒的なイデオロギ ーであろう。人権の尊重は明 代民主主義の基本であるがこ の基木的人権主張の裏打ちと なるものが文化的生活の確保 でなければならない。 生活改善、教育への関心、 その他社会教育などの文化的 活動が清澄になって釆た所以 のものほ皆この要求の実現の ための手段に外ならない。近 年になって何叔に急にこんな 気道が醸成されて釆たのかを 考へ、百年諸君に詐へたいと 同時に壮中老の親遵にもせめ て精神的協力だけほお願いい たしたい・。このことについて 少しばかり私の希望を述べて 見たい。 町村合併法の実施に伴い全 国に町村合併が押し進められ 一応その完了と同時にこん佗 は新農村建設法が英碓され、 合併町村に対し新農村建設計 画を樹立せしめ国庫が壌助を 与へることになったため農村 の構成に大きな変化を与へる ことになった。この行政摺置 の目的は別として農地法に比 適する重要な法律であり又社 会的意味が深かったと思う。 地方自治に関する政治上の問 陽についてはこ1で語る余裕 はない。こ1では経済的、生 活様式と農村構成変化につい てだけ語ることにし美い。 先ず升一に新農村建設計画 が進行するに従って今まで孤 立していた農村生活が大なり 小なり総て秒両で町や都市の 生活との結び月を一周深め た。相投場が町役場になり、 今までクスブック村役場は明 るい近代的鉄筋コンクサーt 建に変り、小中学校の統合が 進んだところではこれまた近 代的校舎が煙った.町と村、 都市と町を結ぶ道路は銅襲さ れ大型バス網が町から村へ、 村から町へとひっきりなしに 人の流れを運んでいる。 今まで小さい村の講員だり たり、だんなだったりして巾 をきかしていた者が単なる農 家になりさがり、その反対に 進学生が急に増加し、姫業良 家の子弟が町や、地方都市に 過勤出光るようになった。中 崩日出そうとしていることは 事爽である。 戦後日本経済機構の特殊性 として好殻気には必ずインフ レーションがつきものだ。そ して好於気から不況に転落す る際には二れまた必ず農村に 額寄せが来る。互大な過剰投 資が行われた結果その商品の 写真は 椎茸我執頚絢の打込持主!室 四月二十五日小1勝地内で 都市と町、町と 村と云う具合に 村の生活が都会 の生活に近似化 して釆た、経済 生望、生活様式 が都会のそれを 受け入れ、思想 的にも都会人ら しくなったのだ から古い農村の 構成ががた′1 央 大都市と地方 夏も近づく八十八夜(五月 二日) この日に筆者は執務の 一端で村内を一周して目につ 小たことは、黄色く枯死して いる麦畑と、油紙を使用した 保温折衷苗代の多いことでし た。 前者については三日前に、 村会と農業委員会の合同協議 会を開催これが原因の降雪凍 霜害の対策を掩討中であり、 後者については、本紙上で普 及員が普及指導に努める一 方、村に於ても新らしい産業 ヽ■ノ ) 塩子醐五字脚 ′l\( 連合青年会主催の三字対抗 球技大会は、絶好の運動日和 に恵まれた五日(子供の日) 七会中学校に来賓多数を迎え て開かれ、各秤目に息づまる 熱戦を展開、野球と卓球は塩 子、排球は五字チー・ムに優勝 の栄冠が輝いた。 ◇ 野球の都 賀…0。‖‖‥口 授手 喝刊 仲田光見 朝刊 河鹿井洋 本塁打 仲田裕(塩子) はけ口は農村へ農村へとなだ れこんで来る。網の目のよう に発達して釆たバス網、スピ ード化されて釆た鉄道、地方 に近代人の感覚にマッチした 豊富な商品は農村の購買力を 投手 嘲刊 矢野次男 仲 田光見 羽脚 清水功 清 水長一 本塁打 仲田光風(塩) 仲田澄雄(塩) 川村昭三 塩子 小腸 〇.〇50010 白球乱れ飛ぶ球技大会で ■-∧U524∧U- 森 田 さ 超早期栽培を試作 の一つとして奨励しているこ となので多少の予備知識を有 していたが、予想以上被昏の 大きいことと保温折衷苗代の 著し㌦普及振りには驚いた位 いだった。 しかしそれよりもっと驚い たことがあります。 それは慣行の水雷代の播種 が完了しない部潜もあると云 うの掟大網へ行って見ると早 くも田植が始められていたか らです、これは村内は勿論県 内でもおそらくトップではな が初優勝 (小) 訓鞘‖…‖…〓口 授争 議舅冨田昭一 叫脚 川村昭三 ′ 優勝 塩子 二勝(初) 二位 五字一勝一敗 三位 小勝 勝二放 ◇ 排球の部 妻2空竿警 優勝 五字一膠(初) 二位 規子一敗 小勝 棄権 ◇ 卓球の部 塩千切5〜2五字 塩子 41・、1・小勝 刺げきし、売らんかなの商魂 たくましい宣伝戦、これ等が 農村人の欲望を誘導し農村人 を都市へ都市へと運び購買力 を集中せしめているのでぁ る。 (以下次号) 下■l′ 、\ 五塩引 字子分 生活のLお甘 (五 月) ○心のゆるみは事故のもと。 外出する時にはコースや時 間に無理のない計画をたて 運転者に対して先を急が せないようにしましよう。 〇五月になると蚊、ハエ、′ ミなど人間生活をおぴやか す昆虫類が一せいに発生し ます。これらを徹底的に退 治するには協同して潤掃や 薬剤散布をすることです。 ○子供を良くするのも、悪く するのも大人たち全部に茸 任があるのではないでしよ うか、「自分の子供だけよ くなればよい」というせま い考え方をなくし、いつも 明るい社会環境で子供たち を守ってやりましよう。 いかと思います。 田植の主は大網の鴬農家、 森田初菜さんで、その概要は 次の通りでした。 森田さんは現在奨励されて いる保温折衷苗代の早期栽培 による増収と、農繁期の過罷 労働力を穎和しようとする一 石二鳥の早期栽培ヒ主眼を置 いて始めたもので、三月十七 日に陸苗代に穐播ピー一-ルを 覆って育苗田植えに至ったも ので、二反二敵の.本田には 「栄光」 「銀河一号」 「越路 早稲」 「新木二号」の四稀類 が植えられ、今後の適切な塙 肥管理によって超早期栽培を 成功させようと試作したもの で関係者の注目を引いていま す‥ 尚、これが超早期栽培の実 績については、収穫を終えて から紙上で報告をお願い致し たいと思っております。(A) ′・-’ヽ′-、.

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