広報ななかい 第23号 1954(昭和29)年 10月
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報 会 村 七 昭和二十九年十月三十日.(2) 牙二十三号 以上は極めてぺ網だゼぁけ たのであるが資金があつで部 落内で協同が出来たら排うん 概購入に反対する者旺みるま いと思う、資金旺作らねば出 火ないし協同はやらろと云う 意志がなければ望めな∴∵併 し】慶排うん櫻が入hこさへし たら協同旺自ら実現すること は間違いないことだ、伺ほ資 金計画は三年乃至五年完済計 画とし二毛作にする増収の一 部及び賃収入を以って充当し 協同組合紘これ等現物の販売 について農家の利益を代表し 蓉処すること1し雨着協力い たしたなら決して困難で妊あ るよ小と思う、次に参考のた めその作成例を左に記して見 る。 参考 H資金計画 排うん撫〓台購入代(道賃 諸掛入)及び保管倉庫建設 費 三〇万円 加入者一ブロック二〇名一 時出資一名当わ現金式、000円 岩0、000門 島協融資(年利六分) 一一〇〇、000円 害0、08円 計 証印一戸当わ現金出資はその 経営規模によゎ二段階と し五、80円一〇、08円とす るも可 国鳥協剛資は加入者全員の 連帯安住とする。 ⇔返済計画 髄二年目. 加入者一戸当り大変二毛作 作妊一反歩九〇、000円反当大 儀収量内五割返済用充当二 倍一、苦OH換算) 貿収入(加入者外田、畑) ニ四、00コ円 内訳出二丁歩反当苫O日 石、80日 畑l一丁歩反当苦○掴 」○、000円 維持費諸掛 H雷.、08 春樹⑳更藍 計画臆ついて 塩辛境長 阿久津守男 -L .一.. 戸数七〇〇戸、人口四三〇 〇人で七会村との立地条件は 傾斜地であることと、田が五 象--〔〕 い歩 こ少 と・1.盆 せく 一応課長より説明を聞き、 市役所の臨時バスで現地硯察 に出発した。長野市より西北 」OK.に位置し標高一、九一 七米の餞桐山の蛮で、役場は 標高二一〇〇米の高台忙あ るのでバスの窓から長野市穀 針 下に眺め、曲りくねつた坂 道を登って行つたが、部落扮 山の中腹肛散在した純島村で 田二〇〇町歩、畑四〇〇町歩 で排他性全面積の二■五%と云 はれる。 農協利子(言方月年六分) H三、000円 蓋引返済金額 彗、08円 第一年目差引喋額苗八、.80円 第l一年日 加入着一戸当わ大麦∴毛作 】反五畝歩反当六俵収量内 ≡俵返済充当 告、000円 賃収入(第叫年目に同じ) 三四、000呵 維持費諸掛 日吉、000円 農協利子(言方八千閏年吾分\ H(、八八〇円 差引返済金額 霊二言関 節二年目 差引残額空、八八〇円 第三年目 加入者一戸当り快穿二毛作 二反歩反当牧童六倍内三俵 苦、08円 返済充当 貸収入(前年に同じ) 一言占00円 維持費諸掛 H雷、08円 農協利子(九万一一千円年内分) H玉、宅○円 差引返済金額 宍、望○円 、輯が一正○町歩 耕地全部で一C ヽ■ノ 3 ( 衛生係 阿久津備一 な 実役い余 地閉る村 、 を術よ 実生≡呪り 督促の出るまで と云う斯態 ○町歩が多いだけで戸数や人 口は全く同じ・であつた。 農作物は主に米、雑穀であ わ特産物として果樹、大麻、 煙草、養蚕等で山林は戦時中 の乱伐から規在では線化摂動 忙主力を注いでいるので、村 の経済紙苺ば決して豊で往な い。而し円満な港民件は村政 への協力が強く、特忙「村税」 については納期申に九〇%、 第三年目差引残額三四、望○円 右例は極めて大まかな計画で はあるが勿論実際にぽ担把詳 細に検討する必嬰があろう、 併し大体に於て三年乃至五年 にして融資の返済た可能であ るしその間忙第一年目忙は蓼 三俵第二年目は大儀、三年目 は九俵の増収にょる農家収入 増が見られる、その他田畑共 に労力の節約及び適期播種に よる増収等開襟的収径増は更 に大きくなるであろう。而し て滞四年冒よn機械侶却棚橋 正金が計画され得るし勢い更 にカルチベーター際穀鰭等数 台の共同韓へ資金の造成は訓 に労なく確保し得るのではあ るまいか。 (以下次号) 駆除専業仰「 ヽ LV 単二 内薫地 饉 し任覗かで てが察な「 ∴む・く詑にが納ば 捻‾れ明つら税完 衛たしい上成約 生 ○なて固捺さ 組 がはつもれ ■合、 ら市て七る 一一括 ) ねて〓 (( パン食端部萩茂春先生提供 長が部落の重刑使用量な取績 め員協から〓郡購入し遅合膏 年会の幹部と協力して村内一 賛に(一戸洩れなく)欒剤を散 布し、其の后は月に≡回(五 日十五日二十五日)係員が部 落を巡担して各戸別把持導督 励なし、部落の成績を要員長 (村長)に報告する、その結果 役場では衛生速報によつて各 戸忙その成績を知らせる。 両し当地ほ冬期の積雪が二 米ちあるの と何章か(便所の外忙)二つ以 上、居宅内に備へてあるのが 事業の最も困難性であつたと 云うじ部落や学校では粉好機 や、散粉機等各家で持ってい て便所や層持場水滑の周囲は 、よく清掃されDDTが白く なる程撒布してあり、畜舎に も便所の周囲にも、ハエ等一 匹も見られザ、便所には流水 式手洗汚が置かれ如何にも清 潔であつた。 この現地を見て感じたこと は、ハエV奴等が発生してか ら肇剤な撒布して撲殺するよ りも、先ず発生源である不潔 な場所の清掃と、欒刑を早期 忙感布し、(エ、蚊の発生を 完全に防止すむことが一番大 切であると痛感した。 経費については、二十八年 度の統計忙依ろと、嘩剤、機 具、手洗皆の購入と便所の改 良等で〓戸当少一、六五〇円 かかり、全部自己で負担して いる○ 前記の抱り地形に凛まれな い点から無医村ではぁつたが 騙除事業開始と同時に、≡人 の保健婦記嘱託し毎月峠を越 え谷を渡つて家庭を訪問し衛 生教育の徹底と各種憧染病予 防に努めてゐるので、その后 四年を経過するが只】人跡伝 染病患者も.なく、多額の留楯 費を支払う心配も放く、今村 健康で以餉と校べれば豊かた 生活がHl煎るといわれる.。 この地方は高冷地であるの で、村内の田植は六月中旬は 終了し部落の女達は長野市棉 方へ早乙女として毎年下山し 一ケ月種物いて鐸宅し、従来 この度国保診療所に電話が 架設されたことは近く英現さ れる塩子笠間聞バスの開通と 共忙村民に大きな利便と聞祉 をもたらす大快事であつて、 医療の面からも文化の而から もー歩村の前進を意味するも ので、村民の一人として叉国 保人として菩びに準ぇないと 同時に関係者各位の非常な御 援助と御協力に感謝の意な表 するものです○ 扱この電話四についてゞす が病人を扱う診墟所に閃苛で はそれが「死」払通するから甚 だよくない。など1神様の札 託畳めいたこと空青いふらし て良民をまどわす頭のおかし い人がないとも限らないので こゝでこれを現頑なく忌み嫌 ぅ人の蒙を辟いて頂くため一 筆「四」忙ついて記してみよう 元釆「四」と妊単なる数の記 号であつて人生の終局死む意 味するものでないことは首う までもなく、「四」が一字なか ったとすれば万憶の数もなわ たゝないことは小学生でも知 っている嘗、把■も関わすこれ を取り上げ、とれな迷え、こ れむ嫌うことの.おろかさはむ しろあわrLむべき現と思う。 「四↑の琴帯を忌むとすれば よろしく、師、詩志資醜兜な ど其他多数「し石軍曹な他に 代えなければなるまい。「詩」 か好きである私は同音「川」も 経でない。 古来「四」と云う字密使った 言葉を探ってみると、先づ四 海同朋と云う育英がある、四 方と云いば東西南北のこと、 川撃と妊帝夏秋冬、四時とは 且軍幕夜を云車、蒼天(春)婁 天(夏)曇天(秋)上天(冬〕これ は今年は「(エ」が多-.から暖 気がよく豊作だと革んでゐた 程、衛生観念がなかつたが、 現在では他地方へ行くと「ハ エ」がゐて御飯もたべられな いと云って辟宅する程衛生思 想が向上してゐるそうである 「四番」を揮ず牒 阿久津.廣 三 \ を四天と言うし、両手鯛足を 四肢、生死老朽を四苦、規短 嘩縄のことを四器と言う。叉 四港(律令格式)四倍(冠解 葬祭)四知(天知る地知る我 知る汝知る)、四徳(仁義醍 智)、四思(天地の恩、国家 の恩、父母の恩、衆生の思) 四勿(非礼硯る勿れ、非礼跨 く勿れ、非乳首う勿れ)、非 礼動く勿れ)、などがある。 学問の方把は四書(大学中庸 論語孟子)、四学(紀伝明経明 法貨道)、四友(筆爵硯紙)、 四旬(起承転結)などがあり。 和歌の四天皇(頓阿、愛好、 慶雲、浮緋)、閏奨の四座(観 世∵宝生、金剛、金帝)花の 四君子へ梅竹菊蘭)などもあ る。文麿兜を矧いてみると四 夷‥(東夷甫蟹西戎北狭)、四 鳴(東園公、綺旦季、夏貴公、 角里発生、四獣、(朱雀、玄武 、育寵、白虎)、四軍(天子の 六軍、大諸侯の三軍衣諸侯の l一軍、小諸侯の二革)、四姓 (顔や藤橋)、閃職(山名、赤 橡、京極、l色)、四遺将軍 (北陸、囁海、西海、四肢)、 四天王( の四天王)などが\ある。其の 他四品(小少、胱老)、四滞、 四称四諦、など「四」を使用し た文字言句ば文学忙も歴史忙 も儒教にも祀会にも枚挙に退 ない程多数あると思う、とれ らの例からみても「四」を「死」 に抱ザるなどゝ▼■じつけて忌 み嫌う必要は全くない筈だと 侶ずる。 由来倍すべからぎることみ 言うところ忙根強い日本人の 信じ、言うべからぎることを 封建惚があの、正しい民尭化 をはゞむものがあるのでばな かろうか。・ 以上芋井地区を硯察し、七 会村の実情な顧み公衆衛生と 環境衛生に深い感心を持つて 努力し「(エ」蚊のゐない七会 村を近い将凍に見たいと思う (鮭) リレ ー は 、 積 荷 校 と 塩 子 校 の 放青非行な「自由」と心得、 迷想妄信から幣めきれない限 り日本の民毒化は前途猶遼遽 と云わねばならない。 現時紋様のない迷信が如何 忙祀会の車両と発展を阻等し ているか、日常生活の周囲を みるとき余巾把もそこに多く の実例をみて甚だ驚くと同時 把早くその弊を除いて明るい 何の招衆を念願致すものであ る0 とまれわが国保診療所に電 話が新設されたことは、医樟 の一層忙大きな役割を果すと 共忙杵民保健上の一大プラス であつてやがで「死」を「生」に 回生さすべき事も必ずあるで あろうことを信じ心から放び とお睨な申述べて潤筆する。 快晴に恵まれ た村民体育祭 優膵錐は塩子音年会 と徳戚小輩校に 秋季村民体育大会及び七中 道動会は、各小学校の腰掛会 もー週間前にすんだ10月17日 七中グランド忙於て小中学校 の生徒を始め村民約二千人と 各棟団肘が参加し盛大忙行な わられた。 小学生の学校を代表して出場 †る舞踊、叉各小学対抗の玖 レーや帝年会の優勝撰争奪耶 等に観客も地元の撃援に熱許 し農繁期も忘れる体育行革に ふさわしい一日であつた。 特忙注目された小学校対 中学生の日頃鍛えた実技 抗 ’女子青年のおどり仲田毅一氏提供 「 4 巨大一○療密仲阿 氏点一四合備田久 名)点点、一正津 下 三ピー(一力 の ㌫品位対’男 2.男子官 】時は塩子校に先頭を許した こともあつたが、徳減はよく 頑張つて優膠し再度柴冠計拉 得した。 青年会妊三年澤統傑膠を目 榛忙張わ切る規子に対し、五 字、小膠ほ塩子の連勝をはば み優膠撰獲得に奮起した雰囲 気の内に各字から選街された 選手にょつて、各種目に若さ にあふれる熱戦を展開したが 午龍申のヤラソy紅於て塩子 は大量得点し、牛后に至って も益々底力を童揮待望のこ一年 連勝の柴冠計桂得した。 この嬉子の≡津防の栄冠を 祝福するト共に、大量得点を 許し乍らも、優勝をあきちめ ザ。最后まで秩序を守わ蕾斗 した、五字、小防、計密讃し 爽年度の努力な期待して止や 生せん。 主な記故次の通り● △団体.の部優勝 小学校徳宿小学校、PTA 七申PTA、職場高取蛸山 背年会、塩子青年会 △個人の部僚膠(帯年の部) L女子五十米塩沢千代子(五 3相撲(塩子 1 3. 2男子八官米yレ 米篠田進(境)四百米阿久 津力男(塩) 八百米大庄相 思夫(境) 干五官米大藤相 思夫へ彗一帯米大森-郎 (境)走巾跳沢田喜平(五) 走高跳阿久津光男(小)三 段跳、山口義男(五)砲丸 投沢田署平(五) 澄′ト跳首) 千林川米首 (焚叉塩米 年会を示す。 久津 川l 団体優膠 女子四盲米リレ 石川澄子、.鶴泊 田文子、小林文 力男、阿久津 米塩千み沢塩 沢千代子(五) 二 千代子 (五)尭巾 な子(塩)走高跳 (塙)砲丸投石川 ) 鶴田進(塩)二百 三 か つ 買 子宇田阿 膵字 l子八l 葉芸買彗軍萱 九一二)久’ 石阿 伸)

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