広報ななかい 第22号 1954(昭和29)年 9月
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● 報. 昭和二十九年九月二十日▲ (2) 村 牙二十二号 政て二毛作によゎ大小穿、 菜種等の作付を徹底して広範 に実施した場合色貞な反対論 があるやに思はれるバ最も根 本的な課趨であるから甚だく どくなるようであるが理解は 実践の母体であるから私の承 知して▼いる反対詮を挙げて参 考忙供したい。 H投下労仰が甚だ過雷で のに比し収量が少ない。 ⇔労力不足のため璃期措校が 囲田相め時期が遅れ水硝の収 量が低下する。 囲大小蓼、某項等余分に収穫 しても価格低下を懸念され るのでつまらない。 (ヨ つ田すな 去る七月七日より四日間笠間 保健所衛坐研究会主催で、昭和 〓十入牢庶保健相生文化賞に輝 く長野県下の陸島町村視察を喫 施した。視察団の一行に加わつ た一人としで経過を執督し、村 民各位の御理憧ある協力を得今 後明るく健康な村道の参考こも なれば率いと存じます。 七日午后七噂顧問駅より汽専 で出発L常磐線を経て上信越鋭 急行で目的の長野市へ着いたの ほ八日の欝も釈い午前五時半頃 であつた。 軍内で一夜な過した一行は睡 眠不足と掟労で、牛に引かれる ように音光寺を参詣した。新鹿 をすま府ニニ時間醍休憩をし、一 困難 る ひ水砥探わ 文化賞に輝く 〔ハエ」蚊のいない ‥村を訪ねてH 衛鐘係 阿久津侍一 不の解そで 足嘩が一のあ を備と剖■る 生,がれにか じ.困な放ら る経い量多 春樹⑬ 計画臆つい雷㈹ 塩子局長 阿久津守男 腰と▼○が 念な あ 肥栽塘と が■り あ且 がら その他沢山あるようだが永体 右のせれかに該当するようだ 私に冨はせれば何れも員彙の 本質な妊き達へた、たわいも ない寮言のように恩はれる。 農家にとつてはこの・転換期に 一年中で最も多忙の時である から勿論のんぴゎしていらわ ないのは云うまでもないが累 積する仕事をてきぱきと整理 して行く体制を整えることは 果して不可能であらうか、私 が敢えて斯く言うところは莞 し農薬経営と錐ども今日では 革なる給費経済ではなく商品 生産であるからその経営及作 業忙科挙されねばならないと 思うからである。是等の慮虹 ついては順を迫つて観決Lて 行きたいが然らば徹底し空一 毛作を普及せしむるととが出 来るがその手段忙ついて私見 を申述べて見たい。 軍へ葦 行ほ元気を取りもどし日程通り 九時半にほ長野保健所を訪ねた 保健所でほ前からの連絡で係 員が待機し各室に案内され詳細 忙説明してくれ、長野苗良十四 万人と、その他町村を許輯する ・保儲所であるだけに庁舎も明る く雄大で設備も全く充実し、市 民ほもとより関係住民は保憺所 を有効に利用し当Hも健康相談 や診断等で満員だつた。 保健所から椎田役所の厚意で バス提供され市役所の会議室に 牢内され、視察の、亭限である、 ハエ、殴のいない村市内苧非酌 区(元苧井村)な紹介された。 この地区ほ本年四月一目より 他町村九ケ村と共に長野苗へ合 以上〓毛作の普及のた切に ほ播標的来るまでの水田の排 起草地に非常な困稚が存する 放これが解決穀必至とする。 その焉にはぎフしても日勤所 在棟紅よる早期緋起が必要と なつて来るであ一らう。 投下労相畳の最大限の節約 を計ること、作業髄率お最天 眼忙あげることが栽蘭腎珊の 科学化のため叉襟筋の倉画化 のため必垂である。そのため 忙ば旧来の辛労槻忙よる非能 率的過重労肋な排し蓄力利用 忙よる橿秀放鍬を活用し更に 自動桝転梯の探糊瞥及が粒体 的となつて来る。相当規模の 二毛作実現のためには水田の 緋起、草地の早期整備の困難 は唯一股大の難問である。こ の解決方港紅は労幼の過革を 阻要するが如き旧い考へ方( 即ち倍農とか勤勉とか)は今 日では絶体に排除せ虹ばなら ない¢今の首班は横漕だ上か 物ぐさだとか云う育英で表現 される如き無知孜概念で観察 してはいけない。・そう云う考 併し当時の宮崎村長ほ現在裾役 所の陪務課長の任にあり多忙に も拘わケず我等一行を歓迎して くれた。 宮崎課長は苧非地区が昨年「 ハエ」蚊のい短い村として厚生 大臣より保健衛生文化賞を挺得 するまについで、概略でほあつ たが、蕃の起りから契際事業開 始及び事業の困難性等約三十分 に亘七説明された。専業の閲始 動期ほ昭和二十五年の夏、久し く発生しなかつた赤痢患者が一 皮に六名発生し六丙-名柁亡) 予防費や医療費等で多塀の経費 な要した蒔から、対当局と国保 と協力し打診してみると年間に 一大〇余万円を支払つて居る事 、 が判りこの多繹な毎年村財政 より安弘う様でほ今後健全財政 を保つ箪ほ全く困難であり、こ の医療㌍の支出ほ何が原因てあ るか軍使を調難した桔最、 1村民の衛生思想の全からぎる ものであること 守一、 --■■■一..■ 、 r 豊 へ方は蓋し今日では典菜経営 と輝ども商品生産であり科学 化されねばなら放いと云うこ とに対して無学解であると云 うことにもと.ついている。 H自動桝密機の準備計画 ㈹自鋤排転機は村内に十台 程度軍備する低能の優秀 なもの、特忙堅牢にして 長期使用虹たえるむのを 選定する。 ㈱購入団体はなるべく部落 内有志の共同酷入とする 経常親株の近似した者十 名乃至二十名内外とする ㈹陪入資金按共同購入者の 負担とする。但し村叉妊 兵協等よわ長期低利資金 の融抱を受けるととは差 支えない。この場合妊加 入者の感得責任とする¢ 国費金計画及融通資金の返 済、償却等忙ついては隈 密な資料により砕真に英行 可髄なものたらしむるより 計画等む作成する。 嘲共同陪人加入者以外の農衰 忙対しても之が利用の罵を 開き一般に解放する」但し 2無医村であるため疾病の早期 発見が出来なか・つたこと 3交通不偲のため過労に憤るこ とが多いこと 4環境の不潔から来る臓眠不足 であること 等の緒論な得たのでこの諸悪条 件を紙価に慣決するか恩葵し〓 十大年】1月にほ、保健所係員の 派遣な得村内数ケ所に放て衛生 思想普及会とし部落懇談会を再 度開催し環境衛生向上貰剤に護 り出した。 雨しこの地区ほ県内でも属指 の急傾斜地であるLとから農耕 に多くの労力を要するため生酒 は一酷に蟄ではなく簡集忠恕一も 低調で、憂畢におけ畠ハエ、蚊 の発生ほ恥しろ当然のことのよ うに考へられ、経費な要する駆 除軍票を契施する計は企くなか つた。 そこで相当崗でほ旅情の手段 とし村連合膏年会幹部と術蛍組 合長に参韓を願ひ環境相生向上 を巽謁し管理保金に迫憾の ないよう注意する。 叩機械使用の方法、共同作柴 の方法その他鵜常匿ついて は細部忙わたり加入者の白 妾的中曾せ把より公平に処 置せる。 帥特定の操縦者な選定し置き 相当の賃金と保証し置く。 いやしくも特に部落のため と云う如き圏点から犠牲を しのばせる如きことのない よう注意する。 叩操縦者に対しては鞭う限わ 講習を受けるとか或は労連 地を硯娯せしむる等教養に つとめ、その経費な加入者 に於て負担する¢ ヌ全体的には背任者(或ほ代 襲者) か定め経印面の取扱 把ついては特忙注意し明か 忙する。 ル各グループ間忙連絡を糖忙 し年間l一回程度懇談会をも 加入者の利用を優発し利用 者に対して旺英資相当額の 料金女受ける。 叩機具一式ほ特定の倉庫に保 座談会を開催しハエ、蚊駆除事 業について協力を求め「衛生教 育の普及徹底」を部落住拭の稗 蒙を幻灯余憤譜、ポスターに依 「 り宣伝なすると共に、モデル地 区として五十余戸の部落な指定 し、賛虫新陳覇業を閑ねし時々 困難な事情も数多くあつたが、 青年会幹部の努力によつて皆兵 的成果な放め、 このすぐれた実績性金村にひ びき、連合青年会を中按体とし 、拳肘一散によ右几ハ休的括割組 縛が作られ平和と機願な熱望す る新しい村造り蓮如が展開され たと云うがモデル地区から全村 運捌に移行するに根来的方針と してほ凡そ一二つの方法が考へら れ、牙一ほ村矯助成による運捌 の推進、牙二ほ村条例設置によ つて住民え法的推進、升≡ほ相 生教習の徹低による住民相互の 推進であつた。従来持相生鳳懲 も根調であつた住民も、背年会 負の啓諌宣伝と、モデル粘区の 管し茸作者により常時点 ち相互に情報交換を行。 ヲ村或は農協等が中心となり 各グループの.成蹟.を取わま とめ資料を作成してその成 果を研究す。 ’■t、く,、■t一ヽl\く’ヽくJヽ√一.\■き.ヽ′ヽ 赤ち轡ん コンタ蓬ル 入寮者決る 九月一日上わ≡日に貰わ冥 碓した、乳幼児検診ほ昨年に 比べ受診者は約倍妃くあった が、幼先の体格は、昨年庶本 村優良兄及び全国瞭準表旺よ ると、や1低調であつたが、 上下の善がくなづたこと妊、 各家庭に於て母子保健の向上 に深い感心をもつていること と関係者は将粥を期待致して 曳り£す。 倍検診の成置にょり行われ た赤ちやんコンクールについ ては、医師、保健婦、役場関 係者によゎ寮番台を開催し、 成楕優良光二十数各の申から 左記の通り入賞者を決定致し ました。 成果に依つてその頃には衛生思 憩もー段と向上し、盛り上る自 覚と理解により牙三の方法な採 り上げ、事業実施に聾する経費 ほ一切自己負抱で奨緬す有事な 原則とし出発した。 出発当時は村内一円であるの で困難性も相当あつたが運動の 進度が高まるに随つて目顔的に 解決され二十七年四月にほ戸数 の半数蹴上が参加しで置常襲員 会な更に組撤し次のような決議 をして本格的に駆除事業な実施 したぞうである。 決 撰 文 村民の機康を保持し木村文北 の向上と村野の益々進展を期す るため、貌々ほ一教協力して環 埼相生事㌍に当り、その完全な 成媒な挙げろことな雪い新生苧 井村の創設に寄与するものとす る0 右決漉する。 昭和二十七年四月 苧井村現棉相生運営委員会 (以下次号) .、l:\\\\」ト11 倍、十七日に行われ転る寝 食青年会の寧対抗秤目も二十 三日役員会に於て決定した。 L男子の部 首米、二百溝、 四宵米、八台東、千五百 米、山万米(下赤沢田中 屋折返)八百米リV-、 相撲、党巾跳、走高跳、 砲丸投、≡段跳 乙女子わ部 五十米、古米、 二百未、四百米リレー、 建巾跳、走高跳、砲丸投 \\ヽヽ\\\1.\\・÷ヽヽヽ\\1√〜,\・ 靖国画敢蓼奔 七中二盲 阿皮目恒夫 戦死者遺児として六月二十 五日韓国紳祀参禅に、僕妊Lし 京致し急した。 助役さんと、いつしょにパ スで石塚忠で行きました。汽 単に乗つてから勒校さんがい ろくと説明して下草いまし ねので、旅先では本当忙楽し かった。僕と同じ境遇のお友 ∬に守年余、婦人会、PTA の合同体育大会は、去る九月 三日の尉内校長会講紅於て左 記の通わ決定致しょしたから 皆様の多数跨加療現な忠待ち 致しゅかす。 記 等外優良晃次の趨わ仲由韻事 柴省こ、大塚弘道、阿久津潜 飯村建男、長峰攻防、川又雷 光、森田千石-山崎卓、石川 清純 ヽ′ヽrヽ㌧′ヽ\\l■l一rヽ一ノヽ√ヽ■圭′lノ ら静・秋季運動会 〝〝-〝∴〝∴〝=、〝-・ 等 等 △十月三日(日) △ク 六日(水) △ク 十日(自) △〃十七日ハ日) lさ’ 阿東鈴小卜達硬軟小小官清 久見木滞部藤村村林林田水 経みひ 裕とと厚 串幕 僚醇弘 子りみ司豊明江干博貴子明 賜正八豊重昭豊挙党菩竜三 郎芙竃司 ニーー人夫漬男郎 最長l・二長長=長盛長二長 一女女女男男男女東男男女男 冒程決る 今年度の小中学 校の秋季澤割合粥 徳聴小学校 小勝小学校 温子小学校 七会中学校 用 fダ▲( や㌧〃 蔑も印象的でした。 広々.とした平野社走り汽 は希望の凍京(上野駅)春 草僕達】行は、.団体バスに〞 わ′替へました。 仰靡も粗たことのない斬叫京 を租申出来る事は、既にとり 竿覇当に輩綿だと思ひよLた 部内見学をしてから畠屠にも 行き皇居毅見学した頃は、雨 がしと/し降つて革ました。 日本で】布衣通のはげしい所 と開いていた広場前旺-寸の 油断もでき愛せん。交抱信号 によ、つて革も人もゴ1大トツ ブする状況は立沢た態度だと 思いとした。 都内見学をすませてから駿 河台ホテルに着き夕食をたべ てしばらく座談会をやりまし たの初由の日程が終りよそⅥ 学校のお友達と仲良く激語を しながら、疲れた身体を床の 申へ横臥し恵した。 黎朝日がさめた時には顔を 掛った潜友達もありました。 僕も顔な洗って靖国紳祀蓼辞 に行く用意をし、間食をたペ て駿河台ホテルを出る頃も昨 田からの雨が璧だ降っていま した。神国神社へは予定より 早く芳き蓼辞ずるまで忙は、 時間があつたので、潜札な貿 つて順番を待っていました。 いよ/\僕達の番となつたの で本殿に昇殿し、璧l昌対両 をした時は、.日頃から写襲で 見てい汽お父さんの堺が目 の前にかすんでぽんや幻と蓼 が浮んできょした。僕は心の 威から、お父さん供妊中学三 年生になり鼓した革んで下さ いと何度も報告ト、とれから 鴻うんと勉強してお父さん把 負け放い立沢な社会人になも よう努力することを約束して お父さんと別れました。 輔国師祀索弾も無事に終り 十≡時二十分の阿りわ汽畢が 睾軍する空で忙時間かあつた ので、上野の椅坂鱒を見学し 定刻には助綬さんも供も粟革 して、璽見とむ別斬蹄郷しま 方出講に花を た㊥窓外に初めて見る が弼に散華 宣、√■ 、l、「 ヽ予. 咲を か輝 せか てせ 闘いて 開ま、 ■ -.凹 ・/(L-▲ _-l∵■■ヽ
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