広報ななかい 第19号 1954(昭和29)年 6月
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牙十九骨 七 昭和二十九年六月二十日 (2) 共成しその反面忙は陣地の高 度利用化把研究を進めるペき だと思う。而して水田裏作な 高範囲に実現するためには労 力、栽培技術、水槽作との関 連その他種々技静的研究計進 めねばならぬ聞損が沢山ある が併し必要と嘗践は自ら困難 を解決して行くものであると 侶ずる。要は徹底幽冥践であ る。実践のみが問題々解決し そこから将来忙対する明るい 組合計画 八、排他の相対的拡張 さて私は以上の如き額点か ら徹底的に計画的二毛伶化敬 群馬騙へ 私等は埼壷県上ごり群馬県に 汽革の旅なつ1けた。この地 は侠客伝で有名た国定息吹の 縄張りで長協轟が家を外忙歩 いて、天下を横行していた為 に上州の女遵妊家門工業に非 凡な努力哀して家計を助けて いた。それが所謂上州名物 『か1あ天下忙賽つ風』の胃 炎の出たもとであると富われ ○ 高崎田に一泊した私等はな れない汽革の放のつかれも治 度 年 昭和二五年 定規在 第一次計画 策〓攻計画 筋≡吹計画 寛一吹計画 】町以上 新枠者 lニ∵ 五% 三九・〇% 四七・(U% 四七・〇% 農業党蓮観 ■ ‖__【■- 本樹の東痙 計画について川 塩子郵便局長 阿久津認男 見透がつき合理的罷常への進 路が展望されるであろう。 H二毛作化計画 目標 1.本計画は三ケ年寄発とし三 年目に目棟に達し得るよう 策定した。 2.水田両横二四四町歩申lO 村会議長訳本三郎卒 ら恕い身体を早く起され重囲 でも有名な、∴一ソニヤクを硯 察するため下仁田行きの電鉄 の人となつた、片清二時間を 資する途中見渡す限りの水田 は二毛作の大小穿で苗代だけ が基いている。 我が七会柑は水田∴五〇町 歩を有し二毛作可能蛾は二〇 〇町歩はみる、この両横に大 変歌作付したらどの佗の散人 があるか、例えば反当二石と 見て二千石、石当三穴00昭 として反当七二〇〇円、l0 0m歩で車.▼一〇万円の収入が ○町歩程度を大小穿作付と する。 3.菜種その他三五町歩作付 4.全員家戸数中一町歩未満耕 作者と〓町歩以上緋作者と の比率を同程度忙至らしむ るよう拡張する。 ー町未満 桝 六九・% 六T O% 五≡・〇% 五≡・〇% 竜ヽ各↓モ.’、 (袋)を 増面積 ≡ ○五 五 八 三 町町町 初年度に於ては金員末流れなく鼓少隈姦作一反歩な耕作す ること1して宋定 別 計認帯還後増反耐 種 一一宇六 票宍苫%) 至宍空%) M即未満喪家 一町以上五度未満農家一美(一一四%) 一四一(宗・六%) ニ丁六 亨人 窒へ三%) 一町五反以上農家 天(七%) 喜(一〇〇%) 言(岩○%) 牒言 計 攣哀計画琴▲哀計画に於ては五反以上研作麒家揉更に一 反歩洩れなく寡作緋作する∵と1Lて策定 計画案璃 第】吹計 種 別 前 両案職級 ある訳である。 どうしても、二毛作を奨励 しなげればならない、叉耕作 しなければ一放らない。 然し秋の刈取りの多忙と水 田の水分の多いため軌観、砕 土に多くの労力を零し、どう しても自動郡家礫の必邸性を 感じない訳に軋行かない。 前もつて鍾略していたため 下仁田鞘役場の会読望に零内 され、勧業係し㍉ コンニャク の指導員の話し室一時間仁官 つて聞き、コンニャクの粉の 製蓮工墟な鼠攣した¢ 本村の換金作物の王座妊な んせ云っても年々二千万円の 収入のある煙草である¢然し 煙草姥多景の労力む畢し労竹 力の多い家忙あらぎれば数伐 歩の耕作は出水ない。コンニ ャクは労力と肥料が少なくて 上一五一乗 以一末一山 農 且町満町町豪 農五農五以 、家反家反上 種 肝鮒掴実 l町未満 芸大戸 笥≡家計画 第三次計画に於てば一町以上所作農家は洩れなく更に一反 歩夏作を冥確するものとして策定 計貞町反町 町 家五末以 究 反浦上 渦 農 以蓋一 家町 七〇% ニー東 言頸 天 セ% 空○ 岩○% 岩ロ% 言○% 岩○% 戸 票宍苫箪言(芸) 一美(諒%) 宗一(責、六%し 天(七%) 歪(三%) 空言(岩○%)彗○(岩○%) 画第 竺≡笑一 ‾’ ○男;・長%芦 % すみ本村姓三〇〇戸の農家が 五畝歩な耕作したとすれば二 千万円の収入がある訳で、こ れが本桐で研作に成功すれば 一つの換金作物が増加し村民 の生汚が豊か虹なること1な る。 又この下仁田町は水戸浪士 武田緋実額が『千万人と雷へ ども我れ行かん』の班をたび かせて、元治元年十二月剰賀 市の軍門紅降り越前敦賀忙拘 禁される前この地な揃描高崎 市に阻宰され戦った所で苗仙㈹ 窃は即の西端の川中の中腹で ある声訟明された。当時尊王 のため殉死した士の気特許肇 へるとき我等女拙土産菜璽展 と自治のため悪食糟漉しなく てはたら放い新しい感をいだ いた。 我等一行は水戸浪士の血富 画質 百三 雷天英二 %六%芦 宣言 雷天国第 %‾ 琴完妄 後計 八八 〓ヨ 一セ% 八三% 彗口 塁○ 箪〓攻計 画冥蔵稚 声 天宍雷%) 】票(否%)▲ 孟三 (八(一セ%) セ、大 望○(岩○%)一天、八 巽 南棉 占町積反 .間埼 芙町稽反 2.五戊以上緋作農家は二反歩 以上 3二町以上研作農家竺一一反歩 以上 私塾水田緋地二四四町歩中】 点町歩即ち約六剖柑虔を二 毛作化すること1なるがこ の得度め洩咄は椛保可甜で ある。 5 ⑳小幡鹿島紳融 祭神は武竣槌紳で御紳体は丸 形直径七寸異質及作者年代不 評の鏡であると記されてゐる 。侍ふる処把よれば、この碑 胱は小勝村、大橋村、眉内村 の三ケ村境畢高田山の峠紅鎮 座してゐたものを大河元年小 膠中央岡台に建立遷座するも 流した下仁田町に深い愛顔料 感じながら別れを骨け、山間 の農薬お見るペく水上町に向 った、との附近娃仰の望見す る隈わ桑闘だ、晩春の陽が赤 城の山の璃にたゆたつて四辺 が黄昏の色となる頃汽革はだ んく山深く入つて行く、何 れの土地も同じ山間部蛙自然 と用材、.新、袈の幾夜が車で 食相生韓は女、▼子供が従軍し 養蚕と山間のだん′川\珊を耕 作する県発現態である。 水上町に一泊した我等は「 予定盲-スを終了し準ので裾 隣町ついた、汽軍の窓より眺 め鱒耶馬、栃木の山野庇開か な涯放い紙色に包まれている この日然は私野生滞輿た守り 土を愛する宥のみが知る親み がある。(給し 本計画敢後の目的は〓毛作 他による陸地の作付転換に よる高度利用化な計画する こと把存廿るが借主殻魚拓 瞥の嘉葱ふ崩草放い点も撃 度して計画したものである (以下次号) 壬ノt’J’ヽ′ヽrヽ、ヽヽ√’--、●一.t∫ヽ′ヽト.‘ヽ√一 宮旬▲【Y▲宗一雪い喜Y暑▲_蔓_ 丑記考 一反歩綻寡作 のである。 往時は寺な別当として紳聯 と共把相互に祭事や執行して ゐ免が元録年中水戸申約言光 囲当祀へ来想往時のことを尋 ねられ其の時より粍山細道に 改められ更に富岡卜部豊前守 螢遺を其の職忙柄せられ子孫 相続き、明治l一十五年十月酷 寒鯉淵常に蚕る¢ 紳宝には椿長山尺の木像( 束帯の座像)長九寸の木像二 体〓体は座像、一体は立像 鉾二一本創一本鋏鎧鵬兵馬〓頭 (一頭は芦毛〓開披月毛) 仁王像二脹ありしも元株十一 年水戸中納言が引上けにな った由、其の他苗代よゎの宝 物文欝等は事保年中宝蔵焼 失の際焼失現存するもの把は 仁王像一脹と元締十五年九 月水戸北国の納めた、御幣箱 に入つた生絹があ牒と。叉 貞宰二年二月納めた槻札には 売に水戸大守瀕朝臣北田の武 運長久所所とあり、裏面に妖 当称末社分の鍔官号宣して、 成島大明神 塩千村 脚照明榊両統岩内村 高房大明神 下名内村 腰官大明神 鏑高野村 板木官大明紳 青山村. 笠甘大明神 上小城村 茂薄井官大明神下小城村 腰官大明紳 防昆沢村 芝田大明細 大橋村 右小勝村鷹島大明紳宮下佳之 村相違無之伝 宮前 卜部豊前守潜原菓顔 とあ.り¢ 外見より見れば菅の而影敲止 めてゐるのは靡のみが金塗の あとが残ってゐる。 ’ヽ′〕ヽ一rヽ一J\・\.一、.1ヽ\\ヽく・ヽ【-,・.rJ 家畜飼料用スイ デンカブの耽嘆 い∴ハ.いて 壌畜を飼育上最も鯉銅の柑東 胡は十-月よ旦二月愛での各 期間である㊤従って此れ等の 期闇ほ路飼と云われる。作物 鳴極て少ないのであるが、と 山する こにすべての家畜に好怠れる 。各期間紅生産される。家畜 飼料用、有色野菜のカブがあ る。本琶の楷廠として家畜由 のカブである。収量極めて多 く、土地のやせ方でも錐産畳 比較的多く家畜をもつ蔚家忙 は、最も有利な作物であると いムようであるから是非栽輔 方を御すすめする。 次に栽培概要を筒盟・に記して みよう。 H播電期八月十五鱒頃が鼓も 艮い 肖反当播痙畳¢≡合程度(極 めて小粒) 閂反当施肥量ひ堆肥三〇〇〆 硫安七〜八〆過石六〜七〆 0 乳牛、役牛、馬、細山串、 等鼓も鮮心飼料である。 倍橿子の斡旋は役場に於い て取隕めを致しますので希 望者は御周込されたい。 ヽ葦〜l㌔「蔓書 ジ一っル、、、ン及軽 金属の層放と僻 する行商人につ いて 最近商工省或は儒の指示に より、ジラルミン及軽金属に て製造した食韓斯は有毒であ るから回収するのであると称 して、押売的に個人の家を訪 ねる者がある由、これについ ては、商工省、県等にても指 示せザ叉有毒でもあり璧せん から脚注蕾下さい。 】【コ【ノヽノヽ-.\、▲一ゝヽ.】lくt’t、lJt)\モ■ 茨城学園の鬼董と稗 して物品む行商する もりほついて 景近安城学園の児童、小林 輝忠一ご称するものが近く車関 配退所し、日立製作所に就時 ㈲収穫 い仕度金転得るため毛筆を訝 り把来たといつて偶人の家紅 絹醐錮締約射削紳輔…銅錮 なく、また兇韮隔祉施設に牧 ・ 「 (画 七瞳塩 ~巾化 ので三週間の休暇をもら 買電八× 加 0寸株 十 問 盛二〆 株問。睦巾∴尺棒間 …月下旬〜三月 ir. 谷中の児韮にはこのようなこ と妊-切させない由、御拝詣 下さい。 く1一-1■\ヽ\\\\\ヽヽlノt-㌧ヽlヽ\\・ 太東月のこふ こ甲く鉛主な ノ‖-.も ■ 管理 計画的に作付したこんにやく 魅に弱く、これ 金であり、簡捷 てみよう。 Ⅶ 二〜五寸位忙伸ひ奔放療棟宙 ちに良質堆肥並に布碍伯肥料 及反当り硫撃て二衰匁、過 石田〜正貨匁硫安加聖二貫匁 位を堆肥に併用して蔑し、軽 く土寄申緋を行う。 ⇔病牢として白描病腐敗病英 枯柄日焼弼紋別病根血等であ 朋皿 ほ最ん恐しい病気で優る。 これ等の病気は一挺の細菌で 種芋土壌姦気倖染等より重病 する。種芋貯筒中でも発病す る。病状は暗褐色不革形の斑 点な生ずる。 ㊥防除方法 何といつても生育中後半期が 増殖の鍵を捏る貫嬰時期散、 七月上旬よ少〓週間患きに濫 〜六斗式石衣ボルドー液を徹 底的把撒布することである。 斡卑官防止策 なんと申せこんにやくは直射 光練や、羊魅忙は賜い作物で ある。従って蓼作刈取后直に 追肥土軍をした上に、木次十 貫〜十五貰匁か▼謂して更にそ の上忙刈数社行うとと、刈数 の畳は場所紅よわ厚薄すると 上で日照の強い所、乾燥地疎 略した所娃厚く置をする。 皇rを一l- をおよぼすこ こん忙やくは は、肥大成叢期に移 ている。殊に六、七月 こんにやくの収畳を左 貰欝時期なのである白 ら草魅・と季 節 恐と的 切等しが妃 なのい多 肥ゃ掃く 見て ら 防が完 輯管理 筈、悪入右眩ん と特影栢す畏と 単に響かるも し
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