広報ななかい 第16号 1954(昭和29)年 2月
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ヽ/ ノ 2 ∵ ( 報 会 村 七 昭和二十九年ご月二十日 牙十六号 最近遅日の 連忙労し.て、一部の町村民が 螢長安金の枠の拡大等につい て覗い集団的嬰求が続けられ ていることは新聞紙上を通じ て皆様既に御承知の洩りであ hニますが、そこで県忙おいて もこの際はつきりした方針な り態庶を明らか忙しておくと とが必要だとの見解から、営 農資金問題についてと超する 願総務鼻林両部長孜るり-フ レツトを配付してまいわまし た。 概要は次の通りで租ります 「営農資金の枠の拡大につ いて 昨年の冷害に於て被害を受 けた県は、北海邁、東北、関 東、信越等二十二将に及ぷ広 範田のものでしたが、気の毒 は被寄農家忙対しては国、県 及び町村共同で色々な救済対 繋がとられております。その 丁つとして低利長期の営農資 金の貸付制度があゎます。こ の骨盤資金の綺枠は、〓十二 県全部で二官二十億円の範囲 内で、垂闘の農民請おの汗の 結晶である農林中央金庫の預 貯金の申から貸し出されるこ とになつています。 営巣資金の第一次搾は六倍 九千五百万円(鼻薬共済金の 約年額に相当)であります。 この金額娃階下農民の要望に 及ばないにと妊明らかで、県 としても、これだけでは充分 ・亡児つていないので農林省に 本県の実情を詐いて懸命の努 力立続けている。しかし、金 国総枠が二胃二十怯円と法律 で決つているので、最倉の努 力な払つても本県の総枠妊十 倍円から、いくらか咽いるか という程度の見通しであゎよ す0 1、営農資金償還について て家な 四割の範岨内で、囲、願及び この賛金は、絡東金部返さ ければならない、備わる柴 は、今から償還計画を考い おく必要がある、貸田栢の 営農資金につむ、で 市町村が損失補償をすること になつているので、その分は 返さなくてもよいと老いてい る何もあるが、貸出した農協 はどこまでも回収する茸作が あるので、農家には全部返す 義務がある。 」、枠外一段融資の利子補給 及び損失補償忙ついて 営農東金の枠外の一般融資 償っ叶ては、願独自で利子補 給及び損失節慣をしてもらい たいという要求が、一部にあ るが、県として妊、全然考い ていない、叉農業手形につい ても利子補給及び損失補償を して将来営農資金に据わ替え るよう一廟の強い要求がある が、濃手の性格上敵対忙でき ないことである。冷啓二十二 県の給粋二百二十億円の全部 の配分が決つていない現状で は、成る丈け多くの粋を本願 分として確保するに外に方策 はなく、牌釆二官二十憶では 足りないという事態が起れば 国会に於て再検討されるべき 筋合のものである。 一、郡別町村別軌資枠及び貸 机について 営農資金は、被害の実情に 応じて一定の基準で防が郡別 町村別の枠を決める尋じなつ ている。第一次枠については 既に決定済みで、その範囲内 で書類その他の準備のと1の った処からなるべく早く貸出 すよう県信連を督励中である 早いところでは、旧正月前に 貸出す方針で努力中です。県 としては全力をつくして居わ 以上点につ霊二部の要求や 陳情によつて、いろをつける とか既に決ったととをその儀 に変威する考い妊毛現ありま せん、不審懸念の点があれば 地方事務所に相談すること把 ょつて全部判るようになつて おゎ、連日の如く県や県信儲 紅対する集団的要求でほ業務 が全くできないので、厳に澤 の慮願いたい。 以上県配付のづーフレツト し 社会人として第一歩をふみ出 すことで、之れだけ忙、大き な喜びと同時に不安が見られ るのではないかと思います。 従って、親も千も、入学忙 ついて十分な心構えをつくる ことが大切で それによつて 今後の学校生活が楽しく明る く、豊かに伸び伸びとしたも のに出爽ると思いますので、 御参考まで虹、その二三につ いて記述いたします。 H今の顧育と昔の教育、 昔と今とでは、教育や子供 把対する考えが違うので、そ の方淀も相当ちがつています 重しくは述べる暇がありませ んが、入学期の児童には もたらわない。」というよう 忽答忙あうこともあるわけで す。叉「遊ばせながら教育す る。」という方法を重要なも のとしていえす。「しつけ」 紅ついては、毎首毎日やるの ですが、なるべく自然におぼ \・\ ■ 様探 心標 ことを主眼といたします。 すから「今日は何をならつ きた。」ときいても「たん 大略であハ篭、、 では当軋に於ける営農資金 借入れわ概要は、如何にと申 すなれば、村内各農協の患骨 折りによカ】月l一十七日忙借 入申込菩の取りまとめを了し 県信連に拉出いたしました。 各農協毎の借入希望額は、 七会貞協五五五八、000阿 塩子農協 八重二、000月 開拓農協一一-八「一〇〇円 計 七七三二二〇C円 以上のよう七なつて居わま す。これに対して、一帯一次分 村貸付決定額は、 七会農協一二八≡、000円 軽手兵協 }一九、000円 開拓農協 五〓一、000円 「先ず学校になれさせる さて、 かの.来 ら御る がレ 学校 蓄 愛、ぉ人新 生の長新卜学学 -・一 活もいいな期 忙と問申迎に 入に家上えあ る育‾廉けまた 年生の父兄の方へ つでます わ ことは 、お子 た家すこ お人 ○と 子の を ○ にてでし一 えるよう把やります。 ょく、「ほら発生がきた。」 とか「先生把話してやる。」と か「そんなことで学校へ軋ら れるか」とおどかす人があり ますが、これは、非常に困る ことで、この道に「畢校はた のしい所、先生ほやさ′しい」 と教える態度が今の学校に必 要であります。 ⇔先生はこんたチをのぞむ。 1.名前なよばれたら、はつ きわ返事ができる。 をPTAの皆様から頂戴しま した。幸にして本年度頗和上 り配線と観受信機とスピーカ ーの改善なして立派に活用さ れ聴党教育の一新機軸な開き ました。このたび高鉄棒二間 ね なな 計 l九一四、000円 舞二次分についでも農家の窮 状にかんがみ、早急忙貸糾す べく最全の努力を話して居る 模様であり、おそくもl一月一 杯には貸出されるこt-L⊂、思 うが、貸付朗については未定 セある。以上県の要旨を述べ 営農資金借入打大略としたが 決論として今次資金確得の問 題妊やがて到来する、くるし みをきりぬけるための、農民 の強い要望であり、政府又は 県当局に於ても充分農民の苦 境な忍放して、最大1の努力を 壷されんことを要望するもの である ○ い気分忙させられます。 今回学校数送設備の完成を らつて予算三万何の御寄附 れば愛する子供達忙申訳 (勧業主任富田寄託) 蔓r董 七曹中撃校 当校の校庭に立つ て櫻樹の並んでいる こと1益を突くよう に整えている大銀杏 の苗木に気が.つくで しよう。 学校環境も本年よ り来年へと検討すれ ば新規旅設も舅究し だけでは生徒の運動軌髄の鼠 階的練習と指導⊥欠格があ♭ ますのでラヂオ設備完成の残 金三千六冒円軟鉄棒八問の設 備費に充当いたしました。各 休前生徒と教師の協力奉仕で 完備しました。女生徒も喜ん でいろいろのゲーム存して遊 んでいます。 侍泡準用の自転串置場の不 備から開雪日忙は大切た単を どう保管してよいやら数の多 い関係で悩んでいよした。 この件は去る十月十花日の 村民体育大会の際忙御祀とし て御贈り下さい生した御寄附 で見事な月転単位場(十坪) を設備しました。この作葉よ 生徒のサービスに依るもので 有わがたいと痛感しています 我国は澗立はしたものゝ政 戦の后の航盛事業の如きは著 しく立遅れ、今正に斬らしく 第一歩を踏み糾さんとす古墳 遇にある事は皆棟御承知の如 く耽把親日本航益合祀の内地 航姦は西は九州、化は北海道 まで毎日就航し又∵外国航基 も昨日許可を得て㍍験飛行中 にて今日僅忙九州空で飛行機 搭乗したからと云ふて余り珍 らしくもなく叉、名啓でも卒 柄でもなく却って高命の身を 以て飛行機搭乗は無瑚であり 生意気であると誹りを受ける かも知れよせんが、夫れは甘 2,人匿きかれたら「はつき わ自分の名が言える。 3.自分の名を害いた「かな」 が謹める。 4.自分払とりで用便できら 5.持物や服を自分でしまつ できる。 6.友達と健かよく遊ペる。 7.ぬちついて話がきける。 8.自分の考えを人忙言える 日勉強はこれぐらいでせる。 1.名前を「かな」で績み雷け .る0 2.鉛筆の持ち方になれてh 飛行機措爽の威想 (附九州旗行) 小 林 従 道 侍残金使用ですが体育局の 平均台(価格六千円)萱台を 設備し空した。所が平均台は 二台の設備をしたので現金の 不足を来し重した。との実状 を阿久津助役殴が承知して他 の璧台だけ妊篤志寄附として 拙供して下きつた訳です。府 民各位と共に衷心上り阿久隠 助段殿に感謝したいと思い立 す。 以上寄附金の傾途について 大醇御報告申上ます。 今後も愛する手絡達の教養 をよ巾よくするために哉多の 摘設が必啓上なつてまえ巾ま すどうど将来ある子弟の教育 忙対して御協力をお願い致し ます 〓九五四、一、二大 文筆横須賀教頭) 受致し生す。今回筆者の飛行 機搭乗忙付村報踊集長よゎ感 想を書いて旺と諸々受け、其 の言葉に甘んじペソを取った 次第で、今后搭乗希望者諸君 の参考ともなれば率いである 冥は筆者の飛行搭乗は九州旅 行忙飛行を利用し時間の節約 を計ったもので主目的は九州 旅行でありました。 l九五四年】元且(晴天) 朝八時東京羽田飛行場童の日 本航蛋の態客槙ダグラス号に 搭乗北九州隔岡板付飛行場迄 (終点)基の横行を薦す串を 得た。断面時間は四時間ト音 る0 3.五十音の正しい軍曹のけ いこと、それに結びつく 「かな」がよめる。 4.身近のものどと忙より十 よで数えられる。 勉強はlつも机爽なくて結 構です。惑い方法で無理に覚 えさせると、却って「†イナ ス」になわます。それょり、 素直で一明るくて、はつき巾 した子なのぞみます。 (筆者は徳歳小学校長中野 正三先生)) ダ 上宅を飛ぶ時紘、明か変な気 がしたが何事もなかつた。上 基の天気妊晴朗でも下界は曇 りで入道雲が飛来すれば恰も 其の腎軍が作戦上煙幕を張 った時と同じ耽影で、下界は 全然見る事が出兼ない。以上 苦いた様に乗心地ほ頗る良く 危険も心配も不安も無く、而 し強風の時は多少動揺がある ビ ュアガールの詣であつた。 それほ筆者が乗った状況にて 料金は羽田から隔岡迄、.片道 税共l方六官五十円で飛行機 には等級の設けは無く往復の 割引の規定もあり携行品には 重畳の制限がある。 年木屋号が遭難せる≡ 外の処は飛ぶことが出水ない それに衝突を避ける為め】 の路線を設けてある訳千、 隣椅子の人と普通の言葉で話 をすれば聞取れない程ではな い。気候の関係か爆音の為か 耳を少し侵された感じがあつ たが、着陸后間もたく旧態に 服した。乗員定数は五十人乗 で捻て安欒埼子式で一人く 腰を下し、其の埼子には何れ もバン.Fが取付け、発着陸打 際其のバンドを締め、発着陸 を経ればバンドを解く亭にな って居るが、それは発着陸の 際に於ける危険妄防止する目 的であるが、筆者搭乗の際は 何事もなかつた。楔の左右両 側忙は窓があり、左右共硯界 妊充分良く、下界の人家も由 畑も山も水鳥見分し得る程度 へ高度千五首米)人家の如き 妊、.マッサ箱な並べた様に平 たく見へ、上蓋は何時も晴朗 鼓峰富士山の雪を被れる光彩 は実忙眺望絶任であつた。飛 行線路は大体決って居て指定 飛行機はダグラス を備付け四発が一 上で座 行場に着陸、十二 付飛行場症到着し 快摘其の物で発着 速力は時速三百五 度は千五官米乃至 行中は明かの動描も 十分、其の問大阪、 る関係上嘩晋が相当高 す る と 何等変 欝 鹿骨 共、時 至薬玉岩 四 異なく米で機心十国 動く塵’’安地骨爾 機、の罰篭高察と綬一飛 の党定 現れて居る℃我七会村の如き は土贋と温度の関係もあらう が、生育状況は】1ケ月の相違 あるかの棟忙感ぜられた。而 し今旺盛作物も冬眠期あるむ 以つて九州と関東地方を比較 するのは無理かも知れぬ。 博多に於いて聞いた所によ れば廿八年度米作の多収穫は 隔岡県の某農家が日本一で島 林大臣の表記右受ける尊に篭 って居ると云ふ。鹿児島市附 誼は挽靡も高く、樫島げ一月 lニ日と云ふと、菜種の花や白 梅紅梅が咲き初め、菊の花も 集も生々・として、如何にも霜 が砂いかを物語るものであつ た。鹿児島市に於て目につく のは楼島大根であゎ、市内の 店頭忙は一本〓旦匁余町人野 犬の物が朗々で見受ける事が 出舛る1以上害いた貞葉硯察 は全く表面観察忙て実態調泰 を研究すろ時間の無かつた草 は遺憾であつた。 倍南北九州大都市の名所旧 蹟も早廻り的忙見物が出来た から後日ペンを取り蓉考に供 したいと思ふ。 一行は二男小林発と〓人) の多く同情忙堪へ 熊本から鹿児島本 作物を気革の窓か 自動車の申から望 によれば沿線繭側 叉農民の新川心さが作物の上 甚大な に鼻糞の技術が発達 田は八、九分通わ二毛作 を蒔き、併置の跡な見る 忙丁寧忙砕土され、裏作 や整然と秩序好く蒔付、 ら見れば青い毛せんを敷 めたる如く青々と延び、 田にして、】望鼻余、 名所旧蹟の見物が竜眼であ た。.序に九州地方の患垂完 察.したが、就中印象に深く って居る 本県は殊忙甚しく、今倍道 住家の浸水無惨 尚復旧ならす、 しか 如 北九州、急把於ける志亙の決壊、田畑や榛東研流失 冥如憎 共見ら繰怒に何た 殆し’沿か物にる せ る 其んた或道つ語被巽 か如き.横たとののとるいのたる啓況 竺’何語かる誠真水水研は膚qものは醸艶篠田つ . ▼
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