広報ななかい 第11号 1953(昭和28)年 9月
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会 報 村 牙十一号 知和二十八年九月二十日 (2) は易烈把 が最もよく排水のよい両も過 こんにやくは食用になる外 稜々のエ菜上の用途が甚だ多 く、本村の傾斜地忙よく過す る作物であるから、このこん にやくを栽培し換金作物とし て今後の営出の栽培様式の申 に取わ入れようとする方の為 忙蓼琴把なれば幸甚と栽培上 の概容を記して見よう ■生育と分けつ 麦は五日間毎忙、一段階ず 1成長する、即ち五日で童芽 し、十日目で一葉を生じ、十 五日目で∵一葉、二十日目で≡ 実になる位が遭期播種したも の1正常状態である。 そして本案が≡、四某にな れば一本分けつする、分けつ 開始期臼は発芽日数の四倍に 相当するもので、発芽日数一 日異いで分けつ開始までには 四日違いに放るのである。 麦の分けつは、また段階的 に行われるもので五本把分け つする皇でを第一次分けつ、 それ以後の分けつを第二次分 けつ、と云うのである。 この第1次分けりが年内忙 経る様に渦期播種する塵が大 切忽のである。 分けつの繹過を見ると、催 芽したもの転播きつけた場合 一、二日のうちに五木の棋が 出て助罪なふく、そして五日 よ㊤六 根の伸長と共に、木葉がl一枚 あらわれ、続いて、十日目位 で≡枚となり、基部把は幼芽 一、気候及び土質 我国の気候はどこでもこん やくの生育に流するが、強 な田光の直射や張風の当わ い地勢ほホ向である。土質 砂礫む多く混じた探い壌土 木田農場顧客記 本村に通サる 巴ん臆轡針の歳培 岩 下 金 農事研究会員 卜 都 築 乾忙ならない様な析は理想的 である。従って本村町如き山 間の傾斜地は右の条件乾よく 備えているから有利な作物と 云えよう。 二、豪商法 親芋のたわりの子芋を探牧 して貯減し翌春畑に栽培し秋 把掘椒り貯蔵する。年々斯様 忙して〓〜三年を経て種球と して層いる。種球繁植の栽相 間隔は初年一尺七寸×三寸、 二年目は一尺七寸×六寸位の 蛭間及株問なとる。 三、穂域の選捧 】音四箆盲用い、健全で がのぞき蘭める。 十五打たつと三枚の某が大 きく伸長してきて二十日日頃 には葉が四、五放となり幼根 の方では、ヒゲ根が発達して ぐると同時に永久根が出始め るlニ十日目位に放ると、三木 の整数が分険し、永久棋が七 本位忙出揃ってくる、麦は早 く分けつ、したもの程、生産 力が快きい早く分げつした程 着粒数が省く生産力が大きく なるのである。 妙徳形成は分けつ順位に、 したがって行はれる、分けら のおくれたものは根の数が少 く、つより母輩だけが阻を持 つことになゎ、ぬそいもの妊 猫立華でない。 そして窒素肥料の晩効も手 伝つて〓段穂を出して俗に云 ラ、元から先よで積だらけと いう、麦となる。 ■時期と方法を誤らない管 理 管理を離れて、麦作はあり 得ない。 変は手入れ七分に肥三分と 云って、懇切なる管理が増収 外皮滑か形は豊円で眉賑わよ く芽の部分は柏凹み芽に傷み なく色鮮であるもの。 四、定植 大葬の作免の閻に植蔭又は 栢孔を穿ち五月上旬根付ける 間隔拭暁闇は大葬の睦間その ま1とし株間は二年子の梗班 のときほ四寸三年子のときは 一尺二寸位とし、普通三年子 を用いるのが多く此の場合反 当一九〇〆〜二四〇〆の硬球 を要する。楷える時はl株一 個を、て.いねいに覆土し乍ら 棺えるが、撞球の芽ほ横向に なる様にする¢ 五、肥料 肥料は堆肥、下肥、葦桟油 粕、硫安、過石V草木次、郡 糞等を用いてN成分二〜三〆 P成分二〆、K成蟄一と三〆 位になる様六月上旬周遊肥と 】、昭和二十九年産保安陵員 の欠員補充のため垂国で約八 千名までを採用する。このた め本年九月十五日よわ募集右 実施し二十九年一月中旬虹入 陵させる。 ニ、志願資格 A昭和≡年九月二日から、昭 和十年九好一日生封で B新制中学卒柴程度以上の、 要件である、と共に土入れと 麦踏みを合理的に行う、とく にその時期と方法哀あやまら ない標忙する事が肝要である 倍率剤の散布を必ず舞濁し 病由宇と倒伏な未然に防止し なければ漁らない。 麦作の成否は土を作り優良 品種を渦期に播種して合理的 な肥培管理にある事ほど承知 と思う。 最後の栄冠は麦庵良く愛育 する者の手に鐸する。 「およそ作物を豊熟せしめ る引を欲せば己の愛児を薄青 する如くすべし。棍える心を もつてせよ、手をもつてする なかれ」佐藤淵先生が言われ た言葉であるが、そうした心 持で作るのでなければ、三〇 憬安際戯志願寮内 して施すのがよい。 六、手入 蓼収穫後井ご一、五寸位に 伸びたとき除草し土寄せ寸る 土寄せしたら一日間口光に当 てて乾燥し芝草又は埴肥を暁 闇に撒布して夏季の乾燥を防 ぎ雑草の発生を防ぐ、一球よ り教本の菜柄を生じ潅ときは 之を除き初めに発生したのを 竣す。 七、収穫 十月中旬頃地上部が枯れて 倒伏し其の腐敗する前に、芋 に傷つけない横広堀起す。牧 穫後は親芋虹附漕した子芋な 分離し、親等は檻球と販売用 に蜃別す右、反当収量は、精 強二四〇〆製鹿用六〇〇〆子 芋六〇〆位となる。 八、癖字 ÷こんにやくの病啓には腐敗 学力な有する者 0身上一米五十五糎以上 抱囲、約七十七糎以上 体重四十八記以上の着 眼鏡をかけないで、〇・ユ什 以上叉妊、眼鏡なかけて 〇・八以上の耐力があゎ、 班力完全な着 酷力が正常の者 体格完全、身体強健で伝染 俵の蓼は稔らない。 〞 ノ た三ニ○俵取れるよいう忙眩 惑され・て「鵜のまねする鳥、 水におぼれる」のたとえの如 く、充分研究もせや表面だけ を呉似すると第一年目位は多 少増収するかも知れ放いが、 長続きはしないで、欲の皮を 釣張ると爽は大きな失敗右招 く事になる。 木田先生は人間と土と、穿 と、が渥嶽二体となつて、こ そ増収旺掲られる、「蓼作る よゎ土作れ、士作るよわ人件 れ」この将帥と熱こそ三〇俵 の蓼を稔らす第叫要素なので ある。 以上本田発生の談話を記職 して祀祭記と致します。(終) 病と白絹病の】一稗がある¢ ◇園敗病は葉柄及び轟癒着軟 化腐敗せしめる、柄蘭は土壌 及び堵棋忙ついて越冬伝染す る、本病な防除するには稜班 を石衣乳(石炭二〇%) で消 毒し、慧川瑚習小ルド ー液む七自下旬よゎこ∴○日間 隔に三河位撒布する。 ◇白絹病は七〜八月頃地幣を 侵して倒伏せし.凍る、被寄部 ほ白色絹糸状蘭糸で被はれる 木桶固は塩基性佗弱いから根 本に石衣又は木次な盛ること と病本よ打閣頼の落ちない櫻 集めて焼却する七と把よつて 防除する。 終りに紙而の都合で詳細許 けませんことを申し上げ、又 後の掛合に不備を充したいと 思います。 性疾患、慢性疾患、奇型、 四肢関節障零等の異常がな い脊 D次のいずれの事項にも該当 しない者 1首本の国帝の放い者 2棄治産者及び準禁治産者 3禁固以上の刑忙処せられ、 その執行を終るまで、叉妊 執行を受Ⅴることが放くな るよでの者 4法令の規定にーJる懲戒兎楷 の処分をうけ、その処分の 田から二年な経過していな い者 5月本国憲法又はその下匿成 立した政府を暴力で破壊す ることな主張する、政党そ の他の団体を結成し、又は それに加入した者 四、探用人貞 菜城県で約千∴十名 五、受付期間 九月十五日から、十月十五 日まで」ケ月間 六、志願手続 A志願者は役場又は‥■最寄の 保安隊から志朗崇箋週を受 け取わ、乙れに記入のうえ 低位地の役陽に繰出して下 さい。 B試験場は、本村は膠田部隊 に設けられること忙なつて おゎます。 てきますので乳児死亡の膵閃 になつて、出産を≡十五才皇 でに終了す電魔努力すること が合珊朗療戚.血郡し思い適す。 二十温才か良三・五才まで の間に三児を生むとしますと 山蕗間隔三年四夕月き云うわ けでサ.。姫娯と授乳の1年九 ケ月を差」.いて一年年ほどの 、 分娩後出血、早期別離、など の野生が著しくふえてくる。 患乳の出も二十才代紅くらべ て三十才代は大へん弱くなち 産婦の も、三 急に高 り資す と乳 で児こ生 すののみ 昭和28年定七会村 歳入歳掴追加予算 蔵 人 深耕噺姦二庸㌃ 煙草新作瀞m口節君来襲 ○ま十死 ○俸こ封 つ五亡.穏便と さ 三十五才すぎますと 才を貞かは て居ることがわか (其の四) めは≡十五才まで 項讐買畏蒜学習蒜合 計 詞のら母 以降の死亡率が 乳児死亡、舵 べて見まして 考 休の保護と、 2平2・300・000働0002・900・000 8繰‥越金185.665髄3。。・755.965 歳入合計 9.100.150:1.170.30010.270.450 歳ご出 えられるこ 本村出場… 西郡体育祭に 八月十六日西郡十四町村の体 育祭ば陸上は東那珂中学校磨 で、角力、ピンガンは笠高、 拭い肇笠間中学、野球は椙 適正間隔出産な心からおす めせすには奉られません。 心を完金に回復させうるので はないかと思います。年子と 云った生み.巧が箪に女雌の容 色や、体力を衰えさせるだけ でなく生れ出る子供にも最も 危険かつ不合理であゎます。 瀾在日本の母性たちほお乳 を止めさせちと早く後が出来 ると云って離乳の時期を延期 する様な悲惨な方洪を冥行し ている人もいますが、それは 無効で妊娠するだけでなく乳 児の発育を障碍し、また性器 の萎縮を来して身心に有害で あり愛す。滴正間隔出産は適 当な受胎調節方法k招ること が最も賢明かつ、安全確実で あり鼓す。女性はチどもを産 むたび莫くなるのが自然の理 法にかなつていることで、第 一子出生後の母性の輝しい愛 情にみちた眼差し、つや′\ した皮膚の雷いがそれを証明 しておわます。美しさと若さ と健やかさな失わないために 保健婦西海愛子 休養期間を置くことが出来 授乳と云う大労働で躍れた す。そうすれば妊娠、出産、 項讐宝嘉忘学習宗合 計 閻 欺 5教 育 費1.977.750 52g.800 2.506.550 7保健衛生費327・亜0 25b.000 577.400 8産英経済費953.580 194.0001.147.580 9財 産 費 556.000 170.0()0 726.000 3言考究出金 321.700 27.500 349.200 歳出合計 9.looユ501.170.300 隔ほついて ▲【■■_二’■T’′lbr■一’一▼ 身、ま 札氏て九 〝ク〝〝桧 樹 しに競月 柾 モ買雲量垂 搬彗-籍阿久韓藤芋、▼砲丸校正 位沢田菩牟 ◇女子 綜令第二位 米辛労石川澄子ヤ走高跳三位 六十朱三着小林文子、訂五十 川又巽代、走巾跳四位安島ヨ シノ、四百米リレー第一位( 小林、石川、川又、安島) ◇男子相撲界七位小林元夫、 根本義秋 ◇男女踪合鰐五位 ◇野球メソぺー管督阿久繚銃 ’を笠 男 以間補男井ト’ 果左の通す ◇男子 綜合第九位 千米五岩大座相思夫、霞景 ませんが小兄窮育槙準小網暗之、鈴木昭、-部豊 菅井信、阿久津勇、阿久津 つや、岩下成子、富入賞者決る 九月一日上り三日忙宜わ乳幼 児検診を各小学校忙於て冥欄 致し去る十四日コンクールに ついて審査会を役場に於て開 催審査の儀典左記の者が入質 した。 荷グランドで開催され其の綽 倉見村有林間伐材の読売 ダ〝〝〝〝-〝∴〝。〝二〝一 等 等 小卜長阿山飯阿岩阿山鶴森 澗部峯久口付久下久口田 侍コンクールには ちやんコンクール チ欠1茂部垂 将 1飛中’- ム田野税務阿 と正正本、久 野武≡弓爾阿津 詔 凡凡凡凡凡丹 木 墓穴=彙芸重丁数 八し倍 音笠郵 円闇便 う 津 津莫津 め知清精充建敏清 英俊 子義子一彦周子子浩樹子徹 ○取’’や久 し菅川’津 十井原阿攻 八智公久男 ’ 対 済津 二 龍婚 正l 急設是軍元垂完元 伐 人成一地坪輝三義金光寄主倍 賞三詩 文巽男任司男 嘲: 致長最長最長二長長二長長長 し女女女男男男女女男男女男 詔誓無言志望雲右横 落造つ已至宝失望会合
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