広報ななかい 第6号 1953(昭和28)年 1月
1/2

七 会 村 報 (l)昭和二十八年一月二十日 牙・六 骨 ≡、目標設定のための端御 前骨に於ては駁疋E計画作成 にあたつて考慮さるべき基本 的方法論忙ついて述べたので あるが蔑柴統計噴料の覚集の ため役場隼田頭した際・「七会 村農村建設計画啓」なるパン フレットを始めて入牢した。 詳細にわたろ串間的な冥態調 査に基いて建設計画が葦定さ れているのを承知した次第で 潰憾ながら私の不明な読者諸 兄に対し深く缶詰びせねばな らない。そこで本稿を更に相 続すべきや否やにつき多少曙 蹄せぎるを得なかつたのであ るがその内客を検討した結果 敢えて紀行すること忙した。 さて右計画書の緒言に於て 「而して農村恐慌来に備へ叉 租税対策としても諸堀策を本 計画に綴込みこれを冥福し理 想的農村の建設を期して先づ 00 盛業経営S改善としての土地 00 改良或は立地条件忙適応せし ●○ロ8 める摘地拙作、農家経済の立 直しとしての山林の活用或妹 0800ロ00 優良家畜の攣へ等多角的営農 方法を取入れ人の頭と季と努 ガによつて天然資源の貧困な 祁い」(点筆者)云々L連投計 画の大網む明示し本譜紅於て H盛礎調査中巻本計画日英施 計画(昭和二十七年度)の三 開に分け詳細孜分析と計画が 策定されているのであつて誠 に堂々たる構成となつている 私はこの計画書の内容把つい て分析批判せんがために本稿 を続けようとは思わないがこ の計画苦を入手したのを睾忙 本計画書にふれつ1玲を進め て見たい。この計画書は精密 な調査が行きとゞき広範にわ たり誠に立派なものであるこ とは先に申上げた通りで一点 の吏盤計画ほつ㍍て 塩ヰ郵催局長 非の打ちどころがないがさて 本計画富に目を通して何かし ら物足れないもの.がありはせ ぬか。解決を聾甘る問題とし で取り上げた事項が広範にわ たることば祀余生括の複雑を 忙伴ってやむを得ない訳で凍 るが無秩序に配列されていち 嫌がないか。結局注ぎこむ労 が多くしてその剤虹効果が余 わ期待されず、努力の効果が その後から後からとねけて行 く底なしザルの如き感な受け はせぬか●その披けみ点はど 】かと云う旺盛衆愚済の貧困 からの解放のための直握約手 段把零点が置かれないで、そ の日的が蓮成された場合の理 想的な状態についてのみ強調 されていると云うことではあ るまいか。叉木計画が完成さ れた暁に債一体どんな襲の村 が特殊性むもつた理想的農村 として建設されるのか。この 新し′い村への建設努力は一体 諏がするのか。どんな構成を むつた多角的営農が期待され るのか。遺憾なが仁私にほ見 透がきかない混乱に革かrLる のである。建設計画は技術の 間践で政見鞘表とは速うもの だと云う感を深くするのであ る。建設計画の推進力は特殊 一部農家ではない、即ち経済 的解放を最も切実に痛感する 零細経営者の要望た組峨的努 力に昂揚すること、計画の実 施が村民一人一人の生活的英 一リー.、 践になら放ければならないよ うに、換言すれば村民一人一 人の寝済的貧困からの解放へ の努力が自ら村更正への計画 と直結するように仕組まれね ばならないと云うことではあ るまいか。この計画書が絶て の点について精密で至れけ泰 」丁--1-- 阿久 津守男 せわで難点がないにも拘らず 尚且っ村民の墟りどころとな る指導性にとぼしいのは即ち この計画が輸入された計画或 はサンプル忙よつて作わ上げ られた計画(種々の基礎綱奄 はそのカムフ一て占の為につ けたわになつている) である と云う点に欠陥があわはせぬ か。勢い実魔の当座は華々し くデビューしてもやがてどこ かで偉い壁に突き当わはせぬ か。多くの努力が農家経済に 間接的に効果はあつても直優 生活の同上瀕である絶対的収 入増とはなつて釆ないのでは 庵いか。換言すれば努力の効 果な減殺して行く逆コースの 力がより強く作用して乗る結 典、計画が龍頭蛇尾に終りは せぬかと云う懸念な禁じ得な いうらみはたいかと思う。更 生計画が直ちに収入増な唯】 の日枝とし且つ気軽に実現し 得るような所謂手品式塾当で ないことは云うまでもないが 史生計画を推進して行くもの 村民の臨カを集中せしむるも のは依恕として現実的、物質 的収入増でなければならない ことは否定出来ない。右の建 設計画苗の藍本計画忙巻けら れている土地の改良、適地適 作、家畜の導入は果して誰が 実施するのだろうか 財村費補助でやるのだろうか 農家自身がやるのだろうか。 村費補助としたらそこに多く の問題が伏在 うか、農家自身としたら果し て実現が期待爪木るだろうか 鼓で留意いたしたいことは土 地の改良直ちに増収で往ない こと、適地適作が直ち忙収入 増でもない●叉家畜の導入直 ちに有畜農業でもないことで ある。是辱の問題は農業経営 の根本問題であり金口本痩柑 に於ける共通の悩であるが、 これこそ解決困難放農村社会 問題であることは多くの識者 の一致する見解である。この 閉経こそ農村の祀会的、暦数 的、経済的矛盾の集積された 現象であろう。然らばこの矛 盾は一体何であるか。 さて私はこの辺で私の本論 忙立戻ること忙したい。私は 嗣論の基本的目標と方法論で 璃初の閃閻について一言した が本村の問題と関連して具体 的忙諭な進めて見たい。 「本村の経済を覚えているも のは山林である。耕地は余り に狭小で如何程努力しても農 業によつては生計は困難であ るから山林賛漁な開韓し、換 金作物を導入し或は家畜の飼 育む探り入れる上わ他に遺は ない」と云う観念が相当唄い ようだ。この考へ方は硯冥的 で且つ眞理性をもつているし 後述する如く途にはこの結論 忙到達する止してもい足飛に この考へ方によることは最も 安易な道を選び得る特殊の少 数有を除いては逃避的、蹄念 的となる危翫性をもつている だからこの観念からは畠柴経 営の故事も故増技術の進歩も 期待出水ない。併しながら直 感的に本村経済中支配的なも のは童穀幾英経営であること 妊否定し得ない事冥である。 米、蓼等量殻栽増盛業は近代 農業としては既に時代錯誤で あると云う諭は一応は成り立 つとしても革冥各農家は米歩 栽培な離れて生計が成わ立た ないし叉別に成り立たせよう としても無珊である。当り前 ■で詭も承知である。殊更に強 調するまでもないと反バツす る者があると思う。事冥その 通りである。併し然らばと吏 ..1一.′ か一 に反間して見たらよい。そこ で私はこの米穿等の幸穀栽培 を農家経済の基本的蓼繋とし た典薬経営が本村経済の支配 的且つ最も重要恵問題である と思う。そこで私は再言した い。更生計画は輸入品であつ てはならない。創作物であつ てもならない。ましてやモデ ルの模倣などではどうにもな らない。現実の経営冥態から 農家経済の基本的支配的嬰漬 から分析を開始し而して乙の 基本的支配的蓼繋中把持在し ている矛盾を摘出しそとから 他の矛盾へ、従って叉その解 決へと拡大上向して行くべき もので茶托始めて更生計画が 現冥的で体系的に構成され、 相月の誰にもよくわかわ直楼 的にその効果を期待し得、且 つ組織的、積極的に協力し得 る実践的計画となつて茶ると 庇うのである。 結論的に云へば目標設定の ための硝初はあらゆる配金的 歴兜的矛盾の集約的形態であ わ然も最も基本的で且つ支配 的であるところの生きた経営 体の現実的分癖に始まらねば たらないと云うことを強調し たい。(以下次号) 囁本選挙 人名衛確定人員 昭和二十七年±一月二十日確 定された七会村基本選挙人名 帝人員は友紀の通りでめる。 記 投票区名 男 徳流 小膠 塩子 赤沢 大其 計 一望 一一三 四〇( 】空 八四 一、○只 ヽ ・< 一一 セ ヨ£ - ニュ ブて _三 コ八四工計 克空全売雷宍

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です