広報ななかい 第3号 1952(昭和27)年 9月
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昭和二十七年九月二十日 会 村 報 七 (t) 村議、敦、 昭二こて一〇、五、初めて教 育委員会が各府県、五大市及 び】部町村忙設唐音れて以巫 未だ設置されていない拳固一 万四十大町村一轡に教育委員 選挙が十月五日に布はれる串 把なつた、県の学校は県で、 村の学校は村の教育委員会に 依つて管理するという其の土 地々虎虻即応する誠に民主的 教育方法が冥施される様にな つた・のでありますが、併し最 初は文部当局初め教員組又眩 全国的に市長会町村会等の延 期詮の世論激しかつたのは如 何なる理由だつ憤ろうか八月 二九日附読売は次の様にかい ている県、教委にあつた人事 研修指導の仕事が個々の村教 委に腰管される軍紅なり人車 交流の耐に於て.研修指導の面 に放て困難や能率低下や亦教 八月十八日の村議会に於て 「国有林野払下申請の件」と 云う議案を提出いたし原纂通 り議決忙なりょした。 議案の内容は昨年六旦一十三 日法律第二四七号妃よつて公 布忙なつた。国有林野鞋備臨 時増置法と云う、法律により 属有林との境界が入り組んで いる国有林で、孤立したl小 団地は優先的に地方公共団体 に払下ると云う法に基き提案 したものであります。 提案の揚所は、大字小鯵字高 田一、九七五替地三二町二反 一畝一七歩、大字塩干字藤倉 一、九〓二番地〓四町二反一 畝二四歩、岡倉見四七帯地七 教育委貞選馨ほ就いて 闘衛林野の 蹄下げについて 七会村塵∵片岡 町九反七畝一一歩、 五四町四反二二歩、 申請の議決であつたのです。 依って役場に於ては直ちに苦 深な作製し笠間営林署経由し て、東京営林局■長宛払下申請 軍を提出いたし鼓した。 前記の山林払下けが実現すれ ば紆基本林として美林を子々 孫々に姥し、将来学校碓設、 非常災害の突発等あつた際其 を求めないで、実現いたし度 の復旧々村松或は村民の寄附 い念願な持っているのであり ます。従って村民各位もとの 払下けが実現する様協力な御 願いいたす次第であ 民、垂最 小精義艮 育ボスにかきまわされる事態 を予想され考慮亭々とあり、 また九月七日附朝日、既設町 村教委の実態調査の結果を発 表して教員の人事及び給与の 問題他町村と明比率等々難問 題多く珊恕郷冥或は困難であ わと云うのが実態であるとい つている。村財政の限られた 範囲と、ボスの放こと僻村な 山村とて教員の心を暗くする 窓条件が累積するならそれこ そ本村教育界の番長である。 現実を凝硯の心痛める者はl 入直面する処の教育者許担で はないのである。是非共我が 村自身の手によつて意条件は 克糎せねばなむぬ。柑を愛す る通解あら村民諸氏正依巾選 び出されたる教育費員に依っ てゞなければなら喝とぉもう 前途には伺低超するであろう 善書 合計面積 を払下げ 幾多の経国をよく突破し調和 し得る円満な人物の登場を切 旺望んでやまない処である。 思へば学校数育土抑盤面任務 に日夜研麒努力の裡に終戦な 迎へた先生控は未曾有の教育 界の旋風に遭遇した教科内容 の大変革、六三制教育の琴鱒 蜜た村数育委員会の設置がそ れである規異に直面している 先生方に多大の衝撃な与へた 事は云う迄もない。急激な時 代変遷の渦の中にも安心して 教育把専念し得るだけの環境 鞋備は不可能なものか完全自 治体として財政的に余裕と珊 解とをも少し持ちたいもので ■出生届出 終戦前よでは由 重層出.もかんたんに出来たの ですが、戸解法の改正により 面倒に放わ、名前も当用漠字 によらなければなりません。 従って皆様の家庭でせつかぐ 良い名をウけても役場の戸鮪 係忙そんな宇は無いから改め てほしいと云われます。です から出生届は必す当用疾字で 名をつけて届出下さい。 次に屑田期日ですが、生れて 十四日以内虹届出しませんと 過料(ぞくに云う罰金).を酌 付しなければなりません。 E婚姻届出 男子は滴十八才 この集は別記忙詑明あわ 議案第二号、県道改修方陳情 の件 県道小勝枝本屋より役場に至 女子は蒲十大才に達すれば 笹 発行所 発行人 印刷伊.水戸 承 片・ヒ西三 A茨皆 r℡丁 こti.l_h 伊 開高城 十年 蔓芸蓋那.、竿こ「 会八月 六日開会議 案第一号、 村議 是非知って ゐて下さい 会 定 十例 る練は本村の重要通路なるも 迂廻屈折多く巾良等観きため 毎日の如く満載廿る土ブック が転覆せるに上り急速なる改 修方な陳情する講釈が成立し た○ 議案第三骨、七会村法定停染 病患者の食費肇仰徴収条例 この条例は決定倍染柄に解っ た場合鞄経費のうち食費及び ある。 「理想は高らかに園南の翼 な伸ばしても輿際は低く因習 と常識の地をはうなみて轢ぐ られる様な矛盾た感ずる」と 警句のあつた事を今風い糾す 理想と実際の二方面が如何に 関連しているか、即ち理想む 何処迄英行し得るか、こ⊥に 炎多の噛みを感ずる。という 串は晩ち教員に隕つた事では ないわれ′1は今!l切を有 権者諸氏の人格に托し信頼す るに足る教育現当者の出現を 信じて疑はない。十月五日の 結鼎如何把依り地理的条件を もからんで十月中と予想され る教員移動に、特忙影響する 処もなhであろケがとも思う 冥に本村教育委艮たるや巽k 教育の理解者でありペス々′ロ ブチ、崇拝の人でありたいと 希うものである。 - 二七、 九、一〇 - 納することが出凍るlこと忙な ってぉります、が藩二十才未 満は未成年につき父母の同意 な必要と致し恵す。 津の改正によつて戸籍には「 親と子」のみが記載され、婚 姻届出と共に新しい戸顆が生 れる訳です。このとき大の放 棄の姓どちらを名のるも白山 です。婚姻届は結婚式がすん だら、すぐに届出て下さい。 _離婚眉 よくあることなの ですが、大きなお盟をかlへ て役場忙来て、冥埠前の夫と 別れ、今の夫と一緒忙なつた のでづが、すぐに子供が洩れ るか.ら今の夫と椅綱屑を作つ てもらいたいと……。それで 役場では戸籍抄本む収り寄せ て調べて見る之、前夫ど離婚 になつ七いない。女は離婚届 をしてから■六ケ月後でないと 婚舶が出飛立せん。離婚後十 ケ月以内に生れる子供ば兜福 の嫡出子とされるわけです。 税は少しでも軽るくと希望 しない人はない。轟冥今日の 税負担は決して軽いとは申さ れよせん。しかし民主政治の もとにおいて席主権者たる村 民(国民)旺村の行政(国、 県)を白から行う権限を有す ると共忙義務を負うものであ ります○ 白からほつする村政を行うに 拭経費が(枕)何程必要か、 叉これを如何にして礪供する かを白からきめねばなりませ ん。道路の新設修理忙、学校 の埼設改築に、教育施設の啓 備充英忙、産業の開発に、生 活の改聾等々この棟にしたい と偲う事は数限りなく有りま す。その行政を行う基たる税 金は住民の礫限を代表する村 議会の議決した村条例並び忙 税法に基ヴいて村行政を行な つてゆくに必要な経費を徴収 するたゆ忙賦課したのです。 幸い潮椀は納税者の皆様の深 い理解とお協力に依り去月よ 依ってこの場合生 実際は今の夫の子 には先夫の嫡出子 けです○ 姻屈な放し、過料な承知の上 で子供の出生届をすれば今の 天の嫡出子になれます。よつ て離婚と同時把届出も界行し て後でわすらわしい思いをし ないで下さい。 前夫と離婚届 ら六ケ月経過 致し方が 割引 着丈は保護者の負担とする。 但し蚤困その他特別の串情に あ り しを■ま てなせ 糟巧選んで完 今しん▲ と供れ の’か さでる 夫そら れも子 とれ至 る正供 婚.か急 わ式は より良き村を造るために す鼻息必要と は免除す 遺族援護法が施行され我村に 偲ても、徳臓寺忠魂碑の傍に 留魂碑を建立し、我々の身変 り忙たつて散って行つた。】 左記英乾草氷へに銘記致し空 した。村民の皆様穂耗の方に 御出向の節は是非御参拝む御 所い致します。 伺左記の通り慰租買祭-乞執行致 しますかち御参列を御願い致 します。 五 九 九 九 好な成績を収めて居り草す。 (別表蓼周)が一部には緒言 の都合で滞椚して居る方も有 ります。以上の方々も村行政 の完全造営のため池んで納税 を済鼓せるようお願い致しま す。 ると云う条例です¢ りも平均四・五%を上組る 片飯飯飯事 岡村村村 仁一桑 一三堆正 片飯飯飯 岡村村村 息 貞三 司猛雄男 記 月二十四日年後一時徳減寺 沢、上赤沢、兵端、大網 御遺族参加区域徳祀、下赤 月二十五日ヰ後l時修多羅 寺 御遺族参加区域 小膵 月l一十六日午後l時価国寺 御遺族参加区域 塩千 載役者名 十月】日 年前七時より 午後六時官で 衆議院議員掩選挙 最高裁判官国民審査 十月五日 年前七暗より 年後六時苫で 県教育委良選挙 村数育委員選挙 英震 安らかに 四月二十八日平 和条約発効により しましよう 認めたとき 川村政四郎 清水 芳雄 根本 馨 根本 膵文 平卑 芳突 佐藤 豊次 塩子 阿艮山 節 阿久津 辟 阿久津専富 阿久津 司 岩崎 膠秀 発見謹太郎 小童 水上 小膠 阿久津 阿久津久 坪 久 卜部 正 卜部.正 =ユ ー ニュ七・・・・・一・′ヽ五フも=ユニ白:・-・・一三プL一一プむ≡∃′\.≡三四⊂⊃⊂⊃九ニノヽ ・一ノヽ-tゴ九四--一一ノヽ十ヒ′ヽ三三一日四-ヒ三三三三⊂⊃′ヽ・七iプマフ■T七 (:) ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 人天誓言宍望重吉突望莞突茜究宍芙芸染毛吉宗宍 =ユ⊂⊃⊂⊃⊂)⊂⊃⊂⊃⊂⊃⊂)○⊂)(⊃⊂)⊂⊃⊂)⊂)⊂⊃⊂⊃⊂)⊂⊃⊂⊃⊂)⊂〕 ⊂⊃ 調定額 嘩入 円 中富富富鈴鈴塩小小川片 村田田=田木木沢林原岡 大木 一一四、苫ロ ー一四、一三 「別表) 部落別撤収成績表 正鱒藤 一久 孝一積義可 男弘男≡磨昭男延方一郎 菅巳治雄博 莞 ヒ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ - ヽプ山⊂)7■てブて‘-▲六⊂)ニユ≡ミニエフlで三五・・lゴプLブヾ九五ノ1ヽ九′ヽ -・一こ=1三ま-‾ヒフlマ=一-・・・一=三ノヽ.ブ山九.五一日三三プマ三田二三∴=ユノ1ヽ四三三 完云云苫吉岩石言合苫告雷苫言古冒誓言言合誓言己円額 屋稔港 阿久辞 弟 阿久津訴人 阿久洋平助 阿久津】≡ 岩下 保 石川 高明 小潮 武雄 大座畑義雄 網根株清川金トト阿阿 野本本水村子部部久久 津搾 片岡 眞捉 岸野 弘慣 小滞喜久男 塩沢忠三郎 噴出隔 ⊂) 100% 90% 80% 70% 6∩% 5U% 40% 30% 20% 10% 一 武 葦竹.猶、 郎栄男明臣夫博芳稔稔蔑 (昭和二十七年九月十日現在) 北の根部落徳蔵部落では北の 棋よわ大藩を経て徳蔵に通ず る林道を昨年開設以来大分戟 損したので連絡組長卜郡力三 氏富田庄一郎氏連絡の軋とに 部落民を引卒して農村文化の 向上鱒先づ道路の啓備からと 旧象前の農閑期を利好して窮 務奉仕により立派な道路の補 修を完成した。倍戸の内部落 でも連結組長阿久津侶友氏部 落民引卒のもとに戸の内よわ 錫高野に通ずる林道の補修を 完成した部落の皆様の御労苦 に対し感謝申します。 小林 笹島 持田 鶴田 鶴田 富田 仲田 仲田 仲田 仲周 永山 西尾 囁 相田 長嶋 酉橡 莞好 七郎 清 野 国一 武土 屋雄 大 正一 末二 清 息文 滴 実 道路を愛護 致しましよう 甲121201918171615141写121110987654321 均 其小声塙上小平大葬下押大倉岩〝徳塩〝下北上道 ー旧m 打り 位 金沢 小林 竹男 田口 大濠 鶴田 革志 鶴田 敏男 富田 艮 仲田 鹿幹 仲田宗之介 永山 久l 仲田帝三郎 永山末次 永山帝之虫 塙 武夫 櫓山 誠 太田 義郎 長嶋 徳治 部落名 の′ =ユ’l■l V\l【■V\ %他郷内 宿宿 網端上木閲見下下上郷下中根沢橋
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