広報かつら No.394 2003(平成15)年 3月
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電 ′ 座談会出席者 暮【写真前列右から】 t加藤木紀子さん・大越功さん(企画委員) )平塚尚=凄ん(企醇員) t 1悍真後列椚】 彗冨芸諾…た:霊芝記号宗漂芸;記?品政子さん】 力 冨…た:芸芸ん≡慧雷雲冒諾) (企画委員)加藤木京子さん(元アナウンサー) 矢次 当時は、有線放送とNTT接続は していたんですか? 加藤木(美) 村内から外部への接続とか外線の 接続もやっていたので、放送を作っ たり、取材に行く人もいたり留守に は出来ないとかで、2人で結構忙し かったです。でも楽しみの1つでし た。また、取材ではお話を引き出す というのが、インタビューの持って き方にありまして、なかなか当時は 今と違ってマイクを向けると逃げち やつて、困りましたね。 郡司 アナウンサーの研修は行ってない ので、突然有放アナと言われて人前 でマイクに向かってしゃべれるのか なと言うのが一番の心配でした。 矢次 アナウンサーの話を開きましたが 企画委月の大越さんはいかがですか? 大越 目の前に動くものを放送するのは ご苦労かと思いますが、村民運動会 の実況放送などイベントを盛り上げ るには、アナウンサーの腕にかかっ ています。これはある反面やりがい もあり、アナウンサーとしての見せ 場でしょうかね。 森 そうですね、見せ場と言われると 恥ずかしいですがどちらかと言うと 部屋の中でマイクを通してと、実況 中継となるとなかなか難しいんです よね。そういうのが伝えられたらい いなと思いながら、あまり上手に伝 \ノ えられなくて恥ずかしい限りです。 平塚 アナウンサーの皆さんのお箭を聞 きますと私の苦労など微々たるもの です。最初の高須さんの話ですが私 個人の考えとしては村全体の放送な ので多少方言が混じってもいいんじ やないかと思うんですけど…。 高須 方言が悪いと言うことではなくて、 靴りなんです。靴りと方言は違うか なって気がするんですけれどね。自 分としては、とってもいやでした。 加藤木(紀) 私も10年ぐらい桂村を出てまし て、最初に買い物をした時にとても 気取って「おいくらですか?」 って 言ったつもりが、「奥さん茨城?」 と言われて驚きました。その耽りに 対しての苦労はわかる気がします。 取材については、1度取材の経験が ありますが話を引き出すのが難しい ということを実感しました。アナウ ンサーの方は毎回毎回取材に行かれ てきちんと話を私達が聞きたいよう にひきだして下さっているのですご いなーと思いましたね。 徳宿 「企画委員が取材をするのか」なん ていう疑問を持った時代もありました。 矢次 聞く人に喜んでもらえるというこ とで最初はいろいろな出来事を次々 に放送できたんですがだんだんと見 つけ出すのが大変になってきまし た。放送劇もしましたね。 船橋 ) 副委員長さんのご指導をいただき まして毎週夜集まって劇のシナリオ を読ませて頂いて勉強しました。 矢次 番組の内容等も時代の流れに伴って 変わってきましたね。結婚おめでとう、 誕生おめでとうなどは、やってみたけ どなかなか取材に応じてくれなくてと うとう続かなかったし、企画委員も最 初は15〜16人いましたが、今の人数 になってしまいました。 平塚 自主番組編成のアイデアを出そう と会議に来るのですが、やはりなか なかそのアイデアが浮かばないのが 現実だったと思います。村全体のこ とを幅広く考えながら番親を作って いかなければならないという難しい ところもあったかと思います。 大越 映像を伴わない有放でしたが、子 僕たちが文章を作って作文にまとめ るということに真剣に取り組んで、 自分の出番のときに発表するという のが学校ではいい機会だったし…。 矢次 加入者の声を聞いてみたところ、学 校放送が楽しみで聞くという家庭が多 かったですね。 郡司 有放も老朽化して毎日のように故 障の苦情の電話が多かったですね。 徳宿 私は、「アナウンスと言うのは不 特定多数の人が聞いているのだか らおろそかにするなよ」 ってたい そぶって言ったことを恥ずかしい 気持ちでいます。 3 習……広報かつら 3月号……

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