広報かつら No.310 1996(平成8)年 2月
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和歌山県で生まれた私は、 戦争で親を亡くし、妹とも生 き別れ、ある人に引き取られ 生活するもつらい毎日で泣い て住ごしました。その後北海 道に渡り、9歳の時に1人で 連絡船に乗って上京したつら い想い出があります。 その後、東京板橋区四ツ倉 町中村家の養女となり住ごし 打 た訳ですが、東京へ出稼ぎに 釆ていた主人にその頃出合い ました。 当時茨城の方では仕事もな かったようです。 私の住んでいた板橋区は、 今では大変便利になりました、 というより大変変貌しました。 畑や田んぼはもちろんなくな り、高嶋平団地が整然と建ち 蛭町 季子さん (錫高野・芝立在住) 並んでいます。道路や電車の 便も大変良くなっています。 私は茨城に嫁いで35年経ち ますが、当時はまだ田舎の仕 来りがあり、なかなかなじめ なく色々苦労いたしました。 子供達には自分のような思い はさせたくないと考えていま す。楽な暮らしではありませ んが毎日を大事にしています。 空気がいい、自然がいっぱ いだけでなく生活環境、遊ぶ 所(レジャー施設)、働く場 所の確保等比例するような桂 村になったらいいな、と願い ますね。 桂村は私にとって、第三の 故郷です。都会と違って田舎 の人は皆さん親切です。今の お嫁さんは幸福だと思います。 今では東京に帰っても桂村 の自慢が出来ます。 ○㈹やゆ広報かつら 2・3月号○

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