広報かつら No.296 1994(平成6)年 11月
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金企企企金金金会 私の屯白書と・て:ミニ=キ す ブ ン 葉 町す の を・ 葉 ン △△△△企△血企 つ感応寺や、旧薩摩藩主島津氏 の墓・昔ながらの武家の門や玉 石垣等いにしえを今によみがえ らせる歴史の町でもあります。 なだらかな山に作られているミ カンについては、オレンジの輸 入自由化に伴い低価となって、 ミカンの木を切り倒してしまう 農家もでていると聞いています。 タバコ‥不-ブル・温州ミカ 等の栽培が盛んで、特にネー ブルは県内一の生産量を誇りま ・9村を有し南北600hの広がり をもつ鹿児島県。私が生まれた のは、鹿児島県の北西部に位置 する出水郡野田町という小さな 町です。 また、日本最古の禅寺の 桂村同様農業が基幹産業で米、 大津 盛子さん (上咋・北開内在住) 離島が28と多く、14市・73町 県内lの生産量春幕藩 - ネーブルの里…… 『野‖町』 ヾ 中学校がミカン山の麓にあり、冬の体育 の時間には持久走大会の練習ということ でよく走らされました。走るのが苦手な 私には、もっともいやな時間でした。 時折、電話をくれる父母の話から、小 学校が鉄筋コンクリートに改築されたと か、郵便局が増築し駅前に移転したとか、 昔、耕作していた畑には町営住宅ができ て見ちがえるようになった等々、故郷の 街の様子を知ることができますが、人口 は増えていないとか。若い人の職場がな く都会にでるためでしょうか、私もその 一人でしたが……。 ここしばらく帰省していない私ですが、 自分の生まれたところが大きく発展して 欲しいと思う反面、心のなかではいつま でも昔のままであって欲しいなと願って います。 「 .1一 高羽 あや子さん (銘高野・芝立在住) さわたり 群馬県中之条町沢渡という所 が私の出身地です。茨城から国 道50号線で真っすぐ前橋へ、そ こから国道17号に入り、渋川か ら草津方面へ約一時間ほど走る と中之条町です。環境は桂村と 同じ緑に固まれて静かな所です。 今頃は紅葉の真盛りです。ふだ ん少ない車の数も土曜日曜にな ると大変渋滞すると話に開いて います。近くには、沢渡温泉、 四万温泉があり、少し足を伸ば すと北軽井沢や志賀高原で遊ぶ こともできます。 盆、正月くらいしか帰っては いませんがそのたびに、道路は 整備され新名所ができている事 にはおどろかされます。最近で は日光の猿軍団につづけとばか り、町に大きな猿の劇場ができ 四万・沢渡温泉で年間 60万人の観光客・ ているのには、ぴっくりでした。町 も観光PRに一生けん命のようです。 私が小学生の頃はどの家でも、春 から秋にかけ4回位養蚕をしていま した。今では一軒だけです。畑の作 物も、こんにゃくも桑畑も花やりん ご畑に、変わってしまいました。町■ に五つあった小学校も二つに統合き れました。開発、統合されるのも良 い事だと思いますが、その後の問題 も考えてほしいものです。 変わりつつある〝ふるさと〞です が、私の心のなかでは昔のままの『ふ るさと』で残しておきたいと思って います。 ‥‥r中之条町」 諾広報かつら11月号激器㈹謀
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