広報かつら No.274 1993(平成5)年 1月
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「た も ん の 一㌔ち 触ど 本 鮮の 残君崩与殿 い/」 「どうして、こんなことになっ たのだ′」 「誰が、こんな患蹴をしたのだ ′」 「まあ′なんてむごいお射なの だ/・」 村人たちは、驚きと悲しさで ただ、わめき齢ぐだけで、手の ほどこしようもありませんでし た。 その時でした。わいわい蹴ぎ こえ 立てているざわめきの声にまじ って、 「お……′こ と、いう勧衝かな声が、本殿 おく の奥の方から、聞こえてくるで はありませんか。村人たちは、 はじめのうちは気づきませんで したが、その声が知新に大きく なるにつれて、 戟の琴静かに、お静かに′.」 き 「お′向かが聞こえてくるぞー やがて、 見るも触配な、触れ瀞ちた本 殿の厨胞の計れかから、青白い けむ 煙りのようなものが立ち上がり れ落ちてしまって、見る. な塩鄭が、彩い蘇る村人 皇吉 日を驚かせました。 の 屋 根 の れ は、どうしたことだ 焼き土は、ほと ( ましたQその野今までかす こだ よぞ・ゎ かに見えた杉の木立ちや、夜空 の戯が見、妄くなり、暗いご本 殿は、ぱっと明るくなり、そこ こうごう から神々しい神様のお姿が、集 まった村人たちの日に筍りまし な た。あまりの彩脛か彩と、 こうこう あまりの神々しい姿に、村人た ちは思わず地面にひれ促してし まいました。 ふたたび、 「お‥…・′」 こえ というかなみ声のあと、神 様はおもむろに村人たちに認り かけたのです。 「郎は、このみ揖の肥り柵・蠍 事勝と申す者、このたび、この 社の屋根の修理に村人たち力を 合わせて修理してくれたことは、 寵に鱗知な哉ピ、心からお札を ここう 申し上げようぞ」 やさ 優しい、この神様のお言葉に、 村人たちは、 「へいー」 「郁轡フございますゾ 「須僻のうございますノ と、職掌を妙郵について平板し てしまいました。就に神様は、 「その養ぃは新船いことだが、 しかし、よーくお聞き下され/ ただ一つ、お前たちは大きな陣 逝いを犯してしまったのですぞ /土の私は営も知ってのとおり、 霊を胡㍍神として、この鎮守の ちんヒル もり 森に住むことになったのです。 土は部桝の慧恥の漏ゃす。こ の広い世界に、この土こそ、す べての野郎の伊僻となるもので あるぞ。お前たち麒鰭は、この 土を生命として生きている人々 二こくはう ではないのか、毎年の五穀の豊 磯も、……お前たちの椚の難粁 きま と、この土のよしあしで決って いくのではないのか′ネの志 な土を焼くとは一体何事か′主 を焼くということは、万物のも ととなる土の生命を断つと言う ことを、お前たちは気づかなか ったのか′私は、お前たち農民 の斎慧義の守り神として、こ の鍍窮の森に住む以上、お前た だん ちの、このたびの律ないは、断 ゆる じて許すことはできない。男祁 と、お前たちの手で衝き蝕した この土をかたずけてしまいなさ ヽ 8 1V かさ よいか′重ねて郎し言が こんごいか 今後如何なることがあっても、 とうと みなもと この万物の生命の源となる尊い とあつか 土を、くれぐれも大切に取り扱 い、ゆめゆめお前たちの手で焼 ころ き殺すという、融かなことは二 度と繰り返してくれるなよ′」 それは、それは、しい神様 カ ( とは思えない、きつく船しいお 観りの弐妄でした。 これを聞いた村人たちは、た だただ胡の行ないの灘はかさを 心から反省し、二度と土を焼い た たり、土の生命を断つという、 おろ 愚かなことはしないよう、心の 中でかたくかたく神様の前で誓 い合いました。 村人たちは、雛たな歌いのも くず とに、ご本殿の崩れ落ちた屋根 を片付け、村じゅうの人々がお 金を出し合って、新しく梯戯の 屋根にふき変えることになりま した。 てこさき このようにLて、この手子后 あお 神社を鎮守の神として仰 ぐ村人たちは、これから は、自分たちの手によっ て、土を焼いたり、家の 屋根に去の警を卸せ ることを、ご遠慮申し上 げたという伝説です。 この「ふるさとの伝説」につ いては、作者である 種村阿波山五五大-ニ 元御前山村立野口小学校長 現捷村数育委員 徳宿邦息先生が 物語風に書き直し、次代の郷土 を担う子供たちが、低坑なしに 読めるよう現代語に善かれたも のを掲載しているものです。 ▼桂村有線放送自主番組では、 一月二十七日(朝・畳・夜)の 部に徳宿邦息(元放送劇クラブ 員)さんの担当により放送され ますのでお聞き下さい。 鶉(9)蕊誠広報かつら1月号詳
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