広報かつら No.270 1992(平成4)年 9月
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嘉光栄謹軍先発認諾署課業墨謹罪業課業窪誅求衆喜怒業※其共謀繋韮義嘉広報かつら 9月号葉菜(6)韮 た だ 参一 歩雪村鷲大 り り て ろ 「り 人今 き 々驚き 、ほ、 て う お ま のは に を な仏産筑7 ま充 0ぉ し お秋な は希き様芸妓ば 城 お くにぐにある 国々をお歩きになっていらっし ゃいました。 ひたちくに ある年のことです。常陸の国 (今の茨県)にもお卦でにな もとと なんぎすく 々の難儀を救うため あ 遣 る い 偉孟昔 い の お お 坊官話 さ し ん で 『ふるさとの伝説』 かん ぜ おん かんのん さま● 観世音の観音様 国璽慧違運否 ぬ 麓にお泊まりにな おし 大志の ん ん か お 常ふ胸教 空言水 と が な り 陸宅に え は は静与 山言夕号ま の秘ひを 阻害静か り か な な な 所 く 音 な 澄三を の 路じ暮ぐし 国さめ広 を れ た 全若’め こ がす ヽ ○ 登蒜時ぎ つ で て す よ、つと Lはう 四方の たい 体をお 世の人 ほうばう 方々の めていま いあかべ 岩壁に日 ました。 「そう きっている。朝▼訂盲も恕割 に終わろうとしている。……… ほとけあ おー・み仏の声がする。有りが あ たいことじゃ、有りがたいこと じゃ。・…‥…」 お坊さんは立ち止まって、西 りきうてあ の空に向かって両手を合わせ、 きょうとな 静かにお経を唱えはじめました。 を 仰急や い カゞ で て に 々 の 琴左遷書菱 て り を お だ い 言言祈㌫迎髭、 空ち皇 三キミ ち を し 董主葺た し ぎ が ば 一 、ら つ 目きく の 前蒼何 決誓の か みぎ お坊さんは右 ょうこく どうぐ t卜 翳 の て し の 、 し 宕 告いながら背中 ほとけ かべにみ仏 ユ三一ねむら 孫根村の人 ん 道具を取 1-・トーう.・. 心と大 を 手て を き 見みの し な 走是山 と-つと きな岩は、尊いみ仏のお姿とな らんきさつとな つち 乱にお経を唱えながら槌を打ち 続けました。 えてきます。 暗が立つにつれて都たい礪郎 そでとおぬ は、お坊さんの袖を通り抜けて っ つち した。髄の 手に 、 り下さい」 と、心に念じながら左手にの な親書 どうか おります。 大きな岩 お お さ ち ;を る まごころこ り出し、真心を込めて、この岩 うお にのみを打ち下ろしました。 カナン!バサリ! カテン! お つち ぁと み仏のお姿が みを、 つしか月のあかりが、 の手元を明るく照らし て パサ い いきますが、お坊さんは一 「一 かん 卓.キ みとかあきひ 短い秋の日は かたむ お月様が西の山に傾く頃 ります。 を′は 旨芝番貨破慧岩;リ 鳩麦鶴三し え を つ な 振ふか が る り ら い と 刻をつ宕 み つ に つ 、あ ′了 一\:て け 心上、 て に 右 拙菩様霊鳥ざつ の 僧号を がて 破はと め 御叫島な開き片ニ 書 は 浮うだ かに く こ と た王 は絶え間なく聞こ ま 彫りいたします。 の囁いをお聞き取 槌の育とくだけ落 あた しず 、 ま が辺りの静け えております。 り」∫ でには、立沢 て お 暮く く 坊 れ れ さ 、 て ん い てきま てJ し か し〜・人 心不 大 うあ・bぁまい って浮かび現れて参りました。 つち お坊さんは槌を打つ手を休め、 がっし上う 合掌してみ仏の前に攣きまし た。 「あーよかった、よかった。 できあがあした もうすこしで出来上るぞ、明日 よろこ になると村の人たちもきっと喜 ど めました。 き 一つの目が出来上がって、次 ふもと の目に移ろうとした時、麓の里 とつぜんにわとり の方から突然、鶉のなく声が聞 よあ つ こえてきました。夜明けを告げ る鶏の声です。 その声を耳にしたお坊さんは、 「これはしまった、しまったー。 いちやほとけかいげんくよう 一夜のうちに、み仏の開眼供養 まあ ほた を果そうとしたのに、間に合わ しゃぎょう なかった! これは私の修業が 足りないためだ、これからはも いち っと修業して、できればも、つ一 ほとけ 度この里に釆て、このみ仏に、 め お目をつけてあげたい」 ひとごと と、独り言をいいながら、ど こへともなく去って行ってしま いました。 そして、このお坊さんのお姿 は二度とお見えにならなかった そうです。土地の人たちは、こ き 目を入れよう やが 手にし ぶことだろうっ よし、よし て て 立上 あが ′J と り さ 慎土、な 重きみ の・ にう仏 み・ 刻をの と み お槌言 は 顔雲と」 じ に を ▼桂村有線放送自主番組では、 九月二十九日(朝・星・夜の部) に閉 息子(元放送劇クラブ員) さんの担当により放送されます ので、お聞きください。 来月は、〝l本杉のお婆さん〞 を掲載いたします。 ま ・カ きもきっ のお坊さんのお気持ちせ察して ニの里には今でも鶏を飼うこと をご遠慮申し上げたと言うこと です。 ばう 「観音様を掛ったお坊さんの じゃま 聴いが、鶏に邪魔されて出来上 がらなかったのだから、この里 にわとりか には鶉を飼っちゃいけね、そ だれ かたつ と、誰言うとなく語り継がれ いまいた 今に至ったという伝説です。 ◇ ◇ ◇ ◇ それにしても、このお坊さん えら とくいちたいし 『徳一大師』という、偉いお坊 のちよ さんであったとは、後の世にな って分かったことなのです。 作者 桂村阿波山五五六-二 元御前山村立野口小学枚長 徳宿邦息先生

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