広報かつら No.270 1992(平成4)年 9月
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軍祥欝凝滞軍祥凝な詳漆黒軍聯欝淀嘉諾凝霧詳鵜詳駐辞窪蕊凝音激震隷鰭広報かつら 9月号嚢曇(4)経 去る八月二十日に桂村議会臨時 会が招集されまして、助役の任期 満了に伴う人事案件が付議きれ、 議会の選任同意を得まして八月二 十一日付で助役の大任をお引受け いたしましたが、もとより浅学非 才であり職責の重大さを痛感しま すときに、諸先輩の今日までなさ れた業績を汚すことのないよう誠 心誠意努力して参りたいと存じま すので、村民の皆様方の温かい御 支援御協力をお願い申し上げます。 昨年策定きれました第三次桂村 総合計画を基調として(ゆたかな、 うるおいのある村づくり)をめざ して、村政全搬にわたる諸施策の 実現を積極的に推進するための補 佐役として努力をして参りたいと 存じます¢ 今後とも村民の皆様方の御蒋導 御報童の程よろしくお願い申し上 げまして就任のあいきつといたし ます。 助役就任にあたって 昭和51年8月より4期16年助役として,→役職を含めますと44年間,地方 自治に大きな功績を残されました大畠秀夫氏が8月20日任期満了により退 任され,後任に前収入役の桧山忠雄氏が助役に就任されました。 去る八月二十日、助役職の任期満了によって退任させていただき ました。 村民の皆さんには、在任期間四期十六年、一般職を含めますと、 四十四年間の長期にわたり、一書ならぬ御指導と御援助を賜りなが らまがりなりにも責務を果たし後進に道を拓して、退任出来ますこ とにつきまして厚く御礼申し上げたいと存じます。 ふりかえってみますと、昭和二十三年旧沢山村食糧調整委員全車 務職をふり出しに、昭和三十年旧咋・岩船・沢山の三ケ村合併を契 期に新農村建設計画の樹立、続いて農業構造改善計画事業の促進、 その間昭和四十年代前半事業として、簡易水道事業、農業用水確保 の為に県営圃場整備事業、農村広報活動推進の為の有線放送電話施 設の整備を手がけ、後半に入って昭和四十五年第一次総合計画が樹 立され、これより十年を転期として昭和五十五年に第二次総合計画、 その間広域農道設定による大桂大橋の完成、そして平成三年第三次 捻合計画とすすみ併せて過疎新法の適用をうけ、同時構想に基き現 在二十一世紀へ向けてあゆみを続けておるわけでありますが、幸に して今日までこの四十四年間をとおし歴代の職務執行者大畠定衛門 村長を始め、広木平重郎二尚須鴻三・大森三千三・広木香各村長、 そして現職の大森藤和村長、旧村問弥三郎村長を含め七代の村長に 仕え、先程申し上げました桂村発展の歴史につながる画期的大事業 遂行にすべて参画出来ましたことは、私にとりましても生涯忘れる ことのできない幸せであると満足いたしております。 今後は村民の一人として、本村の発展を見守っていきたいと思い ます。本当に御世話になりました。後任の桧山助役に対しましても 私同様よろしく御指導願います。 村民の皆様の御健勝を祈念してあいさつといたします。 ′■_ヽ 退任あいさつ 大 畠 秀 夫 「あいさつは,まずぽくからわたしから」 ●
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