広報かつら No.270 1992(平成4)年 9月
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終茶業黙諾辣辞諮※試案共謀数謹書※潔※苦茶洋罫求喜謹♯※黒井諾塞光広報かつら 9月号兼業(2)塞 悪路王面形彫刻複製される 鹿島神社(高久)の社宝とし て永く継承されている悪路壬面 形彫刻が、このほど複製されそ の完成記念式典が八月八日出、悪 路王面形彫刻複製実行委具合 (石井文明会長㌻王催のもとに 行われました。 当日は、大森藤和桂村長を始 め悪路王の研究家であります、 埼玉大学山口静一教授、全国町 村議員会館三木日出夫管理部長 更に茨城県塵史館高根信和学芸 部長、そして一年の期間をかけ 製作した悪路王面形の油絵を当 日寄贈きれた堀田操画家等各先 tll\ 生方が出席きれ、虫干祭のあと 記念式典が行われ多数区民の方 方が見守るなか、レプリカ(複 製品)が公開された。大森村長、 各党生万より、「一二〇〇年有 余の歴史を持つ悪路王の伝説を 残し、毎年虫干察により文化財 の関心を高め、多くの方々に親 まれながら、後々に継承すべき 悪路王の修復・複製を行い末永 く保存し、社宝として守ってい る区民の皆様に敬意を表します」 とのあいさつを含め時代の背景 や理解しやすく歴史についてお 話しがありました。 虫干しの斉事(毎年旧七月十 日)によって、歴史は生きてい るといわれる悪路壬面形彫刻は、 昭和四十八年一月桂村の指定女 化財となっています。 また記念式典終了後、境内に て高久区民参加(五自治会)に よる催事二尚久お父さんソフト 都主催カラオケ大会)を開催し、 複製完成を祝う宴も盛会に行わ れた。 ※鹿島神社富久) 光仁天皇の天応元年(七八一) たけみかずちの の創建といわれ、祭神は武賓槌 みこと 命である。神社本殿三方に飾ら れた彫刻も昭和四十九車四月枝 村指定文化財となっており、精 巧を極め、近隣では珍しいもの である。作者は不明である。こ の彫刻は廃寺となった書祥院の ものといわれ、中国の故事が巧 みに表現されています。 鹿島神社(高久)記念式典での一般公開に見学する区民の方々 「あいさつは,家の和,人の和,世界の和」
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