広報かつら No.269 1992(平成4)年 8月
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霹(5)嘉嘉広報かつら 8月号罫詳#祥#♯#詳繁華♯♯#簿業韮笈韮謹選m嘉謹※黙諾喜光光義鯖整 物至を 歩蕾 を 直 き じ おおくにぬLのAこと 染みの大国主命という、神様お な神様です。眺酔の鋸郎ヂお ほ 穂をお持ちになられた神様は、 おおすぎ 大杉のほとりにお立ちになりま した。 やき 村の人々は、この神様のお優 すがた しいお姿に心をひかれて、神様 そばあつ のお側近くに集まって参りまし たむ おんなすくなひこなのみこと 神様は御名を『少名彦名碧 る からだ と申します。お体が小さく身軽 りながら、国々をお歩きになっ 人 登 ; 禁 『ふるさとの伝説』 遠い 作す に で る こ な 、 こ と r)力 、 と や を な 、地ち合 ど 田 方誓わ を 畑 の せ 国璽莞違還画 こ の とお ののおみ 琴芝○ (ああ/まつはつらいなあー) 人 て 々 国 お教えにな 手に菜の 々 こ あわ て 病 を 作亨気 お 馴な ■- ていらっしゃいました。 そう ちょうどこの時、お二人で相 だん すくなびこなのみこと 談の上、少名彦名命は道を別れ nへヽ てはるばる束の国々をお巡りに おおくに なり、この大杉のほとりで大国 やくそく ぬしのそーと ま 主命をお待ちになさる約束でし た。 おおくにぬしのみこと けれども大国主命のお姿は、 なかなかお見えになりませんで した。そうしているうちにも、 みこと せいかつちえ 命は村の人々に生活の知恵など おしおおくにぬしの をお教えになりながら、大国主 みこと 命をお待ちしておりました。し かし、まだお姿は見えません。 ふこと 命は つ、り 「あ!あーまつは辛いものだな ー」 おもひとごと と、思わず独り言をなさいま した。 みことむらぴとたず やがて、命は村人たちにお尋 ねになりました。 「お前たちは、は何を食べ ているのかL 一人の若者が答えました。 のやまかとりけもの 「野山を駆けめぐって、鳥や獣 を捕ってその肉を食べています」 一人の老人が答えました。 「川へいって、魚を捕って食べ /■ll- 言った。 「あーあー、待つ ユ塞 側の地に ご恩を忘れず 手によって、 く い そ が る を大切に育てるのです。そうす み が実タそ て を ん 芽め:触 な がへ 時 出で蒔まの て い た 茎皇て め カす お に ています」 みこと 命はにこにこしながら、 「そうか、それは良かろう。し いつ かし魚や獣は何時も捕れるもの でもあるまい。そんな時には何 を食べているのかいL よ だ九 むちびと 村人たちは、誰も答えようと かおみあ しません。たがいに顔を見合わ みこと せているばかりです。やがて命 はおっしゃいました。 こま 「食べ物がない時は困るだろう。 言うとなく、 きら 「この神様は、松がお嫌いにな なー」 ことばぁす この言葉を忘れず、 わ た す そ し て ち … 教苦る や’の ん れ お 傘…車 し ヤしろ は え ま 貯号穂ほで 、て で蔵言を き ニ がを-ノ今 J ヽ- ヽ- ′閥つ G し L・・- 7の 後誓こ 下長の の お る ん あ 造り上げました と と 方号示よ 伸びる、それ の やさ そ】と の優しい命の の村人たちの 桂中学校の西 なに美しい実 のです」 き な さ しヽ さ しヽ ま こま ことを、細か まつ (松)は辛い 法攣 しになり これ、この ひ ご ごだれ その後誰 から、炊 た した。 や っ るのだから、これからは、この 里には松を植えないことにしよ 、つL と、申し合わせて、それから は、家の庭に、松の木を構える ことを、ご遠慮申し上げて今日 に至つたという、遠い昔からの お話しです。 すくをひこなのそ言 まつ 飼少名彦名命をお祀りしてある 神社は、桂中学校のわきにあ ります。 作者 桂村阿波山五五六-二 徳宿邦忠先生 この「ふるさとの伝説」につ いては、広報四月号より掲載し ておりますが、作者である 桂村阿波山五五大-ニ 元御前山村立野口小学横長 徳宿邦患先生が 物語風に書き直し、次代の郷 土を担う子供たちが、抵抗なし に読めるよう現代語に善かれた ものを掲載しているものです。 四月号にて徳宿先生のご紹介 をいたしましたが、五月、六月、 七月号と作者名を掲載しません でしたことをおわび申し上げま す。 ▼桂村有線放送自主番組では、 八月二十七日(朝・畳・夜の部) に加藤木美智子(元放送劇クラ ブ員)さんの担当により放送さ れますのでお開きください。 来月は、〝観世音の観音様〞を 掲載いたします。 ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽

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