広報かつら No.268 1992(平成4)年 7月
6/10

求楽岩浅※義軍諾意基茶器罵諾m※課業嘉※♯裁菜窯業#誘発其藷繋広報かつら 7月号菜蓋(6)謀 遠い昔のお話です。今の下阿 ちきつじや 野沢のあたりに、一人の長者が 住んでおりました。この長者は、 お金はたくさん持っております が、どうしたわけか人が悉く、 よくば その上欲張りなので村の人々た かれおそした ちは、披を恐れて親しく付き合 っている人は一人もおりません でした。そんなふうですから、 ちさつじ†やLき ほうこう 人々はこの長者屋敷に奉公する きら のを嫌って、だれ一人として使 えるものはありません。そこで この長者は、遠くの村から一人 かわあ の可愛い男の子を連れてきて、 めつか 長者の召し使いにしました。男 き も や苦 しJうじき の子は気持ちの優しい正直な子 供でした。 ところが、あるときのことで 『ふるさとの伝説』 国璽莞違還画 よな じぞう 夜泣き地蔵 カ す。男の子は、どうしたわけか 長者から言い付けられた仕事を すっかり忘れてしまったのです。 さあ!大変です。長者は真っ おこ 赤になって怒ってしまいました。 「今まで、俺の家で召し使った そむ 者のうちで、俺の言い付けに背 いた者は一人もいなかった。に ’ 、 ヰ■ ま くび 首だけ出して埋めてしま むご です。なんて酷い長者な Lば 縛 弁芸た 言 もかかわ よう。村の人たちは、 「ご免なさい′ご免なさい/」 あわ な苦け と、泣き叫ぶ子供の哀れな声 せ聞いて、一度は助けるために .カ 駐けあつまろうとしたが、長者 あわ おそ Lか に叱られるのを恐れて、哀れに 思いながらもどうしても、近寄 ることができませんでした。 じ 産 め 敷 、‾の 「- つ と ご と す と い その 、免芝、る は 付 泣 な 言 こ 一㌧け て 家芸森 う 々妄に ち の 沈与に 明 み 体票に ら 村苦い とはできない′こ いながら さい′ご免なさい′」 背芸ず き 外掌 れ る かん 何事か′ もう勘 秋の の 淋孟子 し 供 レヽ の お前えは俺の 、忘れてしまっ か 、 り 西宮 が風塞夕 ニ カゞ 日 つ 吹ふは 三 き 長 つ は 者 供夜よ笑お の 中蒙昧い 埋うの し め考量い ら 木き食 れ も べ て 眠‡∋物 い る を る 真まこ 所夜よし に 中蒙ら 近 に え づ ’て き 子 ’ の つ 道号手 で た 端ぎ足 し の へ を つ お むらほず と見えはじめましたが、村外れ に埋められた子供の泣き声は、 今も続いております。 「ご免なさい′ご免なさい′」 Lだい その声は、次第に細く、そし ひくひく て低く低く聞こえてきます。そ よ うしているうちに、とうとう夜 があけてしまいました。あまり にも可愛そうなので、疋の おそ 一人が、長者の屋敷に行って恐 おそ る恐る、子供を許してくれるよ たの う頼みました。すると長老は、 「たとえ村役人の言うことでも、 それは聞き取れん。俺の言うこ そむ とに背いた者は、他の者の見せ だんゆる ため しめの為にも、断じて許すこと むだ はできない。無駄なことだ′帰 れJ.帰れ/ 二度とこんなこ L享つち とを言ってくると承知はせぬぞ。 さっさと帰れ′」 と言って聞き入れてはくれま せん。 次ぎの日も、また次ぎの日も、 「ご免なさい′.ご免なさい′.」 と、いう泣き声は細く低く聞 こえています。 村の人たちは、もう、じつと しては居られません。長者にか そうだん くれて、ひそひそと相談の結果、 ける子供に食べさせました。 しかし、こうした村人たちの なさかい 情けの甲斐もなく、悲しいこと おい に七日目の夜、村人たちが美味 しい食べ物を持っていった時に は、もう子供の泣き声は聞こえ あおじろやおと ませんでした。青白く痩せ衰え た子供の顔、とてもこの世の人 とは見えませんでした。しかし この子供の顔の奥にどことなく とうとほとけ 尊いみ仏のお顔、そのままの Lずか ように、静に眠っておりました。 ’ら 人を噛むことなく、ただ、 『ご免なさい/.ご免なさい/』 かいご と言う、悔後の心が、このよう うつ に、み仏のお顔に、お移りした のでしょう。 ひぎ 村人たちは、思わず膝まづい て両手を合わせ、ただただ涙ぐ んでしまいました。やがてすす り泣く声がしたかと思うと、い ちどに、『うあーつ/・』と、大 声で泣き出してしまいました。 ▽ ▽ ▽ ▽ 食べ物を子供の口にそっとんれ よつゆ てやりました。そして夜露にあ わらかこ たらないようにと、藁囲えをこ しらえてやりました。 た次ぎの夜も はこ ペ物を運んで 村人たちは、 ( は 、長 次 細筆者 ぎ 々引こ の と 内禁夜 泣な緒ヒも ’ き で 続 食 ま だれ す 何日か過ぎたのち、誰のした ととの ことか分かりませんが、形の整 ほこら った小さな繭が建てられました。 かわ そしてその繭の中には、可愛い じぞうきままつ い小さな地蔵様が祀られてあり なのかななや ました。七日七夜泣き続けたと 言う子供を供養する地蔵様なの です。村の人たちは、この他歳 様を、 よなじぞう 「夜泣き地蔵」 と、呼ぶようになり、一時は せんこうけむりた 花や線香の煙の絶えたことがな かったと、言われましたが、暗 か がたち時代が流れ、人が代わっ てややもすると忘れ去られよう としています。 そして、今の下阿野沢のどの さだ 辺かも定かではありません。 「夜泣き地蔵」 の伝説を終わり ます。 ▼桂村有線放送自主番組では、 七月三十日(朝・畳・夜の部) に冨山幸子(元放送劇クラブ員) さんの担当により放送されます のでお聞きください。 来月は、〝粟の穂のお恵み〞 を掲載いたします。

元のページ 

10秒後に元のページに移動します

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer9以上が必要です